悪魔の合鍵

01



「は……ッ。へ…ったくそ!」
「あぁ?」
「もうちょっとうまい縛りか…たあんだろ……がッ」
「はぁ?お前、今それ言える立場かよ。馬鹿か」

ペッと体育倉庫のコンクリ床に唾を吐き捨てる長身の男。 やることなすこと、ドラマや漫画でよく見る悪役そのものだ。
いきがっては見たものの、なんだかわけのわからないその辺のゴムチューブで縛り上げられた俺に、なす術は無い。 縛り方が下手だから、かえってなかなか抜けにくいのだ。

「くっそ…これ、ぜってーアト残る……」

忌々しい気持ちで吐き捨てる。

上手い縛り方したら、アトなんてあんまり残らないんだそうだ。 てか、そんな知識いらねーし。 危機管理のためにしかたなく仕入れた知識だけど、ためになったためしがない。

「…早くイケよ。この遅漏ヤ……ロッ!」

バッチーンといっそ小気味よいくらいの音が、四方のコンクリに反響する。 手足を拘束されているので、張られて痛む頬を押さえることすらできない。 鉄棒舐めたみたいな味が、口の中いっぱいに広がった。

「お前は立場ってものをいい加減理解しろよ、早瀬(はやせ)」

無駄に整った顔を近づけてくる男の黒髪が、痛みに火照る俺の頬をなでた。 興奮に息が荒くなっているのを肌で感じられる距離だ。

「……るせぇ!キスなんかしやがったら唇噛み切んぞ!」

口は俺に唯一残された抵抗の道具だ。 悪態をつく、噛みつく以外に何かできないだろうか。

こいつはなぜか俺の口を塞ごうとはしない。 毎回毎回これだけ騒ぎ立てられて、いいかげんうんざりしそうなものなのに。

根っからのサディストと見せかけて、俺の悪態に興奮でもしているのだろうか。 そのくらいの変態でもおかしくはない。 そう思えるくらい、これまで散々な目に合わされてきた。

「…ぁ…ッ!」

突然胸の先端をつねり上げられ、電流が走る。意識もろとも身体が引っ張りあげられた。 同時に再開する背後からの激しい抽送。 不本意ながらもこいつのソレになじんでしまった俺の身体は、打ち付けられるたび歓喜にふるえる。

「は……ッあぁ…もう…」
「イケよッ淫乱!」

自分もイキそうなくせに!……という言葉は、俺の口から出ることはなかった。
代わりに出たのは、声にならないうめき。 それを導いた律動も、後を追うように停止した。

崩れ落ちてくる熱い身体。 自由を奪われている今は、それを背中で受け止めるほかはなかった。

「は……」
「……」

つながり、共に頂点を見たあとの、お互い無言で息を整える時間。 共通の思いを抱いていれば、本来最高に幸せなはずのそれが、ただのクールダウンの時間でしかないなんてな。

くだらねぇ。

相変わらずの乱暴な行為の後、この悪魔のような男――木之本峻(きのもと しゅん)は、矛盾した行動に出る。 こわれものにでも触れるように俺の拘束を解くのだ。 本当に、わけがわからない。 あれだけの破壊行為をやっておいて、なぜそうなのか。
ただ、手つき以外は変わらない。

「ホントに淫乱だな、お前は」

ニヤリといやらしく笑いながら、俺の痴態を責める木之本。 口では散々抵抗をみせても身体は正直だ。 感じてしまったのは事実。

こんなこと、こいつは何度繰り返すつもりだろう。
悔しさに、俺は何度唇を噛まなければならないのだろう。

「またよろしく頼むぜ、早瀬夏輝(はやせ なつき)くん」
「……っ」

一人でさっさと着衣を整え終わった木之本は、俺の身体中に残るアザや傷痕をニヤニヤと見下ろしている。
その顔をキッとにらみつけた。

「そんな顔すんなって。お前は俺に、逆らえない。そうだろ?」 *****

「夏輝、帰ろうか」
「シン!」

教室のドアにもたれかかり、にっこりと花が咲いたような笑顔を見せる俺の恋人、シンこと横屋慎太郎(よこや しんたろう)。 夏服の白いシャツが、廊下側の窓から入る日射しに映える。

