塩味ハニームーン

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9. 塩、ひとつまみ ―side広野拓海


新入生とは名ばかりの、慣れた建物に出入りする俺。これまでと違うのは、実験用の白衣を着ていることが多いくらいか。
一応理系に分類されるので、大学院の生活は少しの講義とデスクワーク、ほとんどの時間は実験に費やしている。デスクワークは待ち時間にこなすことが多いのだが、一つの実験が半日仕事だなんてザラだ。帰宅は深夜になることが多い。

同じく新入生になった正成も、こちらは本当に新入生なわけなのだが、花の大学生活を満喫して遊びまくることもなく、相変わらず建築中心の生活のようだ。
入ったサークルは『歴史的建造物研究会』という堅苦しい名前のいかにもなヤツらしいし、始めたバイトは建築事務所の雑用だと言うし、ホントどっちがストイックだよって感じだ。

そんなわけで、俺の帰宅が連日深夜に及んだとしても正成も似たような生活なので、あながちすれ違い生活とも言えなかった。
お互いがそれぞれの場所で頑張っている。
近くに居ても相変わらずなわけだけど、そんな距離感に俺は満足していた。

なかなか会えない俺たちだけど、週に一日くらいは都合を合わせるようにしている。
さすがにそれ以上空くと、お互いいろいろと限界みたいで、俺なんかは実験にミスが出やすくなるんだ。
次の日、早起きしなくても良い週末を選ぶことが多いんだけど……。
理由は、まぁ。いろいろとありますから。



「拓海……どう?」

はぁ…と息を吐き出してから、少し掠れた声の正成が俺の顔色を伺う。

「ん。オッケー……」

情事のあと正成は、いつもこんなふうに聞いてくる。
きっとそれは、初めての日に俺が言ったことを真に受けてのことなんだろうけど。

「超気持ち良く……、はないかなぁ」

ほら。当たりだ。

「……察しろよ」

実際のところは、すでにかなり気持ち良くなってきてる。
行為中の態度で示してるつもりなんだけど……。
熱も引いたこんな時間に、改めて言うのはさすがに照れくさい。

「拓海……寂しい?」
「え?」
「いや、なかなか会えないのがさ。週1とか想定外だった?」
「あぁ、んー……そうだなぁ」
「なに?」
「こう言うと誤解招きそうだけど……、寂しくはないかな」

笑いながら言い切れば、正成も同じように微笑んだ。

「良かった……。俺もそう。違う場所にいてもさ、いつも一緒に頑張ってる気がするんだ」

一緒に頑張って……。正成も思ってたんだ。

「ふ。似た者同士なのかな、俺たち。お前も大概ストイックだろ?」
「そうかな?まぁ、そうか。でも、こんな俺にしたのは拓海だよ?」
「俺?」
「そ。責任取ってね」
「ぷ。責任取るって何すりゃいーの」
「……んー」
「お前、ありがちなこと考えてんな?」
「バレた?」
「バレバレだな」
「……拓海。責任取ってずっと一緒にいてくれる?」

素直に吐き出す正成に、笑みがこぼれる。

「ふ。今のところはそのつもりだよ」
「えーっ!今のところって……!」
「100%はねーの!俺理系だし」
「……拓海らしいけど」
「納得した?」
「……でも好きだしなぁ」
「ばっ……!なに突然」
「好きなものは好きなの!」

一緒にいる夜は稀だけど、たまの夜はこんなふうにひたすら甘い。

「正成さー」
「何?」

今度は俺が、質問する番だ。

「今満足度どんくらい?」
「何?エッチの?」
「ちがっ!生活の、だよ。このエロ馬鹿!」
「ひどいなぁ。拓海もスキなくせに」
「それなりに男だからな!」
「開き直りも男らしい!」
「茶化すなよ。で、どうなんだよ?」
「んー……95%満足かな?」
「けっこう充実してんな」
「ん。残りの5%は、やりたいこと多すぎて時間が足りないって不満だしね」
「そっか。俺も似たようなもんだな。今かなり満足してる」

満たされた気持ちで正成の胸に耳を当て、その鼓動を聞いた。
甘い雰囲気には照れがあるが、同じ今を生きている、そのことを感じたくて。

「幸せだよな」
「うん……」

四六時中ベタベタに甘くはないけれど、やっぱり俺たちは恋愛の最中に居る。
なんて言うか……、絶妙な加減で。
遠くで少し塩味を感じるくらいの甘さで。

「なぁ……拓海」
「何、正成?」
「名前呼び、自然になってきたな」
「……改めて言われると不自然になりそうじゃねーか」
「気にしないで、言ってみただけだから」

正成がそっと俺の髪の毛を鋤く。黒くてサラサラだって、気にいってるらしい。
俺も、この感触はキライじゃない。男だってたまには甘えたいだろ?
ほっとくと正成は、際限なく俺を甘やかしてくれる。際限ないのはさすがにどうかと思うけど。これくらいは……、な?

「なー拓海」
「ん?」

遠くに向かって放るような正成の声。こういうときのこいつは、未来の提案をすることが多い。
実現するかどうか分からない未来に向かって、まるで投げるように話すんだ。

「今年も……行こうな、海」
「あぁ、うん」
「夏休み、お前はないんだろうけどさぁ。一日くらい取れるだろ?」

そういうことか。
夏休みか……。実験実験で確かにないんだろうけれど、一日くらいはなんとかなる。
それに……。

「夏明けたらまた遠距離んなっちゃうんだろ?」

やっぱり遠くに言葉を投げるように、正成は言った。
俺が後期から隣県の研究施設に勉強に行くことは、随分前から決まっていた。遠距離って程の距離でもないが、やはりひょいと簡単に会いに来られる距離ではない。

「せっかく近くに住んでくれたのに悪りぃな」
「いや……最初から分かってたことだしさ。また帰って来るんだろ?」
「多分な。1年か……1年半くらいで」
「博士課程に進んでも、やっぱり安定しないんだろうなぁ」
「うーん。それはわかんね。でもフィールドワークが基本だからな」
「拓海が頑張ってると、俺もやる気出るからさ」
「うん……」
「気にしないで。どんどん出かけてってよ」
「正成……」
「でもね。拓海の帰るとこはここ。いい?」

トントン、と自分の胸を指で叩く正成を、俺はゆっくりと抱き締めた。

「もちろん帰って来る。ここは俺の場所だしな。お前こそここに他のヤツ入れんじゃねーぞ?」

照れ隠しにそんなことを言えば、返事の代わりに正成は苦笑しながら俺を抱き締め返した。
お互いの鼓動がシンクロする。刻むリズムを追いながら、徐々に重くなってゆく瞼。
まどろみかけて、ふと言葉を交わしたくなった。

「正成……起きてる?」
「ん……」
「海、行こうな。満月の夜、調べとけよ」
「了解」

遠くない未来の約束なら、今の俺たちにだって容易くできる。



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