塩味ハニームーン

08




ひんやりした冬の空気は、人混みの中でもキリリと頬を刺す。
元日。初詣の参拝者で、神社はごった返していた。
――友達と初詣に行ってくる。
母の作った雑煮を食べ終わるなり、そう言って立ち上がった俺に、姉が意味深な視線を投げ掛けていたが、全力でスルーして出掛けてきた。
久しぶりに会えるんだ。他のことなんて、いちいち気にしてられっか。

待ち合わせは卒業した高校の近くの神社だから、元日早々電車に揺られた。流れてく景色を見ながら、通学の日々を思い出したりして。
正面の鳥居の前に立ち、参道に吸い込まれてゆく人波を眺める。
家族連れだとかカップルだとか。みんな、どんな願い事すんだろうな。家内安全とか健康とか、恋愛成就?考えながら、俺、恋愛は成就したもんな……、と勝者の気分に浸る。
そんな俺の願い事はひとつ。あいつも同じことを願ってくれるといいな。

「お待たせ!」

少しだけ、鼻の頭を赤くしたあいつが、肩をすくめてマフラーに埋まりながら現れた。

「あけましておめでとう」
「あ、おめでとう」

年跨ぎ、電話で交わしたお年始だが、顔を見て言うのも新鮮でいい。

ただ……。

「行こっか」
「うん」

顔を見ては、なかなか口に出せないでいる。
お互いの名前。



人波に乗ってノロノロと参道を進み、石段を登った先の境内には、さらにたくさんの参拝者がいた。
ここいらじゃ比較的大きくて由緒正しい神社だから、毎年地元ニュースでその数を読まれるほど参拝者は多い。軽く満員電車状態だ。

押し潰されそうになりながら人波にもまれていると、腰の上を支えられる感触。
隣を見ると、あいつが目配せした。
大丈夫。はぐれないように、だから。
大丈夫。誰も見てないから。
そんなふうな目配せ。
腰に回ったあいつの腕が、そっと俺を引き寄せる。
誰も見てないとは思うけど……。

密着した身体の側面が、無性に熱く感じられてドキドキする。人混みの中だから、他人と身体の一部が触れるなんてよくあることなのに。あいつが触れた部分だけは、こんなにも熱い。
意識してる、俺。
触れられたいと、身体が訴えてる。
腰を抱かれた状態で、身体を火照らせながら神様の前に立つなんて。新年早々、なんて冒涜だろうか。こんなんじゃ、願い事も聞いてもらえないかもしれない。

賽銭箱の前に立つ直前、あいつはスッと腕をほどいた。とたんに軽くなる身体と、目の前が開ける感覚。
夢うつつのまま、財布から五円玉を取りだして、投げた。隣からもチャリンと音がする。
一礼、二拍手。
願い事は……。

「……」

礼をして、神殿に背を向ける。一歩先を歩くあいつの後を追う。
帰り道は、行きほどのごった返しはない。途中のおみくじや出店に寄り道する人も多いから。
足を止めたのは、本殿の裏手。さすがに無人ではないが、人気は少ない。
石垣にもたれかかるように立つあいつと向かい合うと、視線の先に広がるのはこの街のパノラマビュー。それくらいの石段を登ってきたんだな。

「願い事は何?」

ゆるりと聞くあいつの顔は、逆光で見えにくいけれど。

「お前と同じだよ……、たぶん」

そう呟けば、思いっきり相好を崩したのが分かった。

「そか、一緒か。じゃあ聞いてくれる?俺の願い事」
「いいよ」

どうせ分かってるし、と頷く。
ふ……と吐息で笑ったあいつは、ゆっくりと口を開いた。

「大学に合格して、拓海と一緒にいたい」

うん。良かった、一緒だ。

「もっと拓海のこと知りたい」
「拓海に俺のこともっと好きになってもらいたい」
「拓海にたくさんキスしたい」
「拓海をたくさん抱き締めたい」
「拓海を離したくない」

