塩味ハニームーン

07




5. 煩悩の数だけ ―side広野拓海


「拓海ー。そっちが終わったらこの窓お願いね」
「はいはーい」
「明里はバケツの水換えて来てくれる?」
「はーい」

年末恒例の大掃除は、今年も母が気張って指揮を取っている。
俺たちはそのご指示に従うだけ。俺も姉の明里も、それなりに成人しているけれど、こうして家族行事に参加していると、いつまで経ってもこの家の子供なんだなぁと思う。
わが家は比較的仲良し家族だと思う。
高校時代の飯田が、ゲイを告白したために家族に捨てられてこの街に来たって言っていたけれど、俺に男の恋人がいるって知ったら、家族はどういう反応をするんだろうか。やっぱり少し怖い。

「今日も出かけたりしないわけ?」

隣で窓の乾拭きをしながら、姉が聞いてきた。

「なんで?別に予定ないけど」
「そう?あんまり放っておくと愛想つかされるよ?」
「は……?」
「いるんでしょ?こっちに……」

突然始まった姉の誘導尋問。

「冬には珍しく早く帰ってきたと思ったら、イブの夜にお出掛けでしょ?バレバレだからそれ」

母に聞こえないように一応小声で聞いてくれているのが救いだけれど。

「そんなんじゃないって……」

認めたところで相手のことを根掘り葉掘り聞かれても困る。
言葉を濁す俺に、姉はニヤリと笑って囁いた。

「ま、いいわ。でも、クリスマス明けの放置はよくないわよ?」

放置……、か。
放置はしていない。ちゃんと毎日電話かメールはしてる。
あいつの邪魔をしたくないばっかりに、会おうと言い出せないだけで。
飯田は、年末年始実家には帰らないと言っていた。お祖父さんの家で年を越すのだそうだ。
どうせ向こうからお年始に来るしね、と言っていたから、両親とうまく行っていないわけではないらしい。
この街に飯田がいる。会わなくても、近くにあいつがいる。
そう思うと、それだけで俺の気持ちは不思議と落ち着くんだ。

「勉強進んでる?」
「んー。進んでるっていうか、もう定位置を行ったり来たりって感じかな。広野もこの時期そうだったろ?」
「そうだったかな。もう忘れちまった」
「ふ。大学入ってボケたの?」
「るせ。大学生は考えること色々あんだよ」

軽口の応酬。毎日の電話はそんな感じ。
そして。

「ま、頑張れよ。風邪引かないようにな」
「ありがと」

こんな風にあっさり通話を終わらせるのはいつも俺。正直もっと言うべきことがあるんじゃないかと思う。
恋人らしく、声が聞きたかったんだとか、好きだよとか。
会いたい、とか……。

「……言えるわけねーし」

ぽふっと枕に顔を埋めて呟いた。
あいつに合格してほしいと一番願ってるのは俺だ。俺が、邪魔するわけにはいかないんだ。

キッチンのカウンターにはお節の重箱がスタンバイしている。その向こうで、母が年越しそばをゆがいている大晦日。恒例の歌番組を見ながら、やたら人数の多いアイドルグループについてのウンチクを披露する姉と、それをニコニコしながら聞いている父。
俺はそれを横目に、ひとり悩んでいた。二つ折りの携帯電話を閉じたり開いたりしながら。

あと数時間で今年も終わる。
年跨ぎ、あいつと繋がってたいなんて迷惑かな……?
何してるのかだけでも聞いておこうかな。
いや、勉強に決まってるじゃないか。尚更邪魔するのはマズイ。

どんどん歌番組はトリに向かって進行していく。
年末だなぁと呟く父の言葉に、そうだねと軽く返してから席を立った。

―電話いい?

