悪魔の合鍵
03
*****
シンに彼女がいた。
しかも家族公認の。
不実に気づいたからといって、そんなにすぐ忘れられるような恋ではない。
一晩中胸が痛かった。
学校を休んだ。
自由登校期間に単なる惰性で行っていたわけだし、誰も咎めるヤツなんていないだろう。
シンは――、シンはどう思うだろうか。
もしかしたら、気づいてももらえないかもしれない。
クラスも違うし、登校しないで自宅学習という手段もある。
自宅学習という考えは、俺をまた苦しめた。
家で彼女と仲睦まじく教えあいながら、勉強するシンの姿を想像してしまう。
彼女の通う高校は、お嬢様学校でもあり進学校でもある。
利発そうな顔立ちだった。
学力もきっと高いに違いない。
もしかしたら、シンと同じ大学を志望しているかもしれない。
そして春からは同じキャンパスに通う二人。
「……っ」
涙が出そうになった。
どう考えたって、桜の下に想像する二人は、お似合いだったから。
夕方近くまで俺は、水も飲まずに自室のベッドの上でよくない考えに翻弄されていた。
両親が共働きでよかった。
いつからシンは彼女と……。
俺は一体何のために木之本と……。
考えても仕方のないことなのに、ぐるぐると考えずにはいられなかった。
夜になって両親が帰宅したので、俺は自室から出た。
心ここにあらずで夕食をとり、風呂につかる。
湯をひとすくいしてはこぼしを何度か繰り返す。
ふと手首に目がいった。
肌にひとすじ残る、赤紫色。
――思ったより残らなかったな。
呆然と考えた。
「なんだ、あいつうまくなってんじゃん…」
湯気に巻かれながら、俺は知らないうちにつぶやいていた。
*****
結局土日を含めて5日ほど休み、明けた月曜日の朝は、冬の雨だった。
このまま卒業式まで、学校に顔を出さないことも考えた。
考えたけれど……、やはりけじめをつけなければ。
一度、シンと話してみよう。
あの後シンからは、何の音沙汰もなかった。
やましいことがないのなら、習慣になっている挨拶程度のメールぐらいはあるはずだ。
それが全ての答えのような気はしていたけれど、やはり面と向かって答えてほしかった。
本気で好きだったのだから。
傘の水気を乱暴に切って傘立てにつき刺す。
結構な降り方だったので、制服の肩が少し濡れた。
海軍の制服だかなんだかを模したスタンドカラーのこれとも、あと少しでお別れだ。
「お、久しぶりだな早瀬ー」
クラスメイトが濡れた肩を叩いていく。
「おー…」
気のない返事をして、廊下をタラタラと歩き、教室に入った。
授業らしき授業はない。
ほぼ自習時間だ。
この雨のせいか、いつもよりさらに出席者が少ない気がする。
「お前らってホント仲いいよなぁ」
前の席にガタンと座った吉井(よしい)が、こっちを向いて言った。
「え?」
「横屋とお前。休みまで合わせてんのか?」
「……えっ」
吉井は中等部の生徒会で書記を勤めていた。
俺とシンの仲の良さをよく知ってるヤツだ。
「……シンも休んでたのか」
「知らなかったのか?もしかしてケンカでもした?」
「いや……そんなんじゃ…」
知らなかった事実に驚くと同時に、やっぱりなと思う自分もいた。
「卒業間際なんだから、ケンカなんかすんなよな」
そう言って吉井は苦笑した。
昼休み、隣のクラスをのぞく。
「早瀬ー。横屋なら休みだぜ?」
教室の奥の方から声がして、その事実を知る。
どいつもこいつも、俺の顔を見ればシンのことばかり。
今さらながら考えてしまう。
俺たちってどんなふうに見えていたのだろう。
公認の……。ダチかな。
それが普通だ。
シンが欠席しているのなら、今日学校に来た意味はない。
早退してしまおうと、カバンを持って教室を出た。
「帰るのか?」
3つ先の教室を通りすぎようとしたところで、聞き慣れてしまった声に呼び止められた。
「自由登校なんだからいいだろ」
言い捨てて、歩調を変えずにそのまま立ち去ろうとした。
「待てよ」
しばらく進んだところで腕をつかまれた。
「どうせ暇なんだろ。つき合ってやるよ」
からかうような口調。
失礼な上に恩着せがましいヤツだ。
「着いてくるなら勝手にしろ……」
お前と言い合う気力なんか、今日はねぇんだよ。
「……わかった」
木之本の声色が変化した気がした。
外の雨は止んでいた。
近道だからとぬかるんだグラウンドを横切り、校門を目指す。
靴が汚れるのも構う気にはなれない。
「違うだろ」
あと少しで構内を出るというときに、再びつかまれた腕。
振り返ってため息をつく。
「……鍵。持ってんの?」
投げやりに言えば、木之本は目を見開いた。
「は……お前…」
「持ってんなら、さっさと行こうぜ…」
自ら進行方向を変え、荒い足取りで古い体育倉庫に向かう。
ザシッザシッとはねあげた泥が、ズボンの裾を汚した。
「縛れよ」
マットの上に足を投げ出し、ぞんざいに指示を出す。
「お前、今日可笑しいぞ」
さすがに木之本が不信を訴える。
「素直に喜べよ。縛って犯してくれって言ってんじゃねーか」
「何があった…」
「なんもねぇ。早くしろ」
どうでもよかった。
俺の、2年間。
