塩味ハニームーン
06
戸惑いの声は聞こえないふりをして、雑踏をずんずん進む。
イルミネーションの施された街路樹が途切れた角で、ビジネス街に向かって曲がった。
こんな日のこんな時間。人気は少ない。
人気がなくなってきたことに安堵したのか、それとも俺の心の内を察したのか、広野はおとなしくついて来ていた。
ビルとビルの間、路地を抜ける。
それでも時々行き過ぎるビジネスマンに心の中で舌打ちしながら、俺は歩いた。
「広野、来て」
ぐっと一際強く手を引けば、前のめりになったあいつの身体が都合よく倒れこんできた。
そのままギュッと抱き締める。
「こんなとこ連れ込んで、ごめん」
頬に頬をくっ付けて囁けば、広野がふぅっと息を吐いた。
「全くだよ……」
やれやれ、といった風にこぼす広野。
怒ってる?と一瞬気持ちがひるんだけれど、すぐに空気は和らいだ。
クスクス笑いに揺れる肩。
「すげぇなお前。よくこんなとこ知って……」
「知ってたわけじゃ……。なんか俺、必死で……カッコ悪」
言ってて自分でへこんでくる。
そう。必死だったんだ。
「ううん。ありがと」
「え……」
明るい声のまま、広野が囁く。
「俺も二人になりたかったから、うれしい」
ビル街の隙間、暗い路地で俺たちは抱き合っていた。
お互いを同じくらい求め合ってる。
気持ちのぶつかり合いが、背中をまさぐる手を激しくさせる。
「ん……」
どのくらいの時間、キスしてんだろう。
愛しくてたまらない想いを、キスの数で表せたら。
髪に、額に、瞼に、頬に、首筋に。
……唇に。
ひとつひとつ、丁寧に押し当てるようなキスを。
密着して抱き合っているわりにドライなそれは、それでも俺の気持ちが伝わるのか、広野の身体を熱くさせていた。
その証拠に。
押し当てるだけのキスの合間に広野が漏らす声。
「……ん」
吐息も、熱い。
「ふ……ぅ……」
触れ合わせていた唇を離し、少し距離を取る。
そのままコツンと額に額をぶつければ、広野が閉じていた瞼を開けた。
「……軽いのにすげぇ威力」
そう笑う瞳が潤んでいる。
「ありがと……、かな?」
「勘弁してよ、俺もう膝が怪しいし……」
笑いながら素直に告白するところは、こいつらしいな。
でも。
「欲情したんだ……?」
今夜は……。
少しだけ、違うお前も見てみたいんだ。
「うん……っ!」
返事を待たずに噛みつくようなキスをする。
驚いて目を丸くした広野だったが、すぐにその瞳を閉じた。それを了承のサインと受け取って、徐々にキスを深くしてゆく。
「……ん……ふ……」
漏れ聞こえる鼻に抜ける声がたまらない。
「ん……はぁ……っ」
路地に水音を響かせながら、広野の口内を味わう。
舌で舌を絡めとり、そのまま強く吸ってから解放すると、広野が反撃に出た。遠慮なく侵入してくる舌を、歓喜の気持ちで迎え入れた。前歯の裏側をなぞられ、上顎から頬の内側まで、隈無く舐め尽くされる。
「ぁ……ふ……」
今度は俺が声にならない声を漏らす番だ。
口内を這い回っていた広野の舌が、俺の舌にたどり着いたのを合図に、舌と舌の絡め合いが始まる。俺の口内で行われていたそれは、夢中で広野の舌を追いかけているうち、いつの間にか冷たい外気にさらされた空間に移動していた。構わず交わる舌先から、唾液が地面にこぼれ落ちる。それだけじゃない。お互いの口の端からも伝い落ちている。
「は……ぁ……」
息継ぎのために一度離れた広野の舌を、うっすらと開けていた目で確認し、口元を伝う唾液にその目を奪われた。
すぐさま口づけ、音を立ててそれを吸い取る。
「おま……エロくさ」
上がる息の下で、広野が笑う。
こんなセリフも、さっきまでの広野も、いつもと違う。
「飯田って……エロいんだな。キスだけでこんな……やっぱ経験値?」
さっきまでの自分のことは棚に上げて広野が言った。
「過去は気にしないんじゃなかったの?」
軽い嫉妬は歓迎だけど。
「気にはしてねーよ。すげーなって思っただけ」
「そりゃお前のせいだろ」
潤んだ瞳に視線を合わせながら言う。
「広野が……拓海が好き過ぎるから」
「……」
「エロくもなんだよ。てかお前も相当エロかったんだけど?」
体内に熱がこもっている。
それを冷まさなきゃって、わざとからかうように言ってやったのに。
「悪いかよ……。もぅ頭んなかヤベェんだよ。お前ともっともっと……、って」
「え……」
意外な告白に固まる。
「どうしてくれんだよ……。俺……お前が合格するまでは我慢するって決めてんのに」
声が揺れている。
「拓海……」
俺にしがみついて身体を密着させたあいつに気付いた。
反応してる。身体が。
「な……正成……」
「な……に……?」
肩越しに聞こえる広野の息づかい。
こんな局面で名前呼びは反則だろ。俺の身体もヤバい。
「俺……どうしたらいい?」
「え……」
「合格するまではしない。これは決めたことだから。でも……どうしたらいいのかわかんねーんだ」
広野らしくない。欲に流されて揺れるなんて。
