複数恋愛

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プロローグ






―そもそも俺たちは、誰ひとりとして胸を張っていられるような関係じゃなかった。







『複数恋愛』




1章 いつもの火曜日(Side光)



「ただいま」

後ろ手でドアを閉め、脱いだ靴の向きを足で器用にかえながら、灯りのついた部屋に向かって声をかける。
4階建てマンションの角部屋。二人で不動産屋めぐりをして3日目で決めた、気に入りの部屋だ。

「……おかえりー」

ワンテンポ遅れて明るい声が返ってくる。
バックに聞こえる笑い声は、毎週楽しみにしているトーク番組のものだろう。

いつもと同じ、火曜日。
俺の『相方』は、いつもと同じスウェットを着込み、麦茶のグラスを片手に迎えてくれた。
色素の薄いサラサラの髪の毛に、陶器のように透き通る肌を持つ彼は、誰が見ても美しいと形容できる。

「ちょっと遅かったね、光(ひかる)。もう始まってるよ」

『相方』の雅人(まさと)が、空いた方の手で、ちょいちょい、と手招きをした。
クスリと笑い、かばんを玄関先に置くと、そのまますぐそばの洗面所に入る。
手を洗い、うがいをする。
共同生活をする上で、家に感染症を持ち込まないことは、とても重要だ。

鏡に映る自分の顔を、まじまじと眺める。
だらしなく見えない程度に短くしているくせのない黒い髪。印象の薄い一重まぶたと薄いくちびる。
いたって普通の、いつもの俺だ。

「お待たせ」

途中通過したキッチンで、雅人と同じようにグラスに麦茶を入れ、それを持って隣に座った。

「光、何かあった?」

テレビの画面から視線を動かさずに、雅人が聞いてくる。
……相変わらず、勘がいいな。
何かあったかどうか、俺自身でさえ把握していないのに。
でも、確かに胸の中で、何かが揺らいでいることには間違いない。

「いや……どうかな」

曖昧に答えると、息だけで笑われた。

「また光は……。自分のことよく見てないんだから」
「雅人が見すぎなんだよ」

今度はふふっ、と笑い声が、雅人の口から漏れる。

「そうだよ。俺は、光のこと見すぎてる」

ポン、と頭に置かれた手のひらが、優しい温かさで俺を癒す。

「ありがと、雅人」
「なに?」
「わかっててくれて」
「ああ、そういうこと」
「俺のこと、こんなにわかってくれるのはお前だけだ」
「だろうね」
「理解されてるって、うれしいな」
「だよね、でもそれは、お互いさまだよ」

頭に置いた手のひらが、そのまま下に下りてゆく。頬を包まれたら、全身に温もりが広がった。
羽の止まるような口づけ。それは柔らかで優しくて、雅人の存在そのものみたいだ。
幸せに浸りながら、何度か唇をあわせた。

「……テレビ見よ?」

少しだけ眉を寄せた雅人が、鼻先で囁いた。
そうだったな。これ以上進むと、いつもの火曜日じゃなくなる。
番組が終わって……、シャワー浴びてから、だな。



*****

「……で、何があったの」

熱を吐き出した余韻で湿り気の残るシーツにくるまり、うつ伏せのまま、雅人がこちらに顔を向けた。

「ん。たいしたことじゃないよ」

そのつもりもないのに、言葉にくっついて出たため息。

「……礼二さん?」
「あぁ。いつものことだろ?」

苦笑まじりに言えば、雅人がその美しい眉根を寄せた。

「また連絡が取れないの?」
「まぁな。って言っても、まだ5日だけど」
「着信やメールは残してるんだよね?5日も本命を放っておくなんてどうかしてるよ」
「今さら……。本命かどうかなんて、わからないよ」

それに、電話もメールも、3日目であきらめている。礼二からの連絡が途切れることに、俺も慣れてきているのかもしれない。
でも、なんだって、俺は雅人に、こんな話をしているのだろう?
仮にも、今しがた身体を交えた相手だ――いや、正確には交わってはいないのだが。
何食わぬ顔で聞いてくる雅人も雅人だ。
しかし、こんな光景はあまりにも日常的過ぎて、俺たちの感覚はもはや麻痺している。
雅人にだって。

「尚宏(なおひろ)さんとはうまくいってるのか?」
「あぁ、ありがとう。大丈夫だよ」

にっこりと花が咲いたように笑う雅人は、本当にきれいだ。
きれいで、優しくて、理性的。
雅人の恋人である尚宏さんは、なんだって、こんな完璧な雅人を一途に愛せないのだろう。自分のことは棚に上げて考える。
尚宏さんにも、不倫の関係の恋人がいるらしい。
優しくて包容力のある雅人は、あちらでもこちらでも、恋人の恋愛相談に乗っているというわけだ。
恋人の恋愛相談。おかしな響きだ。

俺と雅人も、きちんと恋愛関係にある。
お互い言葉にして伝えているし、想い合っている確信もある。
おかしな関係。
でも、それが俺たちの日常。



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