複数恋愛

17





*****

見慣れた壁紙に、心は落ち着いている。半ば強引に連れてこられた、ホテルの一室。
どうしてこんなところにいるのだろうかとドアを開けたときは思ったのだが、ふたりきりで話せる静かなところと言うのならば、ここは最適な場所だった。
ベッドに座る俺と、少し距離を置いてその正面に立つ光。お互い覚悟はできている、そんな空気が漂っていた。

「ずっと淋しかった」

光がはじめに吐き出したのはそんな言葉で、一瞬にして俺は胸が詰まるのを感じた。
謝らずにはいられなかった俺に、謝ってほしいわけじゃない、と光は言う。
どうしてほしいんだ?と聞く間も与えられず、光が俺に告げた望み。

「俺が、他の人と会うのはやめてくれって言ったら、礼二はどうする?」

いきなりそう来るとは思わなかった。
意表を突かれ、本当は他のやつになんて会わなくてもお前がいればそれでいいんだと、そう言いたいのに言葉が出ない。
面倒くさいと思われたっていいんだと自棄気味に言う光は、俺の返事を待つことなく思いをぶつけてくる。

「もう嫌だ。礼二に振り回されるのは、もう嫌なんだ」

――それが、お前の真意……なのか?

「つらかったんだ、俺」

言い切った光は、俺から目をそらし、うつむいた。
一言も挟めなかった俺。いったい何を言えばいいのだろう?
光の求めるもの。俺の求めるもの。
考えても答えは出てこない。

――向かい合うって、決めたじゃないか。

「……光」

ちゃんと話をしなければ。それだけだった。

顔を上げた光の瞳は、少し潤んでいながらも強い光を放っていて、この場にかける彼の本気が見て取れた。

「俺に浮気をしないでくれって、お前は言いたいのか?」

冷静になるために確認をする。

「……うん」
「俺が他の女と会ってるのが嫌なのか?」

再び確認をする。

「そうだよ」

揺るがぬ強い視線。
そうか。俺の浮気が……、お前は我慢できないのか。
浮気。そうだな。一般的には悪いことだ。

でも、俺は……。それなしでは、ここまでですら続けてこられなかったんだ。
突然腹の底が熱くなり、やり場のない怒りが湧いた。

「……その言葉、そっくりそのまま返させてもらおうか」

予想外に低い声が出た。光を怯えさせてしまうかもしれないとは考えなかった。
俺のこの思いを、お前は理解できるのか?
俺のこれは浮気かもしれない。責められるのも仕方のないことなのかもしれない。
でもな。返す言葉はそっくりそのまま、じゃない。

「でも、お前のは本気だろう?」

はじめて口にした俺の本音は、光の表情を一瞬で凍らせた。

「どっちが不実だか考えたことあるのか?」

止められない勢いのままに言葉を発したあとで、呆けたような光の顔が目に入り、俺は少しだけ後悔した。
光を責めたって仕方のないことなのに。そこまでして俺は、どうしたいのだろう?
痛いところをつかれたのか、光は口をつぐんだままだ。
このまま、終わってしまうのか。終わらせたくてぶちまけたわけじゃない。全てを撤回して光をかき抱きたい衝動に駆られる。
だめだ。それでは前に進めない。
ならばいっそ……。

「……もう会うのはよそうか」

きっぱりと、終わりにしたほうが良いのかもしれない。

「他人に向けられるお前の本気を、浮気相手なしに受容できるほど、俺の器はでかくねぇよ……」

最後に情けない台詞を残してしまった俺は、憔悴しきっていた。



*****

勢いで告げてしまった別れではなかった。続けていくことが限界だなんて、むしろずっと考えていたことだった。
俺たちは、お互いがお互いを過信していた。行き違う思いに目を瞑り、このままうまくやっていけるのではないかと。
どちらかの思いが相手を押しつぶしてしまうくらいに膨らんだとき、この関係が決壊することは目に見えていたのに。

光の顔を最後に見てから1ヶ月が経った。光のことを考えない日はなかった。
俺は他の女と会うことをやめた。いや、やめざるを得なかった。一分として光以外の誰かを心に入れる隙がなくなってしまったから。
ひとりひとりに謝罪し、せめてもの誠意をと理由を正直に話すと、誰もが納得してくれた。

「好きなひとがいるんだ」

他人に伝えるために言葉にすると、ずっと前から俺の中にあったその事実が、ようやく胸にじわりとしみこんだ。
はじめからこうしていれば良かったのかもしれない。そう気づくには、あまりにも遅すぎた。

携帯電話を閉じては開き、何度も何度も読み返したメール。
短い文面の中には、ひとつも愛の言葉は見つからない。あいつは軽々しく気持ちを口にしたりはしなかった。

光はいつも、視線や表情で、俺に好きだと伝えてきた。行為の最中に俺が促せば、ようやくその言葉をくちびるに乗せる。その貴重な宝物のようなささやきは、いつだって俺を熱くした。
思い出すだけでこんなに胸が締めつけられるというのに、光のことを考えるのをやめることはどうしてもできなかった。この焼かれるような痛みさえも、あいつの残した甘い記憶だと思えたから。

今日はもうこれで何度目だろうか。最初から数えるつもりもなかったが、そう自嘲気味に考えながら、既読の受信メール画面を表示させる。
件名を呆然とスクロールさせていた、そのときだった。

――受信中

表示されたその文字に、淡々と流れていた俺の時間が止まった。



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