待ち人は、息を切らして現れる
02
「中3んとき、一目惚れした奴がいたんだ」
「そんくらいならよくあるよな。で?」
「その子のことがずっと気になってて、目で追っかけてた。コクったりはできなくて、時間だけが過ぎてさ。卒業したら会えなくなって、だんだん気持ちも薄くなってったけど、ずっとどっかで引っ掛かってて」
「コクれば良かったのに。相手馨なら絶対オッケーだろ」
「できなかったんだ。……だって相手、男だったから」
「え……?」
「あのパーティーで、恭平に声かけたのは、そいつに似てたから。女の子好きな俺が、唯一やられた奴に、お前が似てたからなんだ」
苦しげに話す馨を見ていると、胸の奥にトゲが刺さったみたいな感じがした。
何、これ。
じゃあ、俺はそいつの代わりだったってこと?
馨は俺を見てなかったってこと?
「似てたから声かけたって?からかってたよりタチ悪りーな」
心底嫌そうな声が出た。
誰かと重ねて気に入られるなんて、不快でしかない。
せっかく気を