縛り上げられてめちゃくちゃに犯されたら、集大成になるだろうか。
そんなことを考えたら鼻の奥がツンとした。
「……わかった。脱いで待ってろ」
跳び箱の上に乱雑に制服を放る。
明日着るかどうかもわからない。
ビリビリに破いてしまえば、卒業式にだって出られないかもしれない。
ほの暗い考えは、なぜか気分を高揚させた。
俺に流されてか、木之本の様子がいつもと違う。今日はこのまま従順な俺のしもべになってもらおう。
無言で拘束に使えそうなものを探しているその背中に、唐突にしがみつきたくなった。
「きつく縛れよ、もっと」
すでに血の滲んでいる手首を見て、木之本がひるむ。
「傷になるぞ?」
「構わねぇよ」
「バレてもいいのか?…横屋に」
「るせぇッ!」
大声で木之本を制する。
その名前を今は聞きたくない。
察したのか、木之本はそれ以上何も言わなかった。
ただ黙々と、俺の手足を拘束した。
「酷くしろよ、今日は」
「……」
「トンじまうくらい、めちゃくちゃにヤれよ。お前の気が済むまで」
お前の気が済むまで、か。
自分で言っておいて笑いがこみ上げた。
ちがう。
俺の気が済むまで、だな。
「うぁぁ…ッ!」
身体を二つに折り畳むような姿勢で、局部の拡張もほとんどしないまま入れさせた。
全身を引き裂かれるような痛みに、そこばかりか噛みしめた唇も切れた。
身体だけなら、どれだけ裂かれたって構わない。
むしろこの汚れきった身体が砕け散ってしまったなら、心だけは守られるんじゃないか。
そんなかすかな望みが、ぼんやりと頭をよぎる。
俺の従順な下僕へと立場を変えた木之本は、忠実に願いを叶えようと乱暴に腰を打ち付けてくる。
もっと……、もっとだ。
身体が砕け散って、思考も飛んでしまえば、心だけが残る。
身を挺してシンを守ることを決めた、あのときのままで。
「大丈夫なの…か?」
息を切らしながら、木之本が訊ねる。
薄目を開けると、これまで見たことのない表情がそこにあった。
「壊せって……言っ…ただろ!」
結合に邪魔な足枷は外してあった。
縛り上げた両手首をさらに頭上のポールに固定させた姿に、犯されている自分を実感する。
「殴れ……よ」
片目を開けて、指示を出す。
「いや、違う……な。くび……絞めてくれ」
「早瀬……」
眉根を寄せた木之本。こいつにはそこまでする趣味がないことをうかがい知る。
「落ちても構わねぇっつってんだろ!絞め……ろよッ」
上がる息を堪えて、声を荒らげる。
「……くそッ」
瞼をギュッとつぶる木之本が視界に入った。
首にかけられる、骨ばった指。
それを感じると同時に、俺もかたく目を閉じた。
身体が勝手に、こいつの形を記憶してしまっている。
仕方ない。シンと4年目ならば、木之本とは3年目になる。
高3になってからは、数えるほどしかシンと寝ていない。
身体を交えた回数ならば、同じくらいかもしかしたら木之本との方が多いかもしれない。
行為の濃度で言えば、間違いなくこの悪魔のような男との方が濃い。
「…ひぁッ」
えぐるような動きで最奥を突き上げられ、悲鳴のような声が出た。
痛くても構わない。
痛みを快感に替える術も覚えた。
こんなの……、お前じゃなきゃ……。
一度認めてしまえば、楽になれた。
「は……いい…もっ…と」
本能が脳をスルーして言葉を作り出す。
いつしか木之本との行為は、俺にとって解放の場になっていた。
鬱積する欲望の、解放の場に。
悪態をつき抵抗してみせるのは口ばかりで、実際の俺は、優等生で紳士的なシンとでは味わえない快感に酔いしれていた。
力強く打ちつける下半身に対して、首にかかる指の力が弱まった気がした。
これじゃ飛べない。
「足りねぇよ!…もっと、指、力入れろッ」
「……ッ」
一瞬だけ止まる腰の動き。
指に入れられる力が、少しずつ増していく。
視線で促すと、木之本は再びギュッと目をつぶった。
ギリ……。
薄い皮膚に、爪が食い込む。
狭められる気道に、呼吸もままならない。
そうだ……もう少し……。
まぶたの裏がちかちかしてきた。
「あぁぁぁぁ……ッ!」
あと少しで飛べるというところで、突然木之本が叫んだ。
首から離れた手が背中に回り、そのままギュッと抱きしめられる。
「ケホ…ッ」
気道が拡がり、急激に取り込まれた外気にむせた。
「……はッ…なに…やってんだよッ」
「できねぇよ!」
俺を強く抱きしめたまま、耳元で木之本が声を荒らげる。
「あぁ?」
「くそッ……そんなに飛びたいならな……」
「……ッ!」
ひときわ強く抱きしめられて、再び息がつまった。
「そんなに飛びたいならこっちでイケよ!」
そう言うと木之本は、猛然と律動を再開した。
汗に湿る肌の熱さをダイレクトに感じる。
激しく揺さぶられながら考えた。
今の俺に必要なのは、本当はこれなのかもしれない。
「……んッ…ぁッ…」
拘束され頭上に固定された手を、その広い背中に回したいと思いながら、意識が遠のいていく。
「…くッ」
ただでさえ熱い身体の中に、さらに熱い迸りを感じながら真っ白になった。
完全に世界から遮断される寸前。
「……きだ」
そう聞こえた気がした。