Kylie's Cafe

02



*****

どういう流れでここにいるのか結局はっきりしないまま、俺は扉の前に立っていた。
表札には『箕浦(みのうら)』の文字。あの店員の苗字だろう。

「いらっしゃいませー」

職場の接客よろしく出てきた彼は、箕浦カイリと名乗った。
それから、

「キリーズカフェ?ちがうちがう、カイリーズ、だよ。ほら、カイリー・ミノーグってアーティスト知らない?あの人と同じスペルなんだけど……」
「聞いたことあるようなないような……」

自国の芸能事情にすら疎い俺に、海外アーティストの知識などあるはずもない。

「あ、ちなみに海の里で海里だから。ま、いいや。で、あなたはなんていうの?」

あなた、なんて呼ばれて、不覚にもドキリとしてしまった。海里は、不思議な言葉づかいをする。
カイリ……。海里か。今どきの若者の名前らしいな。
それにくらべて。

「橋口(はしぐち)……幹雄(みきお)です」
「みきおさん、ね。あ、ミッキーって呼ばれ……」
「ないです」
「あ、そう。残念。呼ばせてもらおうと思ったのに」
「そんなキャラじゃないので……」

そう言うと、海里はカラカラと笑った。
店で見る営業用の笑顔とはちがう顔。俺はやっと、自分が非日常にいることを自覚した。

「じゃ、さっそく特別なコーヒーを淹れてこようかな」
「……ありがとう」

自分だけが敬語なのもおかしい気がして、ございますを取った。
見た目だけで判断すると、確実に俺のほうが一回りは年上だ。

あまり露骨なのも不躾かと思い、視線だけでぐるりと部屋を見回す。
小さいなりにも対面式のカウンターキッチンがついている。
カウンターに接するように置かれた3脚の椅子は、バラバラだけれど、ひとつひとつにデザイン性が感じられる。まるで本当に、洒落たカフェにいるみたいだ。

「いかにもカフェ店員の部屋って感じだな」

つぶやけば、

「そう?気に入ってもらえた?コーヒー飲んだら、もっとここの虜になっちゃうかもよ?」

視線は手元に固定したままで、海里が笑った。

海里の淹れてくれたコーヒーは、たしかにうまかった。
チェーン店とは言え、一応プロなのだから、いろいろとこだわりがあるのだろう。
素人の俺にはうまく表現できないけれど、何か深みのある味わいだった。

「幹雄さんって」

自分もコーヒーカップを持ちながら、海里が話しかけてくる。
カウンターに隣り合う形で着席しているけれど、店とちがうのはその距離の近さだ。
海里は整った容姿をしている。その上、見た目だけでなく仕草が垢抜けている。
少し覗き込むように視線を合わせてくるたびに、こちらの視線が泳いでしまっても仕方がないだろう。

「幹雄さんてさ、溜め込むタイプでしょ?」
「何を?ストレス?」

そもそも、ストレスを解消しに来いと、ここへ誘われたのだ。
聞くまでもないかと思ったのだけれど。

「え、ちがうよ。……アッチのほう」
「?」

何のことを言っているのか、本当にわからなかったのだ。
俺はさぞ間抜けな顔をしていたことだろう。

「あははっ。天然なのぉ?欲求不満でしょって言ってんのよ、僕」
「は……?」
「僕の中で幹雄さんって、すっごくストイックなイメージなんだー。ちがう?」
「ストイック?」
「ストイックの意味知らない?」
「いや……」

意味くらいは知っている。

「じゃあ、回りくどい言い方はやめるよ。……幹雄さん、あんまり自分でシたりとかしないでしょ?」
「え……、えっ!?」

身体に衝撃。
海里の言っていることを理解しようと、頭をフル回転させ始めた直後だった。

「ちょ……っ!何して……っ」

下半身にダイレクトに伝わる手のひらの感触に、俺は右往左往するばかりで。
正直、誰かにこんなことをされるのは久しぶりだった。

「何って、そうだな、ストレス解消?」
「頼んで……なっ」

俺の抵抗にはお構いなしで、海里の手はどんどん攻撃的になっていく。
あっという間に硬度を増す俺のそれに、

「うれし。もうこんなになってる」

そうささやきながら、椅子から立ちあがった海里は、ゆっくりと跪いた。

「言い間違い。お昼の……もっかい言って?」

こんなに妖艶な上目遣いは、それこそアダルトビデオでしか見たことがない。
ていうか、お前は男だろう?
何なのだ、こいつは?

「可愛かったなぁ、幹雄さん。真っ赤になっちゃって」

「……おい!」

海里の指は、遠慮なく俺のズボンのジッパーを下ろしにかかっている。

「お望みどおり、これをキャラメル味にしてあげてもいいんだけど……。」
「っ!」

海里はわざとらしく舌なめずりしてみせた。

「……味わうのは僕だから、ね?」

それを取り出して口づけする海里の仕草は、やっぱり流れるようだった。



「……っ」

相当慣れているな、と感じるのは、俺が慣れていないからだろうか。
温かい口腔内に包まれたかと思えば、直後に強い力で吸われる。
一呼吸おいてから、海里の頭が激しく上下運動を開始すると、強い快感に抵抗するのも忘れてしまう。

「やめ……っ、そんなにした……らっ」

かろうじて言葉で制すると、やっと動きが止まった。

「……っ!」

ホッとしたのもつかの間、舌先で先端の弱い部分を抉られ、電流が走る。
このままじゃ、俺……!

