真昼の月

01



――プロローグ――


冬の日の青い空。
薄っぺらい真昼の月が、貼りついている。
透けて空の青が見えそうなその様は、まるで俺自身みたいだ。
誰にも存在を認められず、居ないものとして扱われ、気づく人も稀な。
ずっと俺自身、そうでありたいと願ってきたから。

こんな俺は、太陽の下で生きるには弱すぎる。
灼熱に焦がされて、溶けて消えてしまいそうだ。
実際、消えてしまった方が良いのかもしれない……。

誰にも必要とされないのならば。
誰も必要としないのならば。





1. アイデンティティー


人とは違う自分に気づいたのは、小学生のときだった。
高学年になるにつれ、大きくなってくるはずの異性への興味。級友たちの噂話も、マンガ雑誌の恋愛描写も、いまいちピンとこなかった。
性への関心は、人並みにあるというのに、その対象が人とは違う。そう確信したのは中学に入ってから。
成長の早かった俺は、クラスの中でも身長も高く、スポーツもできたので、早くからクラスの女子にもてはやされた。
女子というのは総じて男子より精神的成長が早い。告白するだの、付き合うだの、正直言って面倒だったが、恋愛に関心がない理由を知りたかったし、この際流されてみるのも良いかと彼女を作ってみた。彼女が積極的だったおかげで答えはすぐに出た。
俺は、女の子の身体に欲情しない。簡単なことだった。

女の子に欲情しないばかりか、体育の授業前の着替えでチラチラと男の身体を見てしまう自分。
絶望した。
俺は、異常だと。
決して人に知られてはならないと。

一般的な性教育は、小学生のころから始まっていても、そんなに早いうちから同性愛ってものがあるなんて教えられてはいない。性への目覚めは、ノンケにもゲイにも平等に訪れるというのに。
多感な中学生だった俺は、誰にも何にも言えないまま、自分のアイデンティティーを殺し、なるべく目立たないように過ごした。善悪の区別や、常識非常識の区別すら曖昧な子供には、それが精一杯だったんだ。

高校に入ると、視野も広がり情報網も発達する。
ゲイ人口がそれなりにあることや、然るべき場所へ行けば『お仲間』に会える、ということも分かってきた。うまく行けば、カミングアウトに成功する可能性があるってことも。
ただ、今はその時ではない。けれど、いずれは周りに自分を認めて欲しい。その気持ちはずっと、心の奥でくすぶっていた。

恋愛に関しては、半ば諦めていた俺だったが、年頃の欲求を解消するため、高校入学後早々に夜の街に出るようになった。
夜の街は、根なし草の俺を優しく迎え入れてくれる。ここには、俺と同じように昼間のアイデンティティーを消した人間が大勢いる。昼間は息を殺し寝て過ごす者、別の人格として生きる者、そのカタチは様々ではあるが。
俺も後者の一人。
昼間は進学校に通う高校1年生の飯田正成として、適度な友人関係に当たり障りのない家族関係を演じる。
夜は『ナリ』として。もちろん年齢はごまかし、酒を扱う店にも出入りする。
親は、入り浸る友人宅があると信じ切っている。中学3年間、自我を殺して生きてきた俺には、その程度の嘘をつくことなど容易いものだった。

「で、今日の収穫は?」

隣でジーマの瓶を傾けながら、千里が聞いてくる。
俺が一人で飲んでるってことは、その答えになりそうなものだけど。

「見てのとおり」
「ナリはさ、がっつかなさすぎなんだよね」
「そうかな?」
「そうそう。出会いを求めてるんだったら、もっとガンガン声かけないと。それに、タイプじゃないヤツあっさり断りすぎ」
「そういう気分じゃないときだってあるからなぁ」
「じゃ、何で来るのさ」
「なんでだろーな……。寂しいのかも」

少し本音が入った。
千里は、この街に出入りするようになってから知り合ったヤツで、自称大学生。バリネコらしく、柔らかい物腰としゃべり方で老若問わず人気がある。
それにしても夜の顔なんて、ほとんどが『自称』の世界だ。名前はもちろん年齢から職業にいたるまで、大体詐称だと思った方が良い。

「今日もそんな気分じゃないわけ?さっきの彼、結構可愛かったと思うけど?」

イヤに食い下がる千里に、多少イラッとする。

「そんなことない。今日はタチの気分じゃないだけ」

暗にお前も誘ってくるなよ、と釘を刺しておく。
この街での俺は、相手によってタチネコどっちにでもなれる、言わばバイプレイヤー。結構重宝される。
どっちの初体験も、この街で済ませた。そこに愛はなかったけど、この場所を拠り所にしている同志、情はあったように思う。
身体の欲求を満たすだけ。でも、心も少しは満たされる。
俺と同じ、太陽の下じゃ生きられないヤツが傍にいるってだけで。
……一人じゃないと思えるから。

「……っ、うぁっ」
「何、久しぶりなの?相当キツいんだけど」
「大……丈夫、続けて。………んっ」

千里に言ってしまった手前、今夜の相手に選んだのは、オネェ入ってるバリタチのヤツだった。名前はアキヒロと言うらしい。ま、自称だけど。
オネェ入ってる以外は、見た目もそこそこ良いし、身体も程よく鍛えてあるし、俺がネコんなるんだったらこいつはタイプに入る。
そう考えて身を任せたんだけど。やっぱ久しぶりはキツいな。

「ん……っ……はっ……はぁっ」

揺さぶられながら、厚い筋肉に額を押し付ける。
ここに愛があったら良いのに。

「はぁ……っナリ、ナリ、イキそっ」

「いーよ……っ。俺もっ……や……ぁんっ」

相手がオネェ系だとどっちが突っ込まれてんだかって声で笑える、なんて考えながらイッた。
快楽に素直な身体は、性的な意図を持って触られれば喜ぶけれど、頭の中は冷えきってる。
恋だの愛だの知らない俺は、これが普通だと思っていた。最中に頭ん中真っ白になるくらいの溶けそうなセックスなんて、経験したことなかったんだ。
アキヒロは、それでも事後にこう言ってくれた。

「すっごく良かったわ。あなた可愛いし。ナリ、また機会があったらよろしくね」

可愛い?俺が?175だから身長結構ある方なのに、可愛いって表現はどうかと思う。
でもまぁいいか。
ゲイな俺を、可愛いって言ってくれる人間がいる。それだけで。



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