塩味ハニームーン

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7. 花開くとき ―side広野拓海


その日は俺もなかなか寝つけず、睡眠不足で腫れた目をこすりながらメールを打った。
応援するだけで、何もしてやれない自分。距離的な隔たりもあるから、何のサポートもできない。近くにいれば、たまに気分転換に付き合ったり、差し入れ持っていったりできるのに。

無力な自分の精一杯の思いは、一言紙にしたためてお守りに潜ませた。
あいつが気付くかどうかは別として、そうせずにはいられなかったんだ。
お前の……そばにいる。どんなときも、心だけは。

正成の受験した大学は都内だったから、会おうと思えば会えた。
だが、前日泊もせず日帰りで戻ろうとするあいつに、「会いたい」の一言をぐっと我慢した。
正成だって、余裕そうに見えて人生かかってんだから緊張もするだろう。
なるべく余計なことはしないでおこう。そう思って、落ち着かない決戦の日をやりすごした。

合格発表まではまだ日がある。滑り止めなど一切考えず、第一志望一本でやってきた正成にとっては、無駄に長く感じられる日々になるだろう。
まずはとりあえず、今日を労わなければ。

「お疲れさん」

2コールで出た正成に、開口一番そう声をかける。

「ありがと」
「……どんな感じ?」

手応えを聞くのは少し躊躇ったけど、聞かないのも可笑しいと思い尋ねた。

「ん。大丈夫だと思う。過去問と傾向変わってなかったし」

明るい口調に心底安堵した。

「良かった……」
「拓海のおかげだよ」
「俺は何も……」
「そばにいてくれたろ?」
「あ……」

見たんだ。
途端に恥ずかしさが込み上げる。

「開始直前に発見したんだ。まじ感動した。ありがとな」
「あ、えー……うん」
「何よ、それ……」

照れてもごもご言う俺に、正成が苦笑してる。

「ま、あれだよ。発表までまだあんだろ?他受けないんだったら手持ちぶさただな。どうすんのその間」

話題を変え、一気にまくしたてる。

「ふ……照れてんの?ホント今すぐ抱き締めたいわ」
「んな……っ俺は聞いてんの!」

突然恥ずかしげもなく甘いムードを作り出す正成に困惑する。
受話器越しだと耳にダイレクトに伝わるから、羞恥が増幅してヤバい。

「はいはい。発表までねぇ。結構やることあるよ?」
「え?」
「だって新生活準備しなきゃじゃない。合格するんだから」
「あ……そっか」

正成の中では、合格は決定事項なんだ。余裕そうだもんな。
昔から賢かったし、勉強もしっかりやってたしな。当然か……。
そう思ったとき。

「……なんてね」

おどけた調子だけど揺れる小さな声が耳に飛び込んできた。

「やっぱ不安だからさ、新生活準備でもしてないと落ち着かないってのが本音」

決まり悪そうな声の主を、俺の方こそ今すぐ抱き締めてやりたい。

「正成……大丈夫だって」

そう言うしかないのだけれど。
それだけであいつの不安が払拭できるはずもない。

「俺んちの近くに住めよ。そんなに通学不便じゃないだろ?良い物件探しといてやるから…」

つとめて明るく言う。

「ありがと。当然近くに住むつもりだからよろしく!てか同居でもいいくらい……」
「ばーか」

……同居、か。
考えてもみなかったその言葉を、茶化してからふと振り返った。
いつかは……いいかもな。学生のうちは、無理だけど。
親に学費出してもらって、養われてる以上は、無理だ。特に俺たち、こんな関係だし。
俺個人としては決して後ろめたい関係ではないのだけれど、家族を巻き込むとなるとやはり一筋縄では行かない。

同居はできなくても。
おそらくもうすぐあいつは俺の近くに来てくれる。
本人は少し不安そうだったけど、俺の中には大丈夫だって確信めいた何かがある。
あいつの積み上げてきた今日までの日々とか、強い思いとか……俺の思いとか。
叶わないわけ、ないだろ?



