塩味ハニームーン

05




4. キラキラを捧げる夜 ―side飯田正成


街角では有名なクリスマスソングが繰り返し流れていた。
この寒さにも関わらず、行き交う人々はこぞって楽しそうで。
今晩にギリギリ間に合ってホッとした表情のお父さんらしき人が、プレゼントの大きな袋を抱えている。きっといい値段のするオモチャなんだろう。子供にとっては滅多に買ってもらえないような。
明日は特別な日だ。子供たちにとっても、無神論者の俺にとっても。
無神論者って言っても信仰する宗教がないだけで、ここぞというときには神に祈る都合のいい俺なんだけど。

一年で一番日の短い時期だ。夕方だと思っていたら、あっというまに日が暮れた。
ポツリポツリ点ってゆく街灯を眺めながら、俺は小一時間あいつを待っていた。
受験生のくせにそんなことしてていいのかって言われそうだけど、いいんだ。少し早めに気分を盛り上げておきたかったから。
あいつが誘ってくれた、特別な日だから。

待ち合わせ時間の5分前に、広野は現れた。
グレーのダッフルコートに紺地にグリーンのタータンチェックのマフラー。学生っぽい服装で、年齢より幼く見える。似合ってるけど。

「待たせた?」
「いーや。広野、今日はえらく可愛いな」

正直に感想を述べる。

「ばっ……。こんなとこで言うことかよっ」
「いいじゃん。今日は他人のことなんか気にするヤツいないって」

そう言って、広野の手を取った。瞬間あいつはビクッとなる。

「おま……飯田、いつからここにいんだよ?冷たい手ぇしやがって……」

やば……。バレたか。
眉を寄せる広野に慌てて言い訳をする。

「いやいやちょっとだけ前だよ?勉強のキリが良かったからさ、早く出てみるかなーって」

ホントかよ、なんて言いながら広野は、そこでやっと気付いたらしく真っ赤になった。

「手……っ!手なんかっ」
「ダメ……?嫌だった?」

答えの分かりきった質問をする俺も大概ズルいと思う。

「……嫌なわけないだろ。でもそういうのは」

予想どおりの答えをくれる広野に、言葉の途中からすでに顔が弛んでいた。

「二人だけの時にしろよ……」

あぁ……。幸せだ。

プレゼントは無し。イルミネーションを見ながら、ちょっとだけ街を歩くっていう広野のデートプラン。
せっかくの特別な日に、それだけっていうのも寂しい気はするが、受験生の俺を気遣ってくれた広野の気持ちを汲んで、そのプランに乗ることにした。
でも。

「晩飯は?食ってきた?」
「……帰ってから食べるっつってきた」
「そっか……」

ちょっと残念。

「じゃないとダラダラしちゃうから」

筋の通ったこいつらしい。

「分かった。でもカフェでお茶くらいはいいよな?」

歩くだけじゃもの足りない気がして、妥協案を出した。
頷く広野。

「通り沿いの店に入ろう。知ってるとこがあるんだ。窓側の席なら、多分イルミネーションも見えると思う」

言いながら目線で促すと、広野は再び頷いた。

「夏はオープンカフェになってたけどなぁ。さすがに冬だからオープンはないだろうけど……。でも5年前のことだから、店自体まだあるかどうか……」
「5年前、誰と行ったんだか」

俺の言葉を受けて呟いた広野は、言ってから気付いたらしく、今のナシ!と慌てていた。
嫉妬なんて嬉しいことしてくれるじゃないか。

通りに面した件のカフェは、5年前と変わらずそこにあった。
誰と行ったかなんてうろ覚えだが、多分陣内か安藤に頼まれて行ったコンパで知り合った子と、付き合い程度に入っただけだと思う。
この街に来てからの俺が恋心を抱いたのは、広野だけだったから。

もちろん最初は友人として、なんかいいなって思って一緒にいたわけだけれど、いつの間にか夢中になって。まさか恋人になれるなんて思ってもみなかった。
その広野が、こうして目の前にいる奇跡。
規則的に色を変えるイルミネーションに目を細める満足そうな横顔を眺めた。
店内に流れるのは、オシャレなカフェらしくジャズアレンジのスタンダードなクリスマスソング。 愛しい恋人と一緒に無言で耳を傾けていると、子供でも知ってるトナカイさんの歌が、なぜだかロマンチックに聞こえてくるから不思議だ。

