塩味ハニームーン

19




―side広野拓海

すっかり日は暮れていたが、眩しいほどの月明かりに照らされた海岸沿いの道は、今夜は街灯なしでも歩けそうだった。
正成と歩調を合わせ、並んで歩く。
あの再会の日から1年。また二人こうしてここへ来られる幸せをかみしめながら、無言で歩を進めた。

俺にとってはガキのころからの馴染みの場所。
馴染みの場所であり……。
思い出の場所だ。
俺たち、にとっては。

砂浜を見下ろす階段の上に立つと、期待を裏切ることなく想像どおりの光景が広がっていた。辿るように、上から目線を下ろしてゆく。
キリリと冴えた光を放つ、真ん丸の満月。
淡い藍色の空には、月の光に圧倒されたように、まばらに星が瞬いている。
水平線はくっきりと濃紺の海の存在を示し、さざ波が月光を反射してキラキラと揺れる。

キラキラ。
キラキラ。
まっすぐに続く、光の道。

「座ろう、拓海」

眼前に広がる絶景に見とれていた俺に、正成が声をかけた。

「あ、うん……」

言って、砂浜へ降りる階段を踏みしめると、コンクリートに擦れた砂がザリッザリッと音を立てた。
下まで降りて3段目に腰かける。少し遅れて降りてきた正成も、俺の隣に腰を下ろした。

「変わらねーな」

呟けば、クスリと笑う正成。その程度の揺れる空気さえ感じられる距離だ。

「変わらないさ。空に月がある限り……、ね」

古くさいパクリを披露し、今度はクククッと肩を揺らす。
なんとなく正成らしくない。

「どしたの、お前?」

無言で察するだとか、そういうのが無理な俺は、躊躇いなく正成に訊ねた。

「……あ……え?」

一瞬間抜けな声を出した正成。
横顔を見ていると、すぐにいつもの表情に戻り、おかしそうに笑った。

「ははっ。拓海にはわかんのかぁ……」
「や、ちょっと変だなって思っただけ」

何が、とまではわからない俺は、正直にそう呟いた。

「……ふ。緊張、してんのかなぁ」

息だけで笑った正成に、素直な疑問をぶつける。

「緊張?何緊張する必要があんだ、今さら……」

今度はくくっと声を出して笑った正成は、ゆっくりと俺の方を向いた。

「確かにさ。今さら、だよな」
「うん。今さらだ。今さら緊張することなんてないよな、……今の拓海に対しては」
「……今の?」

何を言いたいんだ?

「そんな顔すんなよ。今のお前に対しては緊張しない。俺が緊張してんのは……」

妙な空気を纏う正成の言葉を、俺はおとなしく待った。

「未来の……拓海に対してかな」

未来の……、俺?

「拓海、聞いてくれる?」

いつもの柔らかい微笑みを引っ込め、真剣な表情になった正成に、俺はゆっくりと頷いた。

「じいちゃんに言ったろ、俺」

俺の目を真剣に見つめた後、ゆっくりと視線を海に投げた正成は、静かに話し始めた。

「俺の大切な相方だって」
「あ、あぁ。あんなこと言って良かったのか?」
「大丈夫、じいちゃんの顔見たろ?ちゃんと分かってくれてる」
「そ……うかな」
「それに」
「……?」
「俺はさ、相方じゃなくて、本当はパートナーって紹介したかったんだ、拓海のこと」
「パー……トナー?」
「じいちゃんに伝えるにはカタカナ言葉じゃない方がいいかなって、それで相方」

くくっと笑う正成の視線の先には、まだ月光揺れる海がある。
どうして俺の目を見ない……?
話す口調は穏やかなのに、心の中はきっと違う。
正成の中にあるさざ波を感じとりたくて、俺は少しだけ距離を詰めた。

「拓海……?」
「いいから。話、続けて」

驚いて一瞬こっちを見た正成に、続きを促す。

「うん……」

頷きながら再び海に目線をやる正成の横顔を見つめた。
時折風になびく茶色い髪が、月明かりを受けて、その優しい瞳に影をつくる。

「拓海」
「なに?」
「パートナー、でいてくれる?」
「パートナー?……恋人じゃなく?」
「うん……。今はさ、恋人なんだけど……」

歯切れ悪く言葉を繋げる正成は、それでも今夜俺に何かを伝えたいらしい。

「俺たちの未来に結婚はないじゃん?」
「あぁ」

わかってるよ。

「パートナーってのはさ、一緒に生きていく相手のこと」
「あぁ……、うん」

一緒に……生きて……。

「そりゃもちろん、海外行けば結婚できる国もあるんだけど」
「だよな」

それは知ってる。

「俺は日本が好きだからさ、出るつもりはないんだ」

うん、それも知ってる。和風建築の魅力について熱く語ったばっかりだしな。

「だからさ……」

見つめていた横顔が、ふっと下を向き、優しい瞳を瞼が一瞬隠したかと思ったらゆっくりとこちらを向いた。
俺を見つめる眼差し。いつものように柔らかで、でもいつもとは違う。
痛みを感じさせない針のように、それは俺に刺さってきた。チクリとも感じないのに、ジワリと何かが広がってゆく。