「どっか寄る?」
「暑いよな。冷たいものでも食いに行くか」

俺は学校規定のカバンを肩に担ぎ、シンの元に急いだ。


中等部3年の時から高等部3年の今に至るまで、俺たちのつき合いは4年にもなる。
きっかけは、中等部の生徒会。 家柄も見た目も学力も秀でていたシンは、当たり前のように会長に推され、任期を威風堂々と勤めあげた。
そんなシンとは違い、すばしこいだけが取り柄の俺は、小さなころからの目立ちたがりな性格で自ら生徒会役員に立候補し、副会長の座をもぎ取った。
会長と副会長、行動をともにすることも多かった俺たちが、この閉鎖的な男子校という空間で親密になるのに時間はかからなかった。 一緒に過ごせば過ごすほど、シンに夢中になった。見れば見るほど、完璧だった。 同性間の道ならぬ恋に悩むより、シンの恋人に選ばれた自分を、俺はむしろ誇りに思っていた。

完璧で優しいシンとの毎日は、俺にとって全てだった。 高等部では生徒会に関わるつもりはないとシンは明言していた。

「これで夏輝とゆっくり過ごせるな」

そう言って俺を抱きしめてくれたあの頃よりも、シンはさらに背が伸びた。 未だに168センチで伸び悩んでいる俺に対し、あの頃175センチだったあいつは今、180に届いているのではないだろうか。 元々あった俺との身長差は、シンが俺をからかう格好のネタだった。

「るせぇな。俺の成長期はまだなんだよ!」

口では抵抗しながらも、そうやってジャレる時間を俺は心底楽しんでいた。

朝は駅で待ち合わせ、週1回のシンの部活がある日以外は帰りも一緒。 良家の子息らしく、シンは茶道をたしなんでいて、顧問に頼まれる形で茶道部に在籍していた。
休日に街で会うこともあったし、図書館で待ち合わせて勉強することもあった。
たまに俺の家にシンを招くことはあったけれど、豪邸だと噂されるシンの家には行ったことがなかった。 たしか気後れしそうだからと、俺が言ったからだと思う。 良家の子息だと言われているわりに、シンは至って常識的で庶民的感覚も持ち合わせており、普段家のことは全く気にはならなかったのだけれど。

傍目には不釣り合いに映るかもしれないけれど、俺たちの交際は順調だった。 会えばキスをしたし、身体のつながりもそれなりにあった。 たとえそんなのはなくたって、シンがいれば毎日が幸せだった。

そんな人並みにゆったりとした幸せな日々が、3年間約束されていたはずだったのに。


*****

「早瀬くん、ちょっといい?」

木之本峻に声をかけられたのは、高1の秋だった。
その日はシンが部活の日で、一人で本屋にでも寄るかと考えていたところだった。 下足箱から革靴を取り出した俺は、聞き慣れない声を耳にして不信感もあらわに振り返った。

「……だれ?」

いくら俺でも先輩に対してこんな失礼な物言いはしない。 きちんと胸の学年章を確認し、ローマ数字の?を見てそう言ったのだ。
胸元から上に目線を上げ、相手の顔を確認し、やはり知らないヤツだと思ったとき、そいつは俺の顔を見て薄く笑った。

「本当に覚えてないんだね。中等部、1年と3年で同じクラスだったんだけど」
「悪い。俺、あんま頭よくねぇんだわ。名前聞いたら思い出すかもしれねぇけど……」

暗に名乗るよう促すと、そいつは片方だけ口角を上げた。目は全く笑っていない。

「副会長まで勤めたひとが、頭悪いわけないでしょ。……俺、木之本だよ」

きのもと……?
目の前に立っている相手は俺より10センチくらい身長が高い。 サラサラの黒髪からのぞく、さっきから全く笑わない瞳は、冷たい感じのする切れ長の一重で、すっと通った鼻筋と薄い唇とのバランスも悪くない。 よく見れば整った顔だ。
こんなヤツ、クラスにいればそれなりに目立ちそうなものなんだけど……。

「無理もないか。あの頃の俺は、目立つ君たちと違って地味だったからね」

なるほど。 今はそれなりにってことなのか。

「で、何の用なんだよ、木之本」

名前だけには多少覚えがあったので、とりあえず呼んでみる。 するとそいつは可笑しそうにケタケタと笑った。

「……はじめて名前呼んでくれたな!」

相変わらず目は笑っていない。
なんとなく、嫌な感じのするヤツだ。 話し方が全く好意的ではない。 本能が、こいつとは関わりあいになるなと警鐘を鳴らす。

「用がないなら行くぞ。急いでるんだ」

トントンとつま先を床に打ちつけて足を靴の中に突っ込み、木之本の横を通り過ぎようとしたすれ違いざま。

「横屋くん」

聞き捨てならない名前が耳に飛び込んできた。

「……シンがなんだよ」
「つき合ってんでしょ?」
「……!」

同性との交際が男子校でよくあることとはいえ、俺とシンは仲の良い友人で通してきた。 校内で恋人らしい振る舞いをしたことはないはずだ。
いつもどおり、笑って否定してしまえばよかったのに。