「雰囲気いいな、このカフェ」

窓の外のイルミネーションから目を反らし、広野がこちらを見て言った。

「良かった」

微笑んで言うと、

「さっきは……変なこと言ってごめん」

少し視線を外して広野は言った。

「誰と行ったって過去のことだもんな。つい……わり」

過去にまで嫉妬してくれるなんて……。

「嬉しい。ありがと。そういう嫉妬なら大歓迎」

頬が弛んで仕方がない。
視線を俺から外したままの広野は、耳を微かに染めながら、アートの施されたカプチーノのカップに口をつけた。
目の前に置かれた同じ物に、俺も手を伸ばす。
柔らかく泡立てられたミルクにコーティングされたコクのある苦みが、ゆっくりと口の中に広がった。
刻々と経過してゆく時間。ひとつため息をつく。

「春になれば、もっと一緒にいられるんだから」

俺の気持ちを見透かしたように、広野は言った。

「だろ?」

心の繋がりに安堵し、俺は頷いた。

「そろそろ出る?」

冷たくなったカプチーノ。
最後の一口を喉に通してから、俺は言った。頷いてコートとマフラーを手に立ち上がる広野。
とりあえずここは俺が、と会計を済ませる。
高額ではないためか、広野も頑なにワリカンを主張してはこなかった。そんな些細なことでも、徐々に近づく距離に嬉しくなる。



通りに出ると、立ち止まってイルミネーションを眺める人や写真を撮る人で、街は混雑していた。
はぐれないよう、そっと広野の手を取ると、人混みの中だからなのか抵抗はされなかった。
まだ賑わっている量販店から流れ聴こえてくる定番のクリスマスソング。
去年のクリスマス……、か。
去年どころかその前も、さらにその前も、俺は君を失ったままだった。
歌詞と真逆の展開だなと考える。
今年のクリスマス、俺は君に心を捧げよう。
ネクストクリスマスも、きっと……。

考えながら歩く俺の隣で、同じように無言で歩いていた広野がふと口を開いた。

「ヒットしたクリスマスソングって失恋の歌が多いよな」

確かに俺も、今流れている曲に対してそんなことを考えていたけれど、なるほど、よく考えてみればそうだな。
待ち合わせに来ない歌だとかクリスマスの頃には別れてるだろう歌だとか。

「なんでだろなぁ」
「失恋の方がしみるんじゃないの、日本人の心には」
「だなぁ。お涙ちょうだいもの、好きだもんな」
「蔭に隠れてひとりむせび泣くみたいな?」
「はは。でも、俺そーいう日本人気質はキライじゃないな」
「長期留学してたのにアメリカナイズされてねーんだ?」
「そうだな。むしろアメリカにいて、奥ゆかしい日本が恋しかったくらいだから」

正直アメリカに行ってた俺よりも、日本から出たことのない広野の方が、ストレートに物を伝えられる性格だ。
広野にしてみれば、クリスマスのハッピーな雰囲気にはハッピーな歌をってところなのかもしれないな。

「でもさ、失恋悲恋は置いといて」

広野が少し声のトーンを変えて言う。

「俺、あれは分かる気がすんだ。……恋は障害が大きいほど燃え上がる、ってやつ」

微妙にはにかんだ風な声色に、広野の表情を伺う。
これって、自分自身のことを言って……。

「飯田に会えなくなってさ、高3ときは受験大丈夫かなってくらい思い詰めたときもあったんだ」
「……」
「何とか大学受かって、大学生活の忙しさに救われて、そっからはずっとくすぶるみたいな気持ちだけが残ってたんだけど」
「……」
「再会できてさ、気持ちピークんなって、なのにまた会えなくなっちゃって」

歩きながら淡々と話す広野は、前を見つめたままだ。

「会えなくなると、会いたい気持ちって強くなるんだな、ホントに」
「広野……」

クスリと笑った空気に、その顔を覗き見た。

「我慢して我慢してやっと会えた」

広野もゆっくりと俺の方を向いた。

「……」
「我慢して良かった。俺、今超幸せ」

花が咲くような笑顔。胸がキュウッと締め付けられる。
叶ってもなお、この恋は俺をこんなにも切なくさせるのか。

「……広野、こっち」

俺は躊躇いなく広野の手を取った。

「い……いだ?」



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