塩味ハニームーン
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8. 俺たちの蜜月 ―side飯田正成
新生活準備は、ほぼ現地調達することにした。
春を感じさせる柔らかな日射しが縁側に降り注いでいる。庭で鉢植えの植え替えに精を出す祖父を眺めながら、俺は感傷に浸っていた。
もうすぐ拓海の傍に行ける。それは同時に、祖父との離別を指していて。
別に今生の別れじゃないし、帰省の都度寄るつもりではいるのだけれど。
「マサ、ほら桜も咲き始めたぞ」
祖父は庭仕事の手を止めて、隅に1本だけ植えられているそこそこの樹齢の桜を指差した。
開花してるのはまだ一輪だけだ。でも、ここのところ暖かいからあっという間に満開になるだろう。
ただ。
「満開になるころにはお前は東京だな」
そう呟く祖父も、俺の上京には思うところがあるのだろう。
俺の癒しの家。いつまでも帰る場所。何も聞かずに受け入れてくれる家族。
なぁ、じいちゃん。
またすぐに帰ってくるから。休みの度に帰ってくるから。
ずっと元気でいてくれよな。
着替えと本と少しの生活用品。スーツケースに収まりきる量のそれは、帰国後ここで過ごした日々の短さを物語っている。
一旦実家に戻り、実家の荷物と一緒に新居へ送るつもりだ。
家具類は現地調達だから、引っ越し業者には頼まず、日時指定の宅配便で済ませることにした。
出立の朝。いつもと変わらぬ和の朝食が食卓に用意されていた。
祖父の人柄が、滲み出ている献立。
毎日は平坦が良い。でも、大切な一日。特別な今日だけど、毎日のうちの一日。
今日もそんな一日を始めよう。
俺は味噌汁の最後の一口を飲みながら、視界がぼやけるのを必死で誤魔化した。
「行ってきます」
帰ってくるね、の言葉を含ませて、俺は祖父の家を出た。
気をつけてな、と送り出した祖父も、きっと俺の帰宅を待ってくれているのだろう。
ゴロゴロとスーツケースを引きながら歩く道。次は夏かな……、なんて考えながら、駅に向かった。
帰国直後に寄っただけの実家は久しぶりで、敷居を跨ぐ時は妙に緊張した。
合格祝いをしてくれると言っていた母の言葉を受けて、一晩だけは泊まるつもりだ。
わだかまりは解けつつあるとは言っても、完全に以前のような自然な家族に戻れたわけじゃない。俺の扱いに気を遣ってくれている両親には申し訳ないが、もう少し普通に接してくれてもいいのになと思う。
ゲイなだけで、息子であることにはかわりないのに。
いや、高望みはいけない。ここまで来れただけでも、御の字だ。カムアウトして勘当された仲間を何人も見てきたし、そもそも学生のうちから改まってカムアウトなんてしないのが常識だ。
両親には感謝の気持ちを。そう考えながら、寿司やらオードブルやらの用意された食卓についた。
「おめでとう、正成」
母が微笑む。
「帰国して時間もなかったのによく頑張ったな」
労ってくれる父。
「ありがとう。まだしばらくお世話になるけど、4年間頑張るから」
あと4年。
両親のためにも4年間を有意義に過ごさなければ、と思った。
「明日だな……」
電話越しに、拓海がしみじみと呟く。
「うん。昼過ぎにはそっち着くから」
「昼飯待ってるから一緒に食おうぜ。それから買い物行こう」
「ありがと。付き合わせて悪いね」
「いや、部屋いじんの楽しみだから、気にすんな」
明日は早朝に実家を発ち、昼過ぎに都内に着く予定だ。
部屋には何もないから、まずは買い物。ベッドと机と……家電もだな。家電は単身パックみたいなのがあるだろう。
拓海が付き合ってくれると言うので、お言葉に甘えることにした。二人の部屋気分で色々選ぶのだそうだ。本人は気付いていなかったが、それって結構照れるセリフだと思う。
さらにお言葉に甘えて、あらかた家具類が揃うまで、拓海の家に泊めてもらうことにした。
拓海の家……。もちろんあの日以来だ。ウキウキと新生活の話をしながらも、そのことを考えない訳がない。
拓海の家にしばらく泊まるなんて、自制できる自信がない。別にもう、自制する必要もないのだけれど。
「次は気持ち良くしろよ」
そう言っていた拓海を思い出し、暴走だけは自制しなければ、と思った。
予定どおり早朝に実家を出て在来線を乗り継ぎ、新幹線に乗る。祖父宅からはその必要がなかった高速の移動手段。
旅行に出かけるわけでもないのに妙に心が浮わつかされるのは、幼いころの旅の思い出のせいか。はたまたこれから始まる生活への期待のせいか。
東京駅に着いたのは予定どおり正午を少し回ったところだった。とにかく人が多い。地下鉄なんて都会の乗り物にも慣れなければ。
行き交う人々も、どこか垢抜けて見える。見た目には気を使ってきたつもりだったが、改めて自分は地方出身なのだと感じた。
駅構内から拓海に連絡し、おおよその到着時間を伝えた。迎えに来ると言ったあいつに顔がほころぶ。
あの日からたったの1週間だけど、会いたかった。これからは、毎日のように会える。
やっと始まる。
――俺たちの蜜月。
待ち合わせていたわけでもないのに、拓海は俺の到着とほぼ同じタイミングで駅に着いたらしい。
俺の姿を見つけて薄く微笑むあいつの顔を、何度も思い出しながら歩く。
「正成、なにニヤニヤしてんだ?」
怪訝そうに聞く拓海に。
「ん?そりゃうれしいからに決まってんでしょ」
浮かれた声で返せば、拓海は無言で照れた表情を浮かべた。
「昼飯、何がいい?」
