悪魔の合鍵

04



*****

春にはまだ遠い旅立ちの日は、快晴だった。

中等部に入学してから6年間。 あっというまだった気もする。 身体は成長したけれど、中身はそれに見合う成長を遂げただろうか。 今日が最後の制服の胸に付けられた造花だけが、卒業生らしさを物語っている。

進学希望者が大半だった。 大学に合格した者、浪人が決まった者、明暗はほぼ分かれた後の今日。 自宅学習を決め込んでいた奴らも、卒業式だけには出席する。 久しぶりに合わせる顔も少なくなかった。

「元気だったか?」
「おー元気よ。身体だけはな!」
「また来年があるって!」

そんなやり取りを聞きながら、窓の外に視線をやる。 クラスメイトが、ロッカーに置いていた荷物を紙袋やカバンに詰め込む音がする。 俺は毎日登校していたので、今日までに荷物はほとんど持ち帰っていた。

あれから俺は、シンばかりか木之本とも会っていない。 今日まで二人とも欠席を続けていた。

あの日望みどおりに気絶してしまった俺が体育倉庫で目を覚ましたとき、まず目に入ったのは手首に巻かれた湿布の白だった。 続けて上半身に掛けられた制服の紺色が、その次に感情のない目をした木之本が映った。 身体に不快なところはなく、カッターシャツもズボンも履かされていた。 事後処理を全てした上で、木之本は手首の手当てをしたということだ。

「何時……?」

窓のない体育倉庫には、日の光が入らない。

「7時…、夜の」
「そうか……」

昼過ぎから行為を始めて、気を失ったのは3時ごろだっただろうか。 木之本は4時間もここで俺を見ていたのか。

「悪い、先に帰ってくれてよかったのに」

処理までしてもらった手前、まずは謝っておく。 それに今日は、俺が望んでこうなったわけだし。

「別に……。帰ろうと思ってたとこだし」

ぶっきらぼうに答えた木之本は、もういつもどおりのあいつだった。

「そうだ、早瀬」

帰り際、いかにも取ってつけたように木之本が切り出した。

「もうやめてやるよ」
「は……?」
「喜べよ。今日みたいなお前じゃ、つまんねぇんだよ。悪態つきながら抵抗してくるお前を無理やりヤるのが良かったのに」
「何……」
「そういうことだから。じゃあな」

頭が回転を始める前に、古くて立て付けの悪い引き戸が閉められた。

「鍵……」

見回してみると、俺が制服を放った跳び箱の上に鍵が置いてあった。 学校の備品である印のプラスチックの札がついていない。

「合鍵かよ……。用意周到だな」

俺はひとりごちた。
今起きたことについて、頭が考えるのを拒否していた。



「夏輝、いいか」

最後のホームルームが終わると、教室のドアの脇には予想通りシンが立っていた。
相変わらず完璧な男前だな、なんて思いながら立ち上がる。 不思議と胸にこみ上げるものはなかった。

屋上へ続く階段の踊り場に連れられて来た。

「シン、合格おめでとう」

にっこりと笑い、あらかじめ聞いていた事実を、まずは祝福する。

「ありがとう…」
「良かったな。頑張ってたもんな」

嫌味でもなんでもなく言ったつもりだったのに、シンはかすかに苦い顔をした。

「夏輝、あのさ……」

「シン、今までありがとう。今日で卒業だし、きれいに終わりにしよう」

握手を求めるつもりで右手を出した。
一瞬面食らったシンが、困ったように苦笑した。

「……ああ。ありがとう」

握られる手。 少しだけ胸がツキリとしたけれど、これはきっと感傷だ。

「……聞かないのか?」
「うん。必要ない」

言い切ると、本当に清々しい気持ちになれた。

「じゃあな。元気で」

シンを残し、片手をあげてその場をあとにした。

シンを責めることはできなかった。
最初は脅されていたとは言え、木之本との関係を2年以上続けてきたんだ。

その木之本を探すため、なじみのない教室を覗く。 別れを惜しむヤツらがまだかなり居残っている。

制服のポケットをポンと叩く。 硬質な感触をかすかに感じた。 心許ないくらいに小さいそれは、大きな存在感を持って確かにそこにあった。

ロッカーの前で、荷物を取り出している後ろ姿を見つけた。 無関係の教室に、ためらいなく足を踏み入れる。

「木之本……」

制服の背中がピクリと動いた。

「何か用か?」

振り返ることもせず、作業を続けている。

「話がある」

場所を変えなければならない。 こいつとは人に聞かれたくない話しかないからな。

「……ちょっと待ってろ」

相変わらずこっちを見ないまま、木之本は言った。



体育倉庫の裏に立つ木之本を見上げる。 こうしてまともに立ち姿を見るのは久しぶりだ。

「やっぱ入らねーの?俺、まだ鍵持ってんだけど」

冗談めかして言えば、木之本はかすかに目を細めた。 目に感情が現れたのを見たのは、初めてかもしれない。

「記念に取っとけよ」

ククッと笑う木之本は、やはりこれまでとは随分印象が違う。 思ったとおりだ。あっちが偽物だったってわけか。

「わかった。思い出の品にしてやるよ」

軽口に乗ってやった形だが、案外俺は本気だった。
これに詰まっているのは、悪魔との思い出。

「ありがとな」
「何が」
「おかげできれいに別れられた」
「あぁ……」

遠くに視線を移す、元悪魔。

「お前が家に行ってみろって勧めてくれたから……ってもしかして知ってたのか?」

悪魔の化けの皮が剥がれたとなると、全てがこいつのシナリオどおりな気がしてきた。

「……まぁな。気づいてよかったんじゃねぇの」

ボソリとつぶやく木之本は、俺の目を見ない。

「何で知ってたのかとかは聞かねぇから。ありがとな、ホント」
「犯しまくったヤツに礼とか、お前イカレてるぞ」
「たしかにな。イカレたヤツに3年近くつき合ってたから、俺までイカレちまったのかもな」

太陽の下カラカラと笑う俺に、木之本はようやく視線を向けた。



聞かなかったから真相はわからない。

どうしてこいつが、シンの不実を知っていたのか。 どうしてこいつは、俺を脅して関係を持つという手段を選んだのか。 こいつが俺に、どんな感情を抱いていたのか。

わかっていることはひとつだけだ。

「今日で卒業だな。何もかも」
「……そうだな」

木之本と二人、さっき出てきた校舎を見やる。

「木之本……」
「何?」
「よくも俺から色々と奪ってくれたな!」
「は……?さっきは礼言ったくせに……」
「いいんだよ。恨み言も言わせろ」
「矛盾してんな、お前」
「るせぇ。お前もなんかよこせ!」

そう言って俺は、ヘッドロックの要領で木之本の首に腕を回した。 少し背伸びをしなければならないのが屈辱的だったが、こいつに与えられる屈辱には慣れている。

「……っなにす…ッ!」

抗議の声をあげる唇をすばやく奪う。
こいつとキスをするのは初めてだった。

「これで全部チャラにしてやるよ!」

笑いながら俺は走り出した。



END



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