いや、らしいのか。それでも最後の線引きは守ろうとしているのだから。
だったら……。
「……少しだけ、触っていい?」
広野のストイックさを知っている俺は、迷ったけどそう言うしかなかった。
「え……?」
「大丈夫。最後まではしないから……ね?楽にしてあげる」
そっと。そっと広野の下半身に手を伸ばす。
太股辺りで感じていた硬い感触を、手のひらで包みこむ。
初めて触れる、広野の欲望。俺の方がヤバいんじゃないかってくらいに、身体中の血が沸騰した。
包みこんだ手のひらで軽くもみこむ。
「……っ!」
広野が息を詰めた。
抵抗したりしてこないのは、行為を了承したと受け取って良いのだろう。
初めて触れる広野のそれを、時間をかけて布越しにじっくりと堪能したい気もしたが、後のことを考えて頭を切り替えた。とりあえず、処理に徹しよう。
躊躇いなくファスナーを摘まみ、一気に引き下ろす。ズボンがずり落ちてしまわないようボタンは外さずにおいた。窮屈だが仕方ない。
なるべく下着を汚さないようゴムの部分を急いでずらし、それを取り出した。
「ま、正成っ……」
「大丈夫。俺に任せて」
さすがに軽く躊躇いを見せる広野を制し、それを握り込む。
張り詰めたツルツルの皮膚に筋張った感触。体制と暗がりでよく見えないが、俺の拳と比較した感じ決して小ぶりだとは言えない。
いや、感触を味わってる場合じゃなかった。処理だ。処理。
握りこんだ熱い塊をシュッシュッとリズミカルに扱き始める。
「ん……っ」
熱い吐息に感じてくれていることを悟る。
「は……ぁっ……」
吐息が湿り気を帯びてきたところで、扱く手に強弱をつけた。
同時に背中を抱いていた手で背骨をなぞり上げる。
「あぁ……っ」
広野の声が高くなった。
もう少しかな……。
擦り上げていた手を少し移動させ、先端部分に触れる。柔らかな感触。
薄く毛羽立った布地のように滑らかなそれをたどり、すでに潤い始めている窪みに触れた。クチュクチュと音をさせながら、粘り気のある液体を窪みから導き出す。
「ま……さな……っ……ヤバッ」
広野が俺にしがみついた。膝が笑ってるみたいだ。
もう……、イケるかな。
「拓海……イって?」
耳元に軽いキスを落とし、指先で窪みから滑りをこそげ取ってから張り出した部分に塗りつけた。粘性を利用してそこを集中的に扱き上げる。
「はッ……はッ……」
広野の息がどんどん上がる。
呼吸困難になるんじゃないかと思ったとき、広野が息を詰めた。
「……ッ」
手のひらに広がるじんわりと温かい感触。
あぁ……これが。
広野の体温。
「は……っ……はぁ……っ」
乱れた息を整える広野は、脱力して頭を俺にもたせかけている。抱き締めて支えてやりたいけど、まずはこの手、どうにかしないとな。
肩で広野の頭を支えながら微妙にバランスを取り、バッグの中のティッシュを探す。
「あっ……手、悪りっ!」
途端に気づいた広野が跳ね起きた。白濁を受け止めた俺の手とティッシュを探す反対の手を確認して、所在なさげな顔をする。
「ごめ……飯田。お前にこんなことさせて……」
「気にしないで。俺がしたかったんだし」
「しかも手に……」
しょげる広野に軽く返す。
「ホント気にしないで。お前のイキ顔可愛いかったし、役得役得!」
「ばっ……!」
暗がりでもわかるほど赤面した広野を横目に、事後処理を済ませた。
広野もいそいそと身繕いをしている。
終わったかな、と思ったとき、広野が突然ハッとしたように言い出した。
「お前は?飯田は大丈夫なのか?あの……俺が……してやろうか?」
恥ずかしそうに言ってくれるのには身悶えしそうだが。
広野に直に触れられて、暴走しない自信はない。
「大丈夫。お前と違って俺、ロングコートだし。歩いてたらきっと治まるよ」
連れ立って路地を出る。
屋外にも関わらず、二人分の熱気でむせかえるようだったその場所に別れを告げると、冷たい風が肌を刺した。
「デート、仕切り直しだな」
人気のないビジネス街。
俺はそっと広野の手を取りながら言う。イルミネーションの下では、きっと手なんて握れないから。
「そうだな。せっかくのクリスマスの雰囲気、楽しもうぜ」
にっこり笑った広野は、俺の手を握り返しながらそう言った。
通りの賑わいが耳に入ってくると同時に、そっと手を離した。
恋人たち、友人同士のグループ、家族連れ、みんな幸せそうな笑顔でゆっくりと歩いている。例外なく俺たちも、幸せそうな顔をしているに違いない。
エコブームで単色LEDライトの灯りが増えたイルミネーション。見上げる先には無数の小さな光。
キラキラ。キラキラ。
星の代わりに夜空を彩る。
星の数だけ愛してる、なんて言うけれど。
代わりに星の見えないこんな聖夜(よる)には……。
無数に瞬くこの、キラキラを捧げよう。
――幸せそうに微笑むお前に。
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