「んー今日は適当でいいよ。そのうちオススメの店連れてって」
「了解。じゃハンバーガーだな」
「ポテトでかいのにしよっと」
「またかよ……」
他愛もない会話。ありきたりな食事。
だけど、二人でいることに満たされる。
「荷物置いてから、すぐ買い物行っていい?明日宅配便届くから、今日のうちにいろいろ決めときたいんだ」
「もちろん。俺が一緒だと何でも即決だからな。迷う隙なんか与えねー」
「だろうね。頼りにしてるよ」
「とりあえず収納家具はこんなもんかぁ?」
「だね。結構大きいクローゼットだったから十分でしょ」
宣言どおり、拓海を同伴しての買い物は、非常にテンポ良く進んだ。
単身パックの家電はカラーを選択するだけであっという間に決まったし、家具店に移動してからも機能的でシンプルな物を好む拓海のセンスにはケチを付けるところがなく、全くつまずくことがなかった。
「テレビ台も買ったし……あとはベッドか…」
拓海が呟く。
俺に背を向けたその耳が、うっすらと赤い気がするのは気のせいだろうか。
ベッド。二人の――という意味では、最も重要な家具だ。
なるべくデカイのが欲しい。でも、ワンルームに置くには難しい。
そんな俺がずっと考えていた物……。
「拓海、ベッドは俺に決めさせて?」
「……あ、あぁ。もちろん好きにしろよ、お前の部屋なんだから」
大丈夫、即決だから。
家具店に併設された生活用品コーナーで、調理器具やら水まわり用品など細々したものを購入し、大きなビニール袋を2つずつ提げて歩く帰り道。
「っかしソファーベッドとはな……」
拓海が感心している。
俺が選んだのは、ダブルサイズのソファーベッド。そうそう需要がある訳もなく、迷うほどの種類もなかった。
「普段は畳んでおけば部屋が狭くならないでしょ?俺、サイズは絶対譲れなかったからさぁ」
言えば拓海は、
「……毎晩開いたりすんの手間じゃね?」
「一人のときはソファーのままで寝てもいいしさぁ。それとも何?毎晩一緒に寝てくれんの?」
「ばっ……!」
「拓海が毎晩来てくれんなら開きっぱにしちゃうけどな」
「……!」
言葉に詰まって赤くなる拓海を少しからかいたくなって続けた。
「いいじゃん、ベッドでいっぱいの部屋って。ずっと二人でベッドに居ればいいんだし……」
「もぅお前……知らねー」
捨て台詞を残し、肩をいからせてズンズン前をゆく拓海。
「ごめんって。機嫌直してよ、拓海ぃ」
「知らねー帰るし!」
ビニール袋をガサガサ揺らし、足早に雑踏を抜ける拓海を追いかけながら、照れてるだけで怒ってはいないなと、俺は密かに微笑んだ。
購入した物のビニール袋を俺の部屋に置き、中身は開封せずにそのまま部屋を出た。
収納家具が来てからでいいかと考えてのことだ。
「さすがに疲れたし、コンビニメシでいっか」
そう言う拓海は、もう不機嫌から脱している。長く引きずらないサッパリした性格も、俺好みだ。
ていうか、拓海が俺の好みを作ってるのかも知れないな。
そんなことを考えていたら、返事が遅れた。
「正成、コンビニでいい?」
「あぁワリ。いいよもちろん」
慌てて二つ返事で答える。
今度は小さなビニール袋をそれぞれ提げて帰る。同じ部屋に。
帰る場所が一緒って、やっぱなんかいいよなぁ……。今は無理でも、行く行くは考えたいな。
ちゃんと独立して、もっと広い部屋に越して、それで……。もっと大きなベッドを買おう。
「結局そこかよ……」
自分の考えに一人でツッコミを入れると、拓海が不思議そうな顔をした。
仕方ないじゃないか。そればっかり考えてしまうのは。
何しろ新婚みたいなものだからな。
*****
「……っ」
「拓海……声……ガマンしなくていー…」
「やっ……ガマンする……」
「解放した方が気持ちーよ?」
「……ま……じで?」
これはホント。
堪えようとするの、見てる分には燃えるんだけど。感じる側としては、余計な気を回さないほうが、快楽に忠実になれる。
ネコの経験活かしたアドバイスなんて、拓海に伝えるには微妙だけど。
「はッ……はぁッ……」
お互いの熱気と汗で、室内の湿度がぐんぐん上がってゆく。
「……あぁッ!もぅ……まさな……っ」
少し自己解放する気になった拓海の声に、俺も煽られる。
グラインドさせる腰にリズムを合わせ拓海自身を扱き上げると、濡れた声が一際高く響いた。
本当に虜にされる。
初めて拓海を抱いた日。正直俺もいっぱいいっぱいだった。
欲しくて欲しくてたまらないものを手に入れたときの興奮。
口では「優しくする」なんて言いながら、初めての行為に没頭する少年のように拓海を求めた。
決して華奢とは言えない、れっきとした男の身体。
汗が玉となって転がり落ちる肌は、ほのかに桃色。
あのときと同じく今現在も眼下に広がる扇情的な光景に、俺は生唾を飲んだ。
「……きれーだ……拓海……」
思わず呟けば、無言でかぶりを振るこいつを、心から愛しいと思った。
素直な拓海。ストイックな拓海。
拓海を形成する全てが……。
愛しい。
「拓海……イケる?」
「ん……はぁっ」
すっかり息の上がった拓海だが、俺の質問を理解できているのだろうか。
質問を受けた拓海の吐息まじりの声に、答えはイエスと受け取り、腰に連動させた手の動きを加速させる。
「あぁッ……んッく!」
脈打つ愛しい物体をゆっくりと数回扱き、俺は一つ息をついた。
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