複数恋愛

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10章 空白の1ヶ月(Side光)




――会いたい

タイトルは無題。送信先には別れた恋人の名前。
短い本文の裏には、この1ヶ月俺の中に浮かんでは消えた、たくさんの伝えたい思いが詰まっていた。

助けて。
いますぐ抱きしめて。
俺をひとりにしないで。



*****

俺が雅人に礼二との別れを告白したのは、最後に礼二と会った日から3日後だった。
ふたりの部屋で、ふたりで選んだソファに並んで腰をかけ、雅人の淹れてくれた俺好みのコーヒーが目の前にあった。コーヒーカップはもちろん、礼二からのプレゼントのあれだ。見慣れたいつもの光景がやけに空々しい。

「どうして?」

当然理由を聞いてくる雅人に、もう隠し事はできなかった。

「お前のは本気だろうって言われた」
「え……?」
「礼二のは浮気だけど…俺のは本気だろうって」

雅人がごくりと唾を飲み込む。

「それって……」
「そう。雅人のこと」

俺はうなずいた。

「ほん……き……?」

視線を床に落とした雅人は、そのまま頭を抱えた。
そばにいるのに、俺はその肩を抱くことすらできなかった。その行動が自分の思いと相反することを、知ってしまったから。

「そう礼二に言われて返す言葉がなかった」

答えはない。

「確かに雅人のことは本気だった。でも……」

否定語は知らぬ間に相手を傷つける。真実を伝えるとしても、言葉は慎重に選ばなければ。
俺はひとつ息を吸い込み、あれこれの言い訳を混ぜこんで吐き出した。これで胸に残るのは、本当の言葉だけ。

「雅人に対する気持ちと、礼二に対する気持ちは違ったんだ。ふたりとも好きだと……俺は勘違いしてた」

雅人は顔を上げない。

「いや、好きだったんだ。好きの種類がちがっただけ。それがふたつとも恋だと思っていたのが間違いだったんだ」

何を言っているのか自分で混乱していては、相手に伝わるはずもない。
言葉を飾るのをやめよう。なるべくストレートに、頭に浮かんだことを伝えよう。

「礼二にはめちゃくちゃに抱かれたい。雅人には抱きしめられたい」

口に出してから俺は、ため息をつく。
今さらそんなことに気づくなんて……。

「ごめん。雅人の気持ちには応えられない。……俺を抱きたいんだろう?」

隣に座る華奢な身体。ふるえているようにも見える肩。
まさか、泣いてる……?
ふだん気丈な雅人の、その姿に動揺した。

「……それでも雅人が必要だったんだ」

つけ加えるように声をしぼりだす。
俺は何を言っているのだろう。自分でもわけがわからない。

「ごめん。ズルい俺で」

謝れば済む話ではないし、何もかも正直に話せばいいというものでもない。
でも、そんな矛盾を知っていながら俺は、雅人に全てを伝えずにはいられなかった。
俺の全てを理解してくれていた雅人に、この期に及んで尚、甘えようとしているのかもしれない。

雅人がゆっくり顔を上げた。瞳は予想通り潤んでいて、長い睫毛がきらりと光る。
あまりの美しさに胸がきゅっと鳴った。その目元から、目が離せない。

「ほんとに……。光はズルいよ」

見つめていた瞳がゆっくりと伏せられ、雅人は俺にキスをした。



*****

「え……どういう……こと?」

翌日仕事から帰宅した俺は、部屋の状況に絶句し、立ち尽くした。

「……雅人っ!雅人……っ!?」

悲鳴のような叫び声をあげながら、雅人を探す。
どこにもいなかった。そればかりか、家具にいたるまで雅人の持ち物全てが消えていた。

「……なんで……だよ?」

家中を探し回ったというのに、雅人の形跡ばかりか置手紙のひとつも見つけられずに、俺はソファに倒れこんだ。
何も聞いていない。唐突すぎる。昨日話したばかりじゃないか。

ふたりで過ごしたこの部屋での日々が、脳裏をよぎる。
真綿でくるまれたような安心で幸せな日々。
本当のことを話してしまったからには、いずれ離別のときが来ると予想していたものの、まさか昨日の今日でこうくるとは……。

思い立ってソファから立ち上がり、決して広くはないキッチンに向かう。
流しに洗って伏せられたカップは、今朝使ったばかりで……。

「やっぱり、な……」

ペアだったはずのそれは、相方を失って1つだけ、淋しそうにそこにあった。
シンクのふちに手をつき、体重を預ける。
うつむくと、いつの間にかたまっていた涙がこぼれ落ちた。



*****

抜け殻のように1週間を過ごしたあと、ようやく俺は動き始めた。ここでこうして待っていれば雅人は必ず戻ってきてくれると期待しても無駄だということが、やっとわかったから。

あれだけのことを言っておきながら、どこかで俺はまだ雅人に甘えていた。仕方ないなと言いながら、俺を受け入れてくれるのではないかと、頭の片隅で思い続けていた。
今回ばかりは雅人に完全に見放されたと理解するのに1週間もかかるなんて、間抜けにもほどがある。早く腰を上げれば、この1週間で雅人の動向が少しは掴めたかもしれなかったのに。

衝撃的な事実を拒む心が、望めない期待にしがみついていた。自分の心が、見えない力で操られているようだった。俺ははじめてその恐ろしさを痛感した。



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