塩味ハニームーン

03




3. 白い息消えた ―side広野拓海


ストイックだ、と野々村に言われて否定した俺だったが、やはりストイックなのかもしれない。
いや、頑固と言うべきか。
とにかく俺は、頑なに地元に帰らなかった。
初心貫徹っていうのかな。こうと決めたら譲らない俺の性格は、やはりカタカナで表すとストイックになるのだろうか。
そんな規制生活もようやく終わる。

季節は完全に冬。
大学のいちょう並木は葉を全て無くし、寒々とした冬枯れの木々には、誰が付けたかクリスマスを意識した電飾がところどころに巻き付けられていた。最近は100円ショップでも手に入るから、学生のやったことなんだろうけれど。

そっか。もうすぐクリスマスなんだな。
これまであまり意識したことのないイベントだ。
彼女がいた年は、さすがにプレゼント買ったり食事したりはあったけれど。
年末年始はいつも帰省するようにしている。
今年はクリスマスに間に合うように帰ろう。そう思った。



降り立った地元の駅のホーム。
ちょうど帰宅時間帯で、コートの衿を立てたサラリーマンや、ストールをきつく巻き付けたOL風の女性が、寒そうに電車を待っていた。
見慣れた駅の光景だが、前回来たときと季節は真逆だ。
線路上からホームに吹き抜ける冷たい風に、ダウンジャケットのファスナーを顎まで引き上げた。

実家に着いたのは夕食時。
キッチンで準備中の母親に声をかける。

「ただいま。メシ食ってないけど俺の分ある?」
「あるわよ。荷物置いたらいらっしゃい。すぐできるから」

頷きで返事の変わりにし、自室に向かう。
荷物を置き言われたとおりに戻ると、食卓にはビーフシチューが湯気を立てていた。

「今日は拓海が帰るって言うから。好きでしょ」
「うん。ありがとう」

母親はいつまで経っても母親だ。いつでも居心地の良い空間を作って待っていてくれている。
4つ違いの姉はすでに社会人で、今日は帰りが遅いらしく、その日の夕食時間に顔を合わせることはなかった。

「大学は変わりないか?」

今日は珍しく帰りの早い父親が、夕食に同席している。
普段から口数の少ない人で、相手に求める答えも簡潔なものを好む。

「うん。何も問題ないよ」

言えば父親は、満足げに頷いた。
静かな食卓。

夕食を終え、風呂に入ってから自室に戻る。
大学進学を期に実家を出たが、俺の部屋は高校生の頃のまま残してもらっていた。
使い古した勉強机にシングルベッド。地デジ化のせいで、もはやゲーム専用と化しているアナログテレビ。本棚には下宿に持って行かなかったマンガ本がぎっしり詰まっている。
その中の1冊を手に取り、ベッドに寝転がる。
ページをめくると、いつもならすぐにその世界に入りこめるはずだったが、まるで頭に入ってこない。年月が経って、そのマンガ自体に興味をなくしたという訳ではない。

「……先に済ませるか」

一人呟いて起き上がり、携帯を手に取った。
気になることがひとつでもあると、集中できない。俺の性格だ。

「何してた?」

電話越しだと、ついぶっきらぼうになってしまう。
のっけからそんな聞き方はないだろう、と自分でも思う。

「もちろん勉強……。嘘、ちょっとテレビ見てた」

クスリと笑うその声に、今すぐ飛んで行きたくなる。

「テレビかよ。ちゃんと勉強してんのか?」

気持ちと裏腹に、そんなことしか返せない。

「してるしてる。大丈夫だって。広野は何してたの?」
「……帰ってきた」

本当は一番に言いたかったことを、飯田に引き出される形で伝える。

「マジで?じゃ会えんの?」

途端にトーンの上がる声に、胸がほわりと温かくなった。

「うん。……いつがいい?」

本当は今すぐにでも会いたかったけれど、受験勉強の邪魔をしたくない俺は、飯田の都合を聞いた。

「今すぐ会いたい!って言いたいとこだけど……、さすがに夜だしなぁ。お互い家族もいるわけだし明日かな」

明日。……飯田に会える。

「わかった。とりあえずいつもんとこ?」
「ん。10時くらいでいい?」
「うん。勉強道具は多目に持って来いよ」
「了解」

少しでも長く一緒にいたい。けれど、勉強の邪魔をしたくはない。
――いつもの場所。それは図書館。



キリリと冷たい水で顔を洗う。
学生の俺は休みだが、平日の朝だ。家族は皆バタバタしている。

「拓海、帰ってたのね。うわ、私もう出なきゃ!また夜にねー」

姉が忙しなく出て行く。

「今日は遅くなるから」

父親も彼なりの慌ただしさで出かけて行った。

「で、あんたはどうするの?」

送り出してやっと人心地、といった風情の母親が、俺の前にカフェオレのカップを置きながら聞いた。

「高校んときの友達と会ってくる」
「そ。遅くなるなら連絡の一つくらいはしなさいね。ご飯の仕度もあるから」
「わかった」

遅くなるつもりはない。飯田の邪魔だけはしたくない。
会えば離れ難くなるのは分かっているけれど。
でも、とにかく。
とにかく今は、早く会いたい。
朝食のトーストを口に詰め込み、カフェオレで流し込んでから立ち上がった。



高校のころから通い慣れた図書館に着いた。ここにはたくさん、思い出がある。
あの夏休み、飯田と何度も通った場所。 宿題を一緒にしようだとか、理由をつけてはお互いに誘った。
思えばあの頃から、俺たちはお互いに好意を持っていたはずで。
そうとは知らず、誘い出すメール一つ送ることすら躊躇し、文面を何度も読み返しては消した。送信ボタンを押すときは、いつだってドキドキしたものだ。
懐かしく思い出す、片想いの記憶。
胸を締め付ける切なさの記憶は、俺にとって貴重な財産だと言い切れる。

恋っていいものなのか、と俺に聞いた、野々村の顔がよぎった。
――いいものだよ。恋は。もしそれが、たとえ片想いだったとしても。

「広野!」

重そうなバッグを提げた見た目の良い男が、片手を上げてこっちに向かってくる。
嬉しそうな笑顔。
会いたかった……。俺の恋人。

「待たせた?」

図書館の入口で、大きなバッグをよっこらせと下ろし、飯田が聞いてくる。

「全然。さっき来たとこだから」
「良かった……。で?昨日帰ってきたの?」
「そ。前もって言っとけば良かったか?」
「ううん。俺はいつでも待ってるからさ、広野のこと。だから大丈夫。」
「これでも例年よりかなり早い帰省なんだぞ?」
「ははん。それだけ俺に会いたかったってことですね?」

いたずらっぽく笑う飯田に、心臓が跳ね、顔が火照った。

「……っ!悪りーか」
「俺も早く会いたかったから大歓迎」

ふわりと笑う飯田の表情。久しぶりに見たが、変わらない柔らかさで俺を包む。
一旦図書館内に入ってしまうと、私語は厳禁だ。
久しぶりに会う俺たちは、お互い話したいことがたくさんあり過ぎて、なかなか館内に入れずにいた。
よりによって、今日は風が強い。屋外での立ち話に、そろそろ限界を感じた。
こんなことなら、待ち合わせはカフェかファミレスにするべきだった。頭の片隅で後悔しはじめたとき、飯田がそろそろ入ろうか、と言った。
もう少し話していたい気もしたが、寒空の下、飯田に風邪を引かせるわけにはいかない。
受付を済ませると、飯田が小声で言った。

「さっさと今日の分の勉強終わらせるから、どっかで飯でも食いながらゆっくり話そ?」
「……うん」

飯田ももっと話したいって思ってくれてんだな。
まだ身体は冷えていたが、心が温かくほっこりした。


4人掛けの席に、並んで座る。
飯田が俺のノートを写していた頃、いつもこうやって着席していた。
懐かしいな。
高校の図書室で、うたた寝していた飯田の寝顔に、胸を高鳴らせたことを思い出す。

――好きだなんて。
あの頃は好きだなんて、自覚することさえ恐れていたんだ。
気持ちに蓋をして、それでも惹かれて行ったのに、自分で見て見ぬふりをして。
俺は基本、うやむやにするのは嫌いだから、何でも早めにはっきりさせる。なのに、飯田のことに限っては、気持ちの揺れ方があまりにイレギュラー過ぎて、いつまでも白黒着けずにいたんだ。
そのせいで俺たちを苦しめた空白の5年間。ただの空白じゃなく、お互いに成長した5年間だったら良いのだけれど……。

広い机に参考書を山積みにした飯田は、赤い本に取りかかっている。
今さら色々詰め込んでも仕方がないし、やっぱりこの時期は過去問だよな。自分の通過してきた道を思い出しながら、飯田の勉強が順調に進んでいるのだと安堵した。
俺自身もノートとプリントを広げる。
正式に院生として研究室に入ると、定期的に英語論文の抄読会がある。時間があるのなら、前もって論文を何本か読んでおいた方が良いと先輩が教えてくれた。
しばらくそれぞれの勉強に集中していたが、飯田が手を止めて俺の方を見ているのに気づいた。
視線が合う。

「……それ、英語論文?」

周りを気にしながら小声で聞く飯田に、小声で返す。

「うん。春からに備えて」
「それにしても相変わらずきれいなノートだな」

微笑みながら言う飯田もきっと、あの頃を思い出しているに違いない。甘酸っぱい気持ちになりながら、再び机に向かった。
お昼を少し回ったところで、飯田がパタリとノートを閉じた。

「腹減ってきたんだけど……」

それもそうだと頷き、俺たちは昼休憩に一旦図書館を出ることにした。

手っ取り早く、近くのファーストフード店に入る。

「脳ミソ働かせるためには炭水化物が必要なんだぜ?」

とか言いながら、山盛りのポテトをトレーに載せて席に着く飯田に苦笑する。

「腹壊すなよ?」
「あは。俺腹強いから大丈夫ー」

相変わらずのゆるい調子に、こいつも変わってないなと嬉しくなった。
ハンバーガーを頬張りながら、目の前にいる存在が実体であることを確認する。
正直今でもまだ、夢をみているみたいなんだ。
飯田が、ここにいるなんて。
突然目の前からいなくなって。焦がれて焦がれて……。
もう二度と会えないのかと思っていたから。

昼食は淡々と済ませ、俺たちはまた図書館に戻った。
少しでも早く今日の分の勉強を片付けて、俺とゆっくりしたいんだと飯田は言った。
俺にはノルマはなかったけれど、集中する飯田に触発されて、じっくりと論文を読み込むことができた。まだまだ辞書首っ引きだけど。

そう言えば……。
こいつは留学してた訳だから、辞書なんてなくても英語論文読めるんじゃないか?今は一介の受験生だけど、英語が堪能なんて、将来性ありまくりで羨ましい。建築士になりたいって言ってたから、俺みたいに論文読むことはあんまりないかもだけど……。世界に出るならきっと役に立つ。
飯田の大きな夢と、それを叶えてゆく将来を想像し、俺は微笑んだ。
そんな将来に向かって前進するこいつの傍で、その過程をずっと見守っていられたらいいのにな。

「ふー……」

長い息をつき、ノートを閉じる飯田。
窓の外はすでに薄く紫色がかってきている。冬の日は短い。

「出る?俺もキリのいいとこだし」

言えば飯田は、にっこり笑って頷いた。



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