「……ちげーよ」

その日の俺は、一瞬だけど答えに詰まってしまった。 木之本の嘲笑まじりの低い声に、ひるんでしまったのかもしれない。

「俺の話、聞いてくれるよね?」

有無を言わせない口調だった。 俺は無言で木之本の冷たい瞳を見た。
まだ何も聞かされていなかったこの瞬間に、脅す者と脅される者の構図が、すでに出来上がっていた。

あいつは俺を奈落の底に突き落とし、もがく様を見て愉快そうに笑っていた。

「横屋くんち、地元で有名な名士なんだってね。親御さん、悲しむだろうな……跡取り息子がまさか」
「言うなッ!」

手足を拘束された状態で、体育倉庫の床に半裸で転がされた俺は、大声を出した。 外に聞こえても構わねぇ。

「言うなというならこれ以上言わないよ。俺が何を言いたいのか、早瀬くんはわかってるみたいだから……」

下卑た笑いというのは、まさにこれのことをいうのだろう。 薄い唇を歪ませクツクツと笑う木之本に、唾を吐きかけてやりたい衝動に駆られた。

「くそ……ッ」

唇を噛む。 手首に薄汚れた白い布が食い込んでいる。リレーで使うたすきのようだ。 視線を落とすと、ファスナーを下ろされ、膝下の縛られた部分までずり落ちた制服のズボンが見えた。

助けを呼ぼうにも、この春校舎脇に2つめの体育倉庫が新設されてから、グラウンドの端にぽつんとあるこの古い体育倉庫には、普段はほとんど誰も寄りつかない。
木之本は体育委員だと言った。 鍵が自由になるということか。

「こんなことして……ただで済むと思ってんのか」

精一杯の強がりで、凄んでみせる。

「馬鹿だね。誰かに言ったとして、困るのはお二人さんだよ?」

可笑しそうに笑う木之本。 思えばこの頃はまだこんな丁寧口調だった。

「何が目的だ……?」
「別に。何やっても目立つ君たちが気に入らないだけ」
「はっ…!嫉妬か……よ…つッ!」

突然股間を踏みつけられた。 目の前に火花が散る。

「減らず口も悪くないけど、あんまり調子に乗るなよ?」
「……ッ」
「おっと……萎えてもらっちゃ困るな。これからってとこなんだから」

そう言うと木之本は、どこからか持ち出したロープで俺の両足首を固定し始めた。

「なにす……ッ」
「何って……わかるでしょ。この位置に結び目があると邪魔なんだよね」

言いながら木之本は、膝下あたりにあった最初の足かせをほどいた。 新たに足首を固定されているので、やはり自由は奪われたままだ。

「ちょっと寒いかな、もう10月だし」
「やめ……ッ」

木之本が下衣に手をかけたかと思うと、下半身が一気に外気にさらされた。全く反応していないのが、せめてもの救いだった。 いたぶられて興奮する趣味は、俺にはない。

「ふーん……。ま、これからだしね」

つぶやくと木之本は、やおら俺の下半身に手を伸ばした。

「ま、とりあえず一回イケば?どうせ後ろも慣れてるんだろうから、単に無理やりヤッたってつまんないし」

こんなヤツにイカされることで、俺が屈辱を味わうと同時に自己嫌悪に陥るとでも思ってるんだろう。
ギリッと奥歯を食いしばる。
心を強く持たなきゃいけない。 身体は屈しても、心は屈しないように。

思えば最初のこの時から、俺には覚悟のようなものができていたんだ。
どうすることもできない状況への諦めと、ひとりで背負っていく覚悟のようなものが。

「別れるって言えば楽にしてやるのに」

始まりの日から毎回木之本が口にする聞き飽きた台詞だ。

「誰が別れるかよ。お前の思い通りにはならねぇ!」

俺の答えも、いつも同じ。あいつも聞き飽きただろうに。

「ホント馬鹿だな」

哀れなものを見るような目をした木之本は、ため息をつき、それから豹変する。

「思い知れよ」

犯された。 何度も何度も。 暴力の程度は回数を増すごとにひどくなったが、俺の身体もそれに順応していった。

脅し、いたぶる者と、脅され、いたぶられる者。
身体がどんなに痛めつけられても、心は譲るまいと思って耐えてきた。

2年間。

シンが好きだった。



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