塩味ハニームーン

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10. 光に導かれて


―side広野拓海


「もうこれで最後ですかぁ?」
「あーっと……はい、最後みたいです」

家主の俺の代わりに引っ越し屋の応対をしてくれている正成の声に、ふと笑みがこぼれる。
春、正成がこっちに越してくるときは、家具や家電なんてなかったから業者は入れなかったけれど。さすがに丸4年住んだ部屋をそのまま移すのだから、単身パックとは言えプロに頼んだ。

「……なんもなくなったな」

独りごちると、ガランとした空間にやけに声が響いた。



夏だ。
正成と約束した満月に合わせて短い休暇を取った。
カリキュラムの後期が始まるのはまだ先だが、俺の所属する研究室はその辺りアバウトなので、実験のキリのいいところで移動したらどうかと教授に言われた。好都合とばかりに計画的に実験を進め、満月休暇に合わせて引っ越しも済ませる算段にした。
正成に手伝ってもらい、引っ越しをあらかた済ませてから一緒に実家に帰省する予定だ。正確には、正成が帰省するのはお祖父さん宅なのだが

「いつまで元気で居てくれるかわからないじいちゃんと、なるべく一緒に過ごしたい」

と語るあいつに、何も言えなかった。
正成がお祖父さんを大切に思ってんのはよく分かる。
きっとあの頃……。あの、自分はゲイだというアイデンティティーに悩んでいた頃、唯一の理解者だったに違いない。
いつか……。

「なぁ。俺もいつかお祖父さんに会わせてくれねーか?」

なんとなく思ったんだ。
理解されにくい俺たちの関係だけど、正成のお祖父さんなら、受け入れてくれるんじゃないかって。

「ん。いーよ。遊びにおいで」

正成はフワリと微笑んで言った。
身内に理解者が居る。それだけで後ろめたさがかなり減るんだと、以前正成は言っていた。



引っ越し屋のトラックを見送り、俺たちは電車に乗った。
高速道路を走るトラックと急行列車、どちらが早く着くのかは微妙なところだが、車を持たない俺たちにはその手段しかなかった。

「二人で電車なんて久しぶり」

正成が、車窓に視線を流しながら呟いた。

「だなぁ。なんかこのまま旅に出たい気分」
「早朝だったら、あのサバイバル合宿を思い出すよね」

あぁ……、と生返事をしてから俺は遠くを眺めた。
頭をよぎる高校生の俺たち。仲良すぎる友達だった俺たち。あの合宿の帰りには、すでに友達の範囲を逸脱してたな。
キス……。
唐突に広がる鮮明な映像と、今でも思い出せる砂まじりの手のひらの感触。そっと触れた、唇の感触。驚いて凝視した正成の瞳は、伏せられた長い睫毛に彩られていて。
あの時伝えていれば……、なんて考えるのは、とうの昔に止めた。
俺たちは前に進みたい。進まなければ、一緒に生きていけないんだ。

定刻に目的地に着いて、乗ってきた列車を見送り、新しい部屋を開錠する。
何もない部屋。
相変わらず作りは単身者用の1Kだが、同じ家賃でも築年数が比較的浅いのは、立地条件というか……。
とにかくここは田舎だ。大型ショッピングセンターも遊技施設もない田舎。
俺はここで、研究者としての業績を残さなければならない。

「何年先になるのかなぁ」

同じことを考えていたらしく、正成が俺の心を代弁してくれた。

運ばれてきた家電を設置し、とり急ぎ使うだろう日用品だけ手早く配置する。朝から始めた引っ越し作業だったが、落ち着いたのは日も暮れ始めたころだった。
夏の日は長い。電気もガスもまだ通していなかったので、到着は遅くなるがその日は実家を目指した。

乗り込んだ列車。思いの外車内は空いていて、4人掛けの席に座ることができた。
流れる単調な景色に眠気を誘われる。
さすがに疲れたな……。
そう思いながら、心地よい揺れに身を任せた。



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