シトラス環状線

03




「……はよ」

「っす」

短い挨拶は、いつもどおりだ。
シュンの顔を見るのが照れくさいとか、そういうんじゃない。昨日逃げるように帰ってしまったことだけが、俺をむず痒い気分にさせていた。

自転車を押して船に乗り込み、海を渡る。冷たい風に目を細めながら、ガンガンうるさいエンジン音を聞いて過ごす。潮のにおいとはちがう、湿ったにおいが漂っている。見上げる曇天。帰りは降られるかもしれない。

「くんちゃん、カッパ持ってきたー?」

「ガッコに置いとるー」

エンジン音に負けない程度の声量で会話する。シュンも天気のことを考えてたんだな。
空を見上げた俺のことを見ていたからかもしれない。意識しはじめると、どんどん自意識過剰になっていく。

「俺もー。帰りは忘れんようにせんとねー」

「おー」

シュンの方もいたっていつもどおりだけれど、内心はわからない。どんなに近くに居たって、他人は他人だ。
こいつを困らせたくはないな。それだけを考えていた。俺の感情がシュンにとって迷惑ならば、潔く引くつもりだった。

その日は予想どおりカッパを来て帰ることになった。それから3日は冷たい雨の毎日で、なるべく短時間で登下校を済ませたい俺たちの間には、会話らしい会話はなかった。
あの時やけに食い下がったシュンが、まるで何も言ってこない。あいつがどうしたいのか、全くわからないままだった。今ならあの時のシュンの質問に答えられるのに。そう考えながら、張り付くビニールに顔をしかめ、朝晩懸命に自転車をこいだ。

4日目。久しぶりの青空と雨上がりの澄んだ空気に誘われて、帰りは峠越えを提案した。
やっとシュンとちゃんと話せる。別に気まずくはなかったけれど、腹に何かを抱えたままでいるのは嫌だった。

「座ろうで?」

同じように考えていたらしいシュンが、俺を促した。こういう時は口数の多いこいつが先手を取ることが多い。いつものガードレールではなく向かいのブロック塀に背中を預けて、ふたり座り込んだ。人通りはない。

「で、答えは出たん?」

何の前置きもなしに、いきなり切り出すシュンに苦笑する。ならばこっちも躊躇いなく返してやろう。

「出た。案外あっさり」

「好きなんよね?」

「おう」

告白シーンには程遠い、なんともあっけらかんとした会話だ。二人っきりだし、ロマンチックに海だって見えるというのに。

「ちょっと意外じゃったんよねー」

目を伏せたシュンが、ケタケタと笑う。

「なにがよ」

「だって、くんちゃんはショウゴだって思うとったんじゃもん」

笑いながらシュンが口にしたのは、衝撃的な勘違いだった。

「……はぁ? それは……」

「ちがう? いっつもショウゴばっかり見とったじゃろ?」

「ちがうわ! ていうか、それはお前じゃろ? ショウゴ追い回しとったんは」

いつもショウゴばっかり見て、ショウゴの真似ばっかりしてたもんな。憧れの域を超えてるって、ずっと思ってた。やっと言いたいことを言えて、すっきりした俺の目の前で、シュンの表情が見る見るうちに変わった。図星か? 図星刺されて動揺してんのか?

「何言うとるん? 追い回しとらんし! 俺、ずうっとくんちゃんじゃもん。本土の高校に行かんかった時点で察してぇや」

「察せるか! って、え、シュン?」

頭の中がものすごい速度で回転している。でも、追いつかない。シュンの気持ちがどこにあったのか、俺まで勘違いしていただなんて。
自分の潜在的な感情にはすぐに合点がいったのに、シュンもそうだったとなると、さすがに気持ちが揺れた。

「ははっくんちゃん、面白い顔しとるー。俺、ずうっと好きじゃったんよ?」

相変わらずケタケタ笑いをやめないシュンは、俺の目を見ないままで大事なことをさらりと言ってのけた。視線がずっと足元なのは、こいつなりに照れているのだろう。

「……ほんまか」

「ほんまほんま。嘘言うてどうするん?」

「マジかぁ……」

まさかの告白だ。自分の想いがシュンの迷惑にならなければいいだなんて控えめな気持ちでいた俺は、しばらく放心するしかなかった。

「くんちゃん、あのさ」

「なに」

「じゃけぇ、俺連れて島を出るって言うてくれたん、ほんまにうれしかったんよ?」

「……あん時はそんなつもりじゃなかったし」

「でも、今はちがう?」

「まぁ……それでもええけど」

照れ隠しに言葉尻を濁した。さっきまでのあっけらかんとした空気はどこに行ったんだ。
シュンが顔を上げた。底抜けに明るい笑顔だ。

「連れて出てや? 約束な?」

「……大学、ちゃんと受かれよ?」

「がんばるしー。でも、くんちゃんとおんなじとこは無理かもしれん」

「んー」

それはわかってる。一緒に島を出たって、これまで通り一緒に過ごせるとは限らない。

「じゃけぇ、ルームシェアせん? 一緒のとこは無理でも、近くには居れるようにするけぇ。ね?」

「……ルーム、シェア?」

じゃけぇって……唐突だな。女子っぽい思考にも脱力したけれど、それもいいかと考え直した。シュンなりに、いろいろと考えてくれているみたいだ。
可愛いとこ、あるじゃないか。自然と顔が弛んだ。

「じゃったら、こんなんしとる場合じゃないで? はよ帰って勉強せぇや」

これが俺の返事だ。ちゃんと通じたらしく、パッと立ち上がったシュンが、笑顔で敬礼を決める。

「了解! でも息抜きにチューくらいしてぇや?」

「アホなこと言うとらんと、はよ行け!」

「はいはーい」

投げキスを飛ばし、猛ダッシュで自転車をこぎ始めたシュンを、笑いながら追いかける。思い切りペダルを踏み込むと、潮風が一瞬で額の髪の毛を吹き飛ばした。冗談みたいで本気な恋のはじまりだ。

斜面を埋め尽くすみかん畑。軽トラをどんなに端に寄せても半分塞がれてしまう狭い道。峠の坂道を下りきると、県道に出る。ここからは海沿いをひたすら走れば、島を一周できる。

ぐんぐん流れていく景色。ここが俺たちの故郷だ。どこに行ったって、ぐるり周って戻ってくる。何年か経ったらまた、二人並んでぶっさいくな果実を剥きながら、今日のことを思い出すのかもしれない。




END



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