複数恋愛
14
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空港に向かう道のりの途中で、職場に電話をかける。実家に不幸があったと、はじめて嘘をついた。
責任ある立場で俺は何をやっているのだろうとため息が出たけれど、今はそこで立ち止まっている場合ではなかった。
主に通勤にしか使用していない軽のミニバンを走らせる。礼二とのデートは、いつも礼二の運転だったし、雅人とは家でまったり過ごすことが多かった。
峠越えの坂道で、急に減速してしまうパワー不足の愛車にいらつきながら、思い切りアクセルを踏み込んだ。エンジンが、悲鳴を上げる。
早く……!早く顔が見たい。
これから待っている展開が、なだらかなものではないとわかっている。場合によっては、金輪際礼二と会えなくなってしまうかもしれない。
そんな危険を冒してでも、俺は礼二に言いたいことがあったんだ。
空港の駐車場に停めたミニバンのドアを、バタンと勢いよく閉める。駆け出しながら、リモコンキーのロックボタンを押した。
どこにいるかなんて聞かなかったけれど、きっと到着ロビーのどこかだろう。ここまで来れば、なんとかなる。……はず。
エスカレーターの速度にいらだちながら、ベルトに握りこぶしを乗せる。
本当は駆け上がりたい。気持ちだけが先に進んでいるみたいに、俺の身体は抜け殻だ。
ロビーに降り立ち、すぐにあたりを見回した。ソファ席があり、何人かの会社員らしき姿が見える。平日のこんな時間に空港に用があるのは、仕事がらみの人間がほとんどだろう。
「……あ」
見つけた。会社員とはかけ離れた格好で、ひとりスーツケースに体重を預けている礼二を。
この期に及んで、そんな姿までサマになっているなんて……。
全く腹立たしい。
そんなことを思ってしまった俺が。
つかつかと歩いて、久しぶりに会う恋人の前に立つ。
俺が気づいた直後に礼二もこちらを認識したらしく、一瞬だけ目を見開き、そのまま俺の方をじっと見つめていた。
しばらく見つめあう。
俺の方はにらみつける、に近かったのだけれど。
先制攻撃を仕掛けてやろうと意気込んでやってきたのに、いざ2週間ぶりの礼二を目の前にすると、胸がいっぱいになって何も出てこない。
「光……」
先に静寂を破ったのは礼二だった。
「わざわざ……悪いな」
俺の様子がいつもと違うことにさすがの礼二もひるんだのか、少しは悪いと思っているような口ぶりだ。
「……彼女は?」
少し前まで間違いなくいたはずの存在が、消えていた。そこにいるのが礼二ひとりだったことに本当はホッとしていたのだが、確かめなければ、と思ったので聞いた。
「先に帰らせた」
何でもないことのように言う礼二。
その口調に、ああ、と思う。そのひとも、本命ではないのだな、と。
「送っていかなくてよかったの?」
旅の相手が本命ではなかったことを知り、俺の勢いは幾分削がれた。
「帰らせたよ。お前が来るって言うから」
「礼二……」
礼二が、もたれかかったスーツケースをかかとでコツンと蹴った。その音にハッとする。
礼二が暗に、彼女よりも俺を選んだと言っているのがわかった。
胸が締め付けられる。それなら、なぜ……?2週間も、放っておくんだよ?