「……感じた?」

俺の表情に気を良くした様子の海里が、寸でのところで解放してくれた。
危なかった。自制できない何かが、背中を這い上がってくる途中だった。

「イカせてあげてもよかったんだけど、それじゃ僕がつまんないからねぇ」

解放されたといっても、それはまだ海里の手中にある。
ゆるゆると擦りながら、下から俺の顔を伺う瞳に、揺らめく何かが見えた。

「ね、幹雄さん?」
「な……んだ?」

言葉を発してみてやっと、息切れするほどに追い詰められていたのだと悟る。

「このままじゃ、つらくない?正直イキたいでしょ?」

男なら至極当然なことを聞いてくる。何が言いたいんだ?

「イカせてあげるからさ……俺にまかせてみない?」

考える暇もあたえられなかった。もちろん返事なんて、できるはずもない。
いや、最初からこいつは俺の返事なんて聞く耳を持ってはいなかったのだ。

「な……にすっ」
「少し黙ってて。幹雄さんは、目でもつぶって感じてくれてたらいいから……っ」

俺の身体をまたぐ体勢で四つ這いになった海里が、悩ましげな吐息を吐いた。
頬は紅潮し、額にはうっすらと汗。片手は自身の股間に伸びているけれど、握っている様子はない。

何をしているんだ?
目を閉じていろと言われても……。

「っはぁ……いけるかな」
「……?」
「ちょっとキツいかもしれないけど……すぐヨクなるか……らっ」
「……っ!」

熱い。
突然自分の性器を襲った感覚を、どう表現したらよいのかわからなかった。
とても人の体温とは思えない熱い肉の中を、抉りながら突き進んでいく。
その感覚は、覚えがあるようなそうでないような……。

――これは、セックスだ。
そう自覚したのは、痛みに近い圧迫感が去った後だった。

「ちょっ……マズいだろ!」

男とセックスをしている。
自覚すると、急に頭が冷えた。

「……なにが?なに……がマズいの?」
「なにがって……っ!」

俺に尋ねながら、海里が腰をくねらせた。局所に与えられた抗えない快感が、背筋を伝わる。冷えたばかりの頭に、何かが点火された。

「マズいなんて……言われたことないんだけどな……ぁ、僕。ヨク……ない?」
「っ……ぁあ」

海里の動きがスピードを上げた。汗ばんだ身体が、俺の上に落ちてくる。
密着する、裸の胸。鼓動が早い。
息をとぎらせながら俺の耳元でささやく声に、鳥肌が立った。

「おい……、海……里っ」
「感じてくれてるの?うれし……」
「くっ……」

この状況をマズいと思う俺は、まだどこかにいる。
けれど、どうにもならない。どうにもならないほどに……

「だめ……だっ」
「イって、……幹雄さん」

行為は悪魔じみているのに。
上から降ってくるささやきは、まるで天使のそれだった。



*****

「どう?お口に合う?」
「……ああ。うまい」

手際よく事後処理を終えた海里は、ぐったりする俺をひとつ抱きしめてから、颯爽と風呂に消えた。いい汗をかきました、とばかりに口笛を吹きながら。

濡れ髪のまま部屋着で戻ってきたときも、口笛を吹いていた。
俺ににっこりと笑いかけてから、キッチンへ消える。しばらくしてから、コポコポとコーヒーを淹れる音がした。
ベッドにカップを持ってきた海里は、

「はい、アフターコーヒー」

とそれを差し出した。
さっき出されたものとはちがう。少し甘みが強い気がする。

「……甘い?」
「でしょ?わかるんだね、幹雄さん。そう、僕たち甘い関係になった、ってことで」

もう、打ち消す気にもなれなかった。
甘いかどうかは別として、久しぶりに自己解放できた爽快感は、たしかにある。
コーヒーはうまいし、なんだかいろいろと解消できた気がする。そう海里に告げると、

「では、またのご来店をお待ちしてます」

一枚のカードが差し出された。
いたずらそうな瞳が、笑顔の俺を映している。

「フリーパス?」

名刺サイズのカードには、あのときのコースターと同じ『Kylie’s Cafe』のロゴ。
裏返すと、直筆で大きく『フリーパス』と書かれていた。なんだか浮かれた文字だ。

「そうそう。ほら、遊園地とかにあるでしょ?いつ来ても、どのアトラクションにも使えますよって、あれ」
「なるほどな」
「ま、僕がアトラクションってわけなんだけどね。いつでも乗れます、って今日は僕が乗っかっちゃったけど」

カラカラと笑う海里。
こんな下ネタめいたジョークを飛ばす奴だったなんて。



「ごめんね、こんなカッコだし」

玄関先で、開いたドアをはさんで向かい合う。
コーヒーを飲み終わり、起き上がった俺が着衣を終えると、海里はあっさりと「じゃあね」と言った。

「僕、明日早番だから早寝しなきゃだし」

上目遣いで手のひらをひらひらさせる海里。
俺が一歩下がると同時にあっけなく閉まったドアに、唖然とした。

振り回されているな。その自覚はある。けれど、不思議と嫌な気分ではなかった。
胸ポケットに入れたフリーパス。夜道を歩きながら、シャツの布越しに、その存在を確かめる。
これを使う日が、きっと近いうちに来るだろう。
そんな予感がした。



END



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