正成に言ったとおり、俺は翌日から不動産屋めぐりを始めた。
ネットや情報誌で探しても良いけど、自分の足で実物や周辺環境確かめながらの方が良いに決まってる。
探す範囲は、俺んちからあいつの大学までの沿線上。俺の通う大学も同じ沿線だから、どっちに入り浸るとしても都合が良い。
てか、入り浸る……?のか…?
恋人同士だから行き来はするとは思うけど、入り浸ることはないような気がした。
正成も何も考えずとりあえず大学に入る学生じゃないし、俺も研究に忙しくなると思う。
それぞれがやるべきことをやって、その上で支え合う。それがこれからの俺たちの形としてはベストなのかもしれない。

俺の方は、休みの日は部屋探し、平日は論文や新年度から入る研究室の手伝いで毎日が過ぎていった。
正成はと言うと、どっちにしてもやっていて損はないから、と図書館で専門書を漁る日々だったようだ。
入学前から専門書読んでる学生なんて稀有だろう。学生のうちからどんどんコンペに参加するのだと言っていたが、本気度が伺える。そんなあいつが、合格しないわけがない。

合格発表まであとわずか。
正成は、当日都内に泊まる予定だと言っていた。合格していたら、なるべく早く部屋を決めたりしておきたいからだとか。
こっちに泊まる……。そう聞いて俺は、軽く言ってしまったんだ。

「じゃ、俺んちに泊まれよ。宿泊費浮くし」

……って。
あの時の考えなしな自分を全力で呪う。いや、結果的には俺んちに泊まることになるんだろうから、泊めること自体は良いのだけれど。
「俺んち泊まれよ」って言葉の重みに気付かなかった自分。合格したら……って約束してたじゃないか。ならば当然、それは誘い文句に変化する。



発表当日。良く晴れた空に、幾分冷たさの和らいだ空気。
都会のそれは決して美味しいものではないけれど、今日はいつもとは違っていた。
スゥッと吸い込み、時計を確認する。
正成とは駅で待ち合わせていた。
発表、着いて行こうか?それとも一人が良いか?と聞くと、二つ返事で来てと言われた。

「今度はホントにそばにいて」

なんて言われたときは返しに困ったが、あいつの合格を確信してる俺は、喜びをその瞬間に共有したい一心で着いて行くことに決めた。
待ち合わせ時間まであと10分。上りの列車が次に到着するのは3分後。
これかな……と思いながら、改札付近に移動した。
列車到着を知らせるベルが鳴り響く。
久しぶりに会える。
正成には申し訳ないが、発表の緊張感よりもそっちの方が、俺の胸をうるさくしていた。

改札口から吐き出される人の波。学生風だったり、親子連れだったり。
やっぱり発表見に来てんのかな、と思える人がちらほらいた。母親と連れ立って歩く様が初々しいのは、きっと現役生なのだろう。
それに比べて……。

「久しぶり!」

右手を挙げて向かってきたこいつは威風堂々としていて、初々しさからは程遠い。長期の海外留学や、それ以前の人生経験の賜物なのだろうけど。

「よ。とても新入生は見えないな」
「なんだよ、久しぶりに会った矢先に」
「いや、誉め言葉だよ。行こう」

歩きながら、さっき考えたことをつらつらと説明する。
つまり落ち着いて見えるんだ、と言えば、正成は納得したようだった。

駅から大学まで徒歩10分。学生の多い街らしく、居酒屋やカラオケ屋、定食屋などが充実した往来だった。
普段降りることのない駅なので、ついキョロキョロしながら歩いてしまう。4月から、こいつが毎日通うであろう道。
正門をくぐり、正面に設置された掲示板。群がる人の多さに足を止める。

「……何番だっけ?」

正成に受験番号を確認する。

「305。建築はあっちかな……」

そうか。発表は全学部同日だから、こんなに人が……。

「よし、気張って探すぞ」

自分に気合いを入れて突入を開始した。
探し始めて間もなく。

「あったな……」
「うん……」

もっと絶叫したり、感激したりするものかと思っていたけれど、ほぼ同時にそれを見つけた俺たちは、至って粛々とその瞬間を共有した。

「良かったな」
「うん、ありがと」
「ま、受かると思ってたけど」
「俺も……」

話しながら、クスクス笑いが起こる。
合格するとは思っていたけれど。それが現実になってやっと安心した、そんな感じかな。

「とりあえず、これから何する?」
「んー昼飯でも食いながらそれ決めよっか」



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