迷った末にさっき打ったメールには、即座に返信が来た。

―もちろん。待ってる。

「邪魔じゃなかった?」

一応聞いてみる。

「全然。てか俺もかけようと思ってたとこだった」
「それならいいけど……」
「やっぱ年越しは一緒がいいじゃん?」

俺が散々悩んでたことを軽々と言ってのける飯田。
いや普段なら俺も、言おうか言うまいかなんて悩まないんだけどさ。言いたいって思ったら躊躇いなく言う性格だし。邪魔したくないって思うから悩んでただけで。

「そう、それ。良かった、飯田もそう思ってたんだ?」
「当然でしょ。カウントダウンは恋人としなきゃ」

受話器越しのクスクス笑いに、俺の鼓膜が震える。
本当はその声をそばで聞きたい。

「あ、もう除夜の鐘始まってる」
「え?」

突然言い出した飯田に驚く。
こんな時間から?

「近くの寺から聞こえてくるんだよ。知ってる?除夜の鐘って年内に108打ち終わらなきゃいけないんだって」
「へぇ知らなかった。年越しながら打ってるイメージが……」
「でしょ?俺もそう思ってた。さっきじいちゃんに聞いたんだ」
「俺も煩悩打ち払わなきゃだなぁ……」

飯田がふふっと笑いながら言った。

「俺の煩悩、聞きたい?」
「あ、あぁ」

うっかりそう返事してしまった俺が間違いだった。
以降、耳から入る怒涛の恥ずかしいセリフのオンパレードに、俺は身悶えし続けることになる。

「俺の煩悩その1。お前に会いたい」
「その2。お前に触りたい」
「お前の髪を撫でたい」
「お前を抱き締めたい」
「お前のおでこにキスしたい」
「お前の瞼にキスしたい」
「お前の耳たぶかじりたい」
「お前の上唇を指でなぞりたい」
「お前の……」

「うわぁぁーっもうやめっ!」
「なんで?108つ挙げられるのに……」
「マジでやめて恥ずかしくて死ねる……」
「ふふっ。てかプレイみたいじゃなかった?」
「えぇっ?」
「想像したでしょ?お前に……したいって言われる度に、されてんのを」
「もー何だよお前、そういうキャラだったか?」
「だめ?広野に対しては正直なだけだよ?」
「……いいけどさ」
「だって広野、ここのところ全然恋人らしい雰囲気出してくれないし?」
「それは……。邪魔したくなかったんだ、察しろよ」
「ありがと、でもさ。気持ちぶつけられた方がやる気出るかなー、俺は」
「……好きだよっ!とっとと合格しやがれっ!」

半ばヤケぎみにぶつけてやった。

「そうそう、その方が燃える!」

なんか余裕そうだな飯田。
ま、いいけどさ。余裕ならそれに越したことはないし。

「今年やり残したことはないかなぁ……。そうだ、新年の抱負!一緒に決めようぜ」

ウキウキした調子の飯田。
今日はよく喋るな。

「新年の抱負は――」

抽選会場のドラムロールばりに、たっぷりと間を持たせて飯田が口を開いた。

「名前で呼ぶこと!」
「えぇっ?俺も?」
「当然。恋人なんだしさ。ま、盛り上がったときだけ名前呼びなのも燃えるんだけどさぁ……」
「ばかっ!……もう。わかったよ。こういうのは恥ずかしがるから余計言いにくくなんだろ?よし、新年からだな」
「お。さすがに広野くんは男前だね」

そんな会話をしつつ、気付けば歌番組は終わっていて、リビングからテレビ越しの除夜の鐘が聞こえ始めていた。

「ね、初詣は一緒に行ってくれる?合格祈願もしたいからさ」

飯田からのお誘いに、二つ返事で了承する。
久しぶりに会える。途端に浮かれる気持ちに、自分で苦笑する。
そんなに会いたかったなら、素直に会いたいって言えばいいのにな。

「あ、ほら。カウントダウン始まる……」
「うん」
「3……2……1……ハッピーニューイヤー!」
「明けましておめでとう!」
「今年もよろしくね。……拓海」

「よろしく。……正成」

素面での名前呼びはなかなか気恥ずかしかったが、段々に慣れていくのだろう。
こんな風に年を越して、俺たちワンステップくらいは前に進めたかな。



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