複数恋愛

08




5.壁越しの木曜日(Side礼二)



センスのよい店だと思った。
雑誌を切り抜いたりなどはめったにしないのだけれど、メイン通りから少し入ったところにあるその店を、記憶をたよりに見つけることに不安があり、その日俺は小さな紙切れを持参した。
俺好みの雑貨とともに掲載された地図を見ながら、ようやく目当ての店にたどり着いた。
大通りからひとつ路地を入ったところにある雑貨店。実際に目にしたたたずまいも、俺好みだった。

そこまでして気の利いた物を選ぼうとしている理由。それに思いを馳せると、もう苦笑しか出てこなかった。
あまり気張らない引越し祝いを探していると言った俺に、店主が勧めてくれた数点の品物。写真スタンド、壁掛け時計、マグカップ。

「何やってるんだろうな……」

自嘲気味につぶやきながら、ひとつずつ手に取る。どの品物も、シンプルでありながら少しだけスパイスが効いていて、記事どおりの店主の趣味のよさが伺えた。どれもいい。迷ってしまう。
贈る相手の顔を思い浮かべる。どちらかと言えば印象の薄い顔。初対面で話が盛り上がらなかったら、その後一緒に過ごすことにはならなかっただろう。

光とは、はじめて会った日から始まった関係だったけれど、決して一目惚れなどではなかった。話してみてわかる心地よさ。これが『波長が合う』ってことなのかと感心した。
一見印象に残りにくい顔が、俺の言葉に一喜一憂する。大輪の花が咲いたような笑顔。憂いを含んだため息。一緒に過ごす日々を積み重ねてゆくほどに、俺はそれらを愛しいと思った。

そんな光を思い浮かべると、ごく自然に脳裏に浮上する小綺麗な青年。雅人というその男こそが、光の同棲相手だった。
光に直接紹介されて、一度だけ会ったことがある。話し方も物腰も柔らかで、非の打ち所のない好人物。見た目にも申し分ない整った容姿をしている。これがライバルかと思うと、不戦敗を認めたくもなった。

恋人とその同棲相手に贈る同居の祝いの品。
祝いたい気持ちなんてあるはずもなかったが、俺は光に了見の狭い男だと思われたくなくて、軽く「お祝いやるからな」なんて言ってしまったのだ。
ふたりの寄り添う姿をまぶたの裏に浮かべながら、候補の品を苦々しい思いで眺める。せっかくの品物なのだから、もっと明るい気分で手に取りたかった、と考えながら。
その中から俺は、マグカップを選んだ。
ペアのマグカップ。同居をはじめる恋人同士には、うってつけの贈り物。
ただし、そのとき俺の頭の中にあったのは……。

――マグカップなら、別れてもひとつずつ手に取れる。
そんなせせこましい考えだった。
ひとつのものを、ふたりが共有することが許せないだなんて、器の広い男が聞いてあきれる。



*****

誰にも執着しない。それが俺の恋愛スタイルだった。
常に数人の女を恋人としてキープし、たまに男にも声をかけた。他人に深入りできない性格は生まれもってのものなのか、思春期を迎えてからこのかた、俺は誰にも心を奪われたことがなかった。
身体の欲求にしたがって異性と付き合うことが多かったが、守備範囲を同性にも広げていたのは、もしかしたら意識の奥で探していたからかもしれない。たったひとりの、心を捧げられる相手を。

バーを経営している俺は、以前雇われバーテンダーとしてならした腕を活かし、今でもたまにカウンターの中に立つことがある。カウンター越しの客との会話は、俺の得意とするところで、話が弾んだ相手に言い寄られることも多かった。それが女であれ男であれ、楽しいと思えた相手とは、その後の約束を取り付けた。
基本は一晩限り。その中から後腐れなく続けられそうな相手を見定め、恋人にした。

たまに俺の見当ちがいで、独占欲を露呈させた相手ともめごとになることもあったが、そうなるとすぐに俺は関係を解消した。ひどい男だと言われても仕方がないのだが、自分では相手にのめりこませないよう細心の注意を払って付き合っているつもりだった。
一人に絞らず、まんべんなく逢瀬を持つ。光との交際が始まってからも、俺はそのポリシーで行動し続けた。

付き合い始めは、光に対しても、そんなに熱い思いを持ってはいなかった。

「これまでこんなこと思ったことないんだけど、礼二とはいつも、また会いたいって思うんだ」

そう言った光に俺はいつものノリで、じゃ、付き合うか、と軽く返した。
そのときの俺は、男の恋人は久しぶりだな、くらいの気持ちだったと記憶している。
この後の自分の心情の変化なんて、全く予想もしていなかった。



*****

「ホワイトレディ。好みに合うかな?」

ツツ……、とカウンターの上をすべるカクテルグラス。柑橘系のきりりとした香りと、鼻に抜ける強めのジンフレーバー。
初めて店を訪れた女性客におすすめをくださいと言われたら、迷わずこれを作る。
このカクテルのように、まったりとした後味を残さない女性が好みだ。こいつを喜んでくれる女性に、あまりハズレはない。

Bar『UNCOUNTABLE』。
繁華街の端っこにある俺の店は、階段を降りた地下にある。1階はフラワーショップ、上階はカフェや美容院がテナントとして入っており、そのたたずまいにいかにも飲み屋な雰囲気はない。
重たいドアを開け、今夜カウンター席にひとりで座った女性は、相手の目をまっすぐに見て快活にしゃべる、いかにも人好きのするタイプだった。ショートヘアが良く似合う。

「バーテンダーって、もっとぱりっとした格好をして、堅苦しい敬語を使うものだと思ってた」

女性が俺に、いたずらそうな視線を投げかけながら笑う。

「俺はバーテンじゃないからな」
「そうなの?」
「オーナーで、普段は店に出ていないんだ」
「経営に専念してるってこと?」
「まぁ、そんなところかな」
「じゃ、今日はラッキーだったってことね」

クスリと笑う女性。
いいな。ストレートな言葉を選ぶ女は、俺好みだ。

「あんまり頻繁に出たり長居したりするとスタッフに嫌われるからな」
「管理職ってそういうものよね」
「今夜は……、きみと一緒に店を出ようかな」

ホワイトレディを美味しそうに味わい、メジャーなカクテルだから自分で作ることもあると言った彼女。
オーナーさんの作るものとは比較にならないけどね、と笑った口元に心を決めた。

「いい?」
「……断る理由がないわね」


*****

「赤外線でいいかしら?」

事後の甘えた空気を全く感じさせない声で、まるでビジネスの相手にするように、彼女は連絡先を教えてくれた。最中も演技じみた声は一切聞かせず、どちらかというと耐えているようなその姿に、逆に燃えた。どこまでも、いい女だ。

「気が向いたら、連絡する」
「いかにもあなたみたいな人の言いそうな台詞ね」

苦笑する彼女は、サヤカと名乗った。製薬会社の営業職をしていると言い、人当たりの良さからも仕事のできる女なのだろうと思った。
ホテルの前で別れ際、

「ありがと、良かったわ」

そう言って片手を挙げて背中を向けた彼女。つくづくいい女だ。



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