「それから……。拓海と、早く繋がりたい」
「……おまっ」
「ほんとに願ってんだからいいでしょ?」

イタズラっぽく笑うあいつにこめかみを押さえる。
途中から耳を塞ぎたくなるような恥ずかしい願い事だった。聞かされた神様も、災難だったな。
ていうか……。

「お前、全然煩悩打ち払えてないじゃん!」

昨日の晩聞かされたこっ恥ずかしいセリフのリプレイなんですけど。

「じゃ、拓海は?」

さらりと名前呼びだし。
あんな恥ずかしい願い事聞かされた後では言いにくいけれど、今さら躊躇っても羞恥が増すだけだ。

「俺も。お前が合格しますように、一緒にいられますように、だよ。……正成」
「……それだけ?」

含み笑いで覗きこんでくる正成を、軽く睨み付ける。

「神様にお願いしたのはそれだけだ!それ以上恥ずかしいこと願えるかばかっ!」
「そう?ま、いーや。でも願ってはくれてる?」
「え……?」
「俺と……俺の煩悩と同じこと」
「……それは……まぁ」
「じゃあ俺でいいから」
「え……?」
「お願いしてよ。……俺に」

俺の手を取り、くるりと身を翻した正成は、そのまま隣の木陰に俺を押し込めた。

「ちょ……、まっ」
「お願い……。して?」

俺の姿を隠すように、密着して向かい合ったあいつの瞳は、その視線で俺の心臓と脳みそを揺さぶるくらいには十分凶器だった。
頑なにつぐんでいた唇が勝手に開いてゆく。
そして。

「俺も……正成と……たくさんキスしたい……」

気付けばそう、呟いていた。

「その願い、聞き届けよう」
「……!」

神様よろしく荘厳な声で答えたかと思うと、正成の唇はそのまま俺のそれに降ってきた。
急いで目を瞑る。誰かに見られてるかも、なんて思考をシャットアウトするために。
このキスに、集中するために。

「ん……ふ……ぅん」

たくさんキスしたいとは願ったけれど。

「はぁ……っま…さな…」

新年早々、こんなに濃いやつを願ってはいない。

場所が場所だけに、声を出すわけにもいかず、されるがままに口内を開放する。何度も角度を変えて吸い付かれた唇は、きっとリップラインも形もぐちゃぐちゃになっていることだろう。
求められて、幸せ……。だけど。これ以上したら、いつかの二の舞だ。

「ま……、待てよ」

辛うじて正成の肩を押しやり、キスの嵐を中断させた俺は、肩で息をしながら熱烈な恋人の説得にかかった。

「ここら辺にしとこうぜ。俺、マジでヤバいから」
「拓海……」

名残惜しそうな正成の声には耳に蓋をして、説得を続ける。

「な、クリスマスんときみたいになっちまったら困るだろ?場所わきまえようぜ」
「あー……」

思い出したのか、我に返った正成が、自分の手のひらを見つめている。
そんな思い出し方、やめろ。俺が恥ずかしいじゃないか。

「……分かった。神聖な場所でこれ以上やったら、肝心な願い事叶えてもらえないといけないもんな」

やっとクスリと笑った正成に、安堵する。
一歩後ろに下がり、背後を気にしながら人気がないのを確認し、正成は俺の手を引いた。

「行こっか。神頼みだけじゃダメだしな」
「そうだよ、マジ頑張れよな。二人分の願い事かかってんだから」

何事もなかったかのように、人の波に戻る。
せっかく露店が出てんだから何か食ってこう、という正成に苦笑しつつ、少しだけ逢瀬を引き延ばすことにした。
一皿のたこ焼きを、二本の楊子でつつく。友人同士でもありそうな、いたって普通のシチュエーション。だけど、ほら。
時おり絡み合う視線で会話しながらだと、あぁ恋愛中なんだなって実感する。
こんな他愛もない時間を、今年もこいつと一緒に過ごしたいな。
煩悩まみれの俺たちは、同じ願い事を胸に、神社を後にした。

帰宅したぐちゃぐちゃの俺の口元に、姉が一瞬射るような視線をよこした気がしたが、それ以上触れられなくて助かった。



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