「俺の……、パートナーでいてくれる?」
「正成……」
「ずっと……これからも」

眼差しの奥にある揺らぎに、正成の緊張が見て取れた。
考えなくてもわかる。俺の返すべき言葉はひとつ。
いつものように、本能にまかせて口を開けばいい。

「ずっと……?」

簡単なことじゃないか。パートナーでいたいって、俺もそう思ってるって。
本能はそう言っているのに。

「ずっとだよ、拓海。どっちかが死ぬまで、ずっと。いや俺は死んでからもパートナーでいたいけどさ」

笑う正成の声の軽さとは裏腹な言葉の重みに、とてもじゃないけど俺は即答できなかった。
しばらく考えてから目を閉じ、潮騒に耳を傾ける。
すぅっと鼻から息を吸い込むと、すっかりなじんだ汐の香りがほっこりと俺の腹を満たした。

パートナー……。この先の人生を正成と……。
思わずクスリと笑いがこぼれる。考えたって、何も浮かんできやしない。
今の俺の頭ん中には、正成と共に居る未来しか描きようがないのだから。

「うん、もちろん、かな」

目を開けて正成を見る。
俺が考えている間、ずっと俺のことを見つめていたらしく、目が合うと正成ははにかんだように笑った。

「こういう場合、どう答えたらいいんだ?」
「ん……?」
「俺も……同じ気持ちだよ。でも、うまい返事が思い浮かばなくて……」
「拓海」
「あ、そうだ。ふつつかものですが末永くよろしくお願いします、だよな?」
「……?」

イケメンのキョトン顔もいいもんだな。

「だって、プロポーズみたいなもんだろ?」
「……っ!拓海!!」

言えば正成は、一瞬目を見開いてから一気に破顔し、俺を抱きしめた。

「っと!あぶねーよ。勢いつけすぎ!」

不安定な体勢での抱擁に、コンクリートの階段で頭をぶつけそうになる。

「拓海!ありがとう……」

俺をギュウギュウ抱きしめる正成の声は本当に嬉しそうで、俺もつられて幸せな気持ちが膨らんでくる。

「ずっと……一緒に、な」

正成の背中にゆっくりと腕を回し、その肩越しに囁けば。

「愛してる」

同じく肩越しに、その一言が返ってきた。

「目ぇ見て言えよ」

今度は本能にまかせて言葉を発する。
抱きしめる腕の力が弛み、正成の腕が背中から肩へと上がってゆく。片手は俺の肩を抱き、反対の手は肩から頬へと。そのまま手のひらで包みこまれたら、瞳は閉じるしかない。

優しいキスが降りてくる。
潮騒に混じって、時折響くリップ音。
数回繰り返した後、正成はゆっくりと焦点の合う距離まで顔を離し、俺の瞳を見つめた。

「愛してる」

まるで海に漂っているかのような心地よい揺らぎが、耳から俺を包みこんでゆく。

「俺も……愛してる」

本能で応え、本能のままに、もう一度温かい腕に身をまかせた。


ひとしきり交わしたキスの余韻に浸りながら、潮騒に耳を傾ける。
蒸し暑いはずなのに、抱かれた肩の温かさは全く不快に感じないから不思議だ。

同じ月を見ている。
今は傍で。
離れていても、きっと。

「なぁ、拓海」
「ん?」
「俺が一人前になったら、さ」
「うん」
「家建てるから」
「あぁ」
「一緒に暮らそう?」
「いいよ、もちろん」
「俺たちの家にはさ……。月見縁?月見台っていうの?あれ作るつもり」

丸い月を見上げて言う正成。

「いつでも二人で月が見られるように」
「いいね」
「だからさ……待ってて」
「待ってるよ、楽しみにな」

ふふっと笑う正成の肩が揺れ、少しだけ触れていた俺のそれも揺れた。

愛してる、というセリフとともに交わした約束は、口約束だけに不確かだけれど……。俺たちの未来に、不安なんかない。
過去に何があったって、こうして俺たちは出逢えたんだ。
なぁ。お前が不安に思うなら、闇は全部俺の手で取り払ってやるから。
その目が見据える道を、そのまま真っ直ぐ進めばいい。
約束のあとにやってくる蜜月は、そんなに甘くなくてもいいじゃないか。
必ず俺たちの歩く道は合流する、と俺は信じてる。

目の前に伸びる光の道。
真っ直ぐ、真っ直ぐに歩いて行けば……。
必ず共にある、俺たちの未来。




END




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