「ごめんな、光」
宙に向かって吐き出すように投げかけられた謝罪の言葉。
ちがう。謝ってくれなんて言っていない。そんなものが欲しいわけじゃない。
歯を食いしばり、ぎゅっとこぶしを握り締める。
「行こう」
握り締めた手を開きながら腕を伸ばし、少し湿った礼二の手を握った。
「車で来てるから乗って」
有無を言わせず、握った手を引く。
特に抵抗はされなかった。
*****
車をまっすぐに目的地へ走らせた。
珍しく助手席に座らされた礼二は、所在なさげに窓の外を見つめている。俺はハンドルを握りながら、時折その存在を肌で感じた。
一度も顔は見なかった。
軽自動車の中に、大の男がふたり。狭い空間に、やるせない空気がただよう。
終始無言のまま、目的の建物を視界に入れると、俺はウインカーを出した。
「……入るのか?」
礼二がぼそりとつぶやく。
横目で表情を伺うと、そんな気分じゃないんだけど、と顔に書いてあった。
そんな礼二には全く構うことなく、答えの代わりに車を駐車場にすべりこませた。
俺だってそんな気分じゃない。
なじみのこの部屋にこんな空気を持ち込むのははじめてだ。
スーツケースを車に置いたままで身一つで俺に着いてきた礼二は、ひとつため息をついてからベッドに腰掛けた。
誰もいない静かな場所で話がしたかったから。それがここに礼二を連れてきた理由。
たとえ話がこじれて別れにつながったとしても、今日の俺はこのまま黙ってはいられなかった。
覚悟はできている。
「……ずっと寂しかった」
礼二の正面に仁王立ちしたまま、俺はそう切り出した。
「ごめん」
「謝ってほしいわけじゃないんだ」
「光……」
「俺が、他の人と会うのはやめてくれって言ったら、礼二はどうする?」
「……」
「困る?そんなことを言う俺は面倒くさいと思う?」
問い詰めるみたいな言い方になってしまったが、構うものか。
「いいんだ、もう。どう思われても」
これは、半分だけ本音。
俺の勢いに気おされたのか、礼二は無言で俺を見つめている。
「もう嫌だ。礼二に振り回されるのは、もううんざりなんだ」
ずっと言えなかった。
「つらかったんだ、俺」
吐き出すと、少しだけ気持ちが軽くなった。
言いたいことは言った。
――これで終わりかな……。そう考えたら、さすがに目の前がぼやけた。
礼二を見ていられなくて、視線をはずし、うつむいてくちびるを噛む。
あとはどのタイミングでこの場を去るか、それだけだ。
「……光」
少しかすれた声が耳に届いたけれど、顔は上げられなかった。
「話してくれて、ありがとう」
礼二の声を、こうして聞けるのも最後になるのかな。
「いや、ちがうな。少しだけ、聞いてくれないか」
何がちがうんだろうか?ありがとう、じゃないってこと?
初めて聞く礼二の真剣な声に、少しだけ顔を上げた。情けない顔をさらしてしまうことになるけれど、今さらだと思ったのだ。
「俺に浮気をしないでくれって、お前は言いたいのか?」
「……うん」
「俺が他の女と会ってるのが嫌なのか?」
「そうだよ」
「そうか……」
何を言ってるんだ。嫌に決まって……、
「……その言葉、そっくりそのまま返させてもらおうか」
突然礼二が、声色を変えた。
聞いたこともないような低い声に、身がすくむ。
「え……?」
「いや、これもちがう。そのままじゃない」
「れい……じ?」
何が……、言いたいんだ?
「よく聞けよ、光」
声が出ない。
「たしかに俺のは浮気かもしれない」
息をつめた。
「でも、お前のは本気だろう?」
「……!」
「俺が何も考えていないとでも思ってるのか?」
雅人の……こと?
「どっちが不実だか考えたことあるのか?」
「礼二……」
不実……?
その言葉を発した礼二の表情が、みるみるうちに曇る。俺を責めている、というよりは、悲しんでいるかのように。
そうか……俺……。
そこで俺は、はじめて自分が礼二を苦しめていたことに気づいた。
呆然と立ち尽くす。
「……もう会うのはよそうか」
言葉が耳を通過してゆくだけ。脳まで到達しない。
「他人に向けられるお前の本気を、浮気相手なしに受容できるほど、俺の器はでかくねぇよ……」
吐き捨てられた礼二の声が、うまく理解できないまま耳に残った。
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