塩味ハニームーン

02




2. 木枯らしがノックする ―side飯田正成


「寒い……」

何しろ古い家だ。すきま風はそこかしこから入ってくる。
祖父が受験生の俺を気遣って、まだ11月初旬だというのに電気ストーブを出してくれた。熱気に当たった右半身だけは温かい。
綿入れの半纏を着て文机に向かう俺は、昭和初期の書生ムード満点だ。
広野に言わせたら、せっかくのイケメンが残念だなってことになりそうだな。あいつはしきりと俺のことイケメンだって言うから。
ふっと笑いが溢れる。
こうして勉強に勤しんでいても、あいつのことは四六時中頭から離れない。

想いを抑えきる自信のなかった俺が、あいつから逃げるように旅立ったのは5年前。
5年の月日を経て、夏に帰国した俺の足は、満月の夜、自然とあの海に向いた。
広野と眺めたあの光景。
5年間、片時だって忘れたことはなかった。
偶然再会した俺たちは、海の中、波間に揺れる月光の下で、お互いの気持ちを確かめ合った。
5年前から両想いだったなんて。
元々ゲイの俺と違って、ノンケの広野に、そんなことはあり得ないと思っていたから。
幸せだった。あの時人生のピークが来た、と言っても良いくらいだ。

広野の大学が夏休みの間は、こっちで2日と開けずに会うことができた。離れていた間のことを語り合い、これからの目標を語り合った。
もちろん人目を盗んでたくさんキスもした。
キスはしたんだけど……。やっぱりそこまで。
仕方ないよな。相手はノンケの広野なんだ。
ゆっくりじっくり、愛を深めてからでも遅くはない。自分にそう言い聞かせ、逸る気持ちを抑えた。

東京へ戻る日、未練がましく着いて行った駅のホームで、広野は言った。

「頑張って合格しろよ。……俺たち二人のために」

俺が志望校に合格すれば、春からは近距離恋愛になる。
どんな手を使ってでも広野のそばにいたいのならば、片っ端から東京の大学に出願するのも手だが、将来の目標が定まった今、妥協することは自分が許せなかった。

地元は東京から2時間もかからない近県だが、決して会いに帰ろうとしない広野。
受験生の俺を思ってのことだろうけど、そういうストイックなところはあいつらしい。
それに応えて俺も、あいつに会いに行くことは考えないようにした。
それぞれが、それぞれの場所で頑張ってる。今はそれでいいじゃないか。

木枯しがカタカタと窓をノックする。今日は風が強い。
窓から見える庭木の葉が、冷たい風に吹かれてまた一枚落ちた。
全部落ちたら、冬が来るのかなぁ。
冬休み、あいつは帰省するんだろうか。
会いたい……。拓海……。

しばらく物思いに耽っていると、階下から夕食に俺を呼ぶ祖父の声がした。
祖父の夕食時間は早い。就寝も起床も早い。
受験生にはありがたいかも。夜より朝勉強した方が頭に入りやすいって言うもんな。

「じいちゃん、肉じゃがって簡単?」

大きめに切られたほくほくの甘辛いじゃがいもを頬張りながら、俺は聞いた。

「簡単だよ。今度は肉じゃがかい?」
「うん。教えてくれる?」
「いいよ。じゃあ次に作るとき、一緒にやるかな」

祖父に習う料理は、それこそ初めは卵焼きからで、どれも基本中の基本だったが、初心者の俺には新鮮だった。
「合格したら一人暮らしになるから」という理由には、祖父も納得だったようで、基本中の基本でも丁寧に教えてくれた。

いつか広野にも食わせたいな。あいつが一通り料理できることは知っているけれど。
俺はこんなことも出来るようになった、とあいつに認めてほしかったんだ。
これまで俺は、いつもあいつの背中を追いかけてきた。
あいつのこと羨ましいと思うところを、一つ一つクリアして行けば、そのうち堂々と隣に立つことができるだろうか。

夕食後、自室に上がり、勉強の続きに戻る。
薄いカーテンの向こうから、今夜も寒空に張り付いた月がこっちを見ているはずだ。
さっき新聞で月齢を確認したけれど、今日は満月。
後で広野に電話をしてみよう。
普段はメールのやり取りが多いけど、たまにはいいだろう。この前電話したときは、ダチと宅飲み中であんまり話せなかったし。
てか、ホントにダチなんだろうな?広野がそう思ってるだけで、相手は違うかもしれないじゃないか。
5年前より垢抜けて、格段に色気を増した広野が心配だ。



「……何?」

相変わらず素っ気ない出だしに苦笑する。
恋人になった今も、広野は変わらないクールさで淡々と俺に接してくれる。あの熱い告白は幻だったのかと思うくらいに。

「あ、うん。何してるのかなぁと思って」
「別に。テレビ見てた。……お前は?」
「もちろん勉強」

即答すると、広野が微かに笑った気がした。

「だよな。いい子だ」
「だろ?……なぁ、今日は満月だって知ってた?」

メールやめて電話にした理由を、それとなく匂わせる。

「……知ってた。帰り道に見たし」
「そか。俺、窓からばっちり見えてんだわ。広野んちからは見えないの?」
「どうかな。窓開けて……」

立ち上がる音と、カーテンを引く音。

「パッと見じゃダメだな。でもけっこう光明るいな。これなら……」

ガタガタとサッシを引く音がする。

「やっぱな。うん、ベランダから乗り出したら見えた」
「っぶねーからやめろよ」
「はは。いいじゃん。今同じ月見たかったし」

いつもと同じ口調で何気なく広野が言った言葉に、切なくなる。
そう思って、俺も電話したわけだし。
良かった……。広野も同じ気持ちなんだ。

「同じ空の下で同じ月を見てる……、か」

思わず口にした言葉は、安っぽい歌詞みたいで、言ったそばから恥ずかしくなった。
だけど。

「お前の隣で見たかったな……」

なんて言われたら。
広野が普段クールな分、そんなこと言われたら、堪らなくなるじゃないか。

「抱きしめたい」
「……っ。アホか。無理だろ」
「無理を承知で言ってみた」
「ふ……っ」

受話器越しに空気が揺れる。やっと笑った。

「なぁ……飯田。勉強頑張れよ」
「言われなくても頑張るよ」
「俺はそう言うことしかできないから……。もどかしいんだ」
「広野……」

揺れる声色から、言葉の裏にある合格して上京しそばに来てほしいっていう広野の願いが、痛いほど感じられた。

「邪魔になるといけないから、もう切るな」

広野らしい声に戻り、そう言うあいつに。

「ありがと。おやすみ。……好きだよ、拓海」

この程度の言葉しか返せない俺が悔しい。

そばに行きたい。抱きしめたい。たくさんキスしたい。
濃紺の夜空を明るく照らす満月を見ながら、俺は愛しいあいつの代わりに、切なさを抱きしめた。

同じ空の下って言ったけど、少し田舎なこの辺りの空と、あいつのいる都会の空はきっと違うのだろう。
向こうに今日は、星も見える。



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