塩味ハニームーン

04




「どこへ行く?」

ポツポツとスモールライトを灯した車が行き交う交差点。
信号待ちをしながら、これからの予定を話し合う。

「二人きりになれるとこがいいなぁ」

道路向こうの歩行者信号を見ながら、飯田が呟いた。

「え……」

一瞬固まる俺。
それってもしかして……。いや今晩泊まるとか無理、何も持ってきてないし。じゃなくて問題はアレだろ、飯田と泊まりってこ……

「って、いやいや!そういう場所じゃなくって、そう、例えばカラオケとか!」

焦ったように弁解する飯田もだが、勘違いした俺も真っ赤になっているに違いない。

「もぅ……!勘違いしたじゃねーか紛らわしい」

抗議の声をぶつけると、

「……俺はそれでもいんだけど。……よくないだろ?」

辛うじて聞き取れる声で返ってきた。
夏休みからこっち、会えなかったせいで、俺たちに進展がない自覚はある。自覚があるのと同じくらい、進展に対する覚悟もある。

でも……。

「うん……。良くないな」

敢えて俺は言い切った。

「カラオケ行こうぜ」
「そだな」

同意した飯田が、ちょっと寂しそうな表情を浮かべていたのに引っ掛かったが、触れないでおいた。
だって……。今、飯田とそういうことになったら……。
俺はきっと夢中になる。
ただでさえそういう経験が少ないんだ。好きで好きで……。初めて自分から追いかけたこいつに、溺れない自信はない。
一線を越えてしまうことで、安易に飯田を求めるようになったらヤバい。受験生の飯田を惑わせるようなことを、今はするべきじゃない。
俺は脳内で必死に自制し、自分と戦った。

入った駅前のカラオケボックスは、高校のころ飯田がよく利用していたらしく、しきりと懐かしいを連発していた。

「陣内や安藤も元気かなぁ……」
「二人とも仲良く都内の大学にいるよ。なんとか現役で入れたんだ。卒後は知らねーけどな。やっぱり全然連絡取ってねーの?」
「うん、誰ともね。広野に繋がっちゃうのが怖くて」
「……」
「ごめんな。あの時は逃げることしかできなくて……」
「も……いいよ。今こうしてここにいるわけだから」

少し俯いて、声を絞り出した。あの頃の切ない想いが蘇る。
突然に飯田を失って、途方に暮れていた、あの頃の……。

「広野……」

俯いたままの俺の頬を、温かい手のひらが包みこんだ。

「……」
「……」

顔を上げると柔らかな瞳と目が合った。

他の部屋から漏れてくる喧騒の中、無言で見つめ合う時間が流れてゆく。

「……会いたかった」

その視線は外さずに、飯田が言う。

「俺も……」

応えるように飯田の瞳に映る自分を見つめ、なんて顔してんだ、と思う。
切ない表情。お前が好きだと訴えてる。
焦点をぼかし飯田の表情を伺うと、同じような切なさが読みとれた。

どちらからともなく唇を寄せ、久しぶりのキスを交わす。
ゆっくりと瞼を閉じると、柔らかな飯田の唇の感触だけがより鮮明に感じられた。
生身の飯田と触れ合える幸せ。会えない時間に、何度想像したのだろう。

「好きだよ……」

繰り返すキスの合間、気付けば俺は、そう囁いていた。
ゆっくりと離れ、瞼を開けた飯田が囁き返すのは魔法の言葉。

「拓海……。も少しこっち来て……」

自分の名前がこんなに甘美な響きを持つなんて。こいつに呼ばれるだけで、それは特別な言葉に変わる。
俺はそっと、もどかしい距離を詰めた。
肩が触れ合うほど近くに寄ると、すぐに抱き寄せられた。肩に感じる飯田の熱に、俺の気持ちも昂り、たまらず飯田にしがみつく。ほぼ同時に背中に腕が回り、強く抱き締められた。

「ずっと……。こうしたかった……」

俺の肩口に顔を埋め、くぐもった声で囁く。

「会いたくて、狂いそうだった」

抱き締める力の強さに、飯田の想いを知る。

「俺も……。ガマンすんの、大変だった」

でも、俺のお前への想いも、同じくらい強いんだ。
やっと会えたんだ。ぶつけてもいいかな?お前に。想いの丈を。

「好きだよ……正成…っ」

俺の囁いた魔法の言葉は、その余韻を響かせないうちに飯田の口の中に消えた。
深い口づけ。交わる舌。
優しく、激しく、息が切れるまで、それは続いた。

口のまわりに深いキスの余韻を残し、見つめ合う。
飯田の瞳に俺。俺の瞳には飯田。
求め合えるってなんて幸せなことなんだろう。

「……拓海」
「ん?」
「ありがとな」
「んだよ……」
「好きになってくれて……」
「……」

瞳を揺らしながら囁く飯田。
俺は無言で続きを待った。

「俺、本当に幸せ。こんなん初めてでどうしていいのか分かんないくらい幸せ」

ニッコリと破顔し、言い切った飯田は満足そうに頷いた。
そっか……。こいつ……。

真性ゲイの飯田は、これまで辛い恋ばかりしてきたに違いない。
過去の恋愛については、あまり多くを語らないが、ゲイバレしたことで親友を失ったことは聞いた。
ごく平凡で平坦な俺の少年時代とは違って、悩むことの多い多感な時期を過ごしたのだろう。
でも……。

「もっと幸せにしてやるから」
「た……くみ」
「こんなもんじゃねー。覚悟しとけよ?」

とりあえず、幸せへの第一歩を進めなくては。

「な、クリスマスイブなんだけど……」

俺は躊躇いながらも切り出した。
躊躇いもするだろ?相手は数週間後に受験を控えてんだから。

「ちょっとでいいんだ。時間作れる?」

聞けば飯田は、瞳を輝かせた。

「作るに決まってんじゃん」

その笑顔にクラリとしながらも、俺は続けた。

「あのさ、プレゼントとかはナシにしよう。ただ、さ」
「……?」
「少しだけでいいんだ。お前と並んで、イルミネーション見ながら街を歩きたい」

あまりに乙女思考な提案に、引かれはしないかと言葉が尻すぼみになる。
でも、その為に早く帰ってきたんだ。頑張って言わなきゃ。

「デート……してくれねーかな?」

言ったそばから恥ずかしさに消えてしまいたくなり、ギュッと目を瞑った。
赤面したまま固まる俺を、ふわりと温かい腕が包み込む。

「お誘いありがと」

耳元に落とされる軽いキスと。

「嬉しい。俺も拓海とデートしたい」

了承の言葉。
ホッと身体の力を抜けば、今度は優しく抱き締められた。

「好きだよ……。拓海……」
「正成……俺も」
「本当は帰したくない」
「……」
「でも分かってるから。お前には時間が必要だって……」
「正成……」
「お前がこっちに来る覚悟ができるまで、俺待てるから」

俺を抱き締めたまま、淡々と話す飯田。
やっぱりゲイの自分と俺の間に、まだ壁があるって思ってる……?
違うんだ。俺はとっくにそんな壁は飛び越えてる。
どう伝えたら……。

「俺、大丈夫だから」
「拓海?」
「お前と、……そうなる覚悟なら、もうずっと前からできてる」
「え……」
「今日踏み出さなかったのは、俺自身が怖いからだよ。お前に夢中になって、足を引っ張ってしまいそうで……」
「俺は何が何でもお前に合格してほしい」
「拓海……」
「傍に来てほしいんだ」
「……うん」
「だから。な?……その」

ここまで強い調子で来たのに、俺はその先を言い淀んだ。
だって。

「……合格したら、な?」

自分でその日を指定するようなもんだろ?
頬が……熱い。

「分かった」

ギュッとひとつ強めに俺を抱き締めてから、飯田の身体が離れた。

「合格したら……、だな。よっしゃ、俄然やる気出た!」

ニッと白い歯を見せて笑う飯田。
なぜだか俺は確信した。絶対こいつは合格するって。



結局一曲も歌わないままカラオケ屋を出る。
キンと冷えた冬の夜だ。冷たい空気が火照った頬を冷ましてくれる。

「下見して帰ろ?……デートの」

少し照れくさそうにそう言う飯田に頷き、歩き出す。
夜空に向かって吐いた白い息が、俺たちの後ろに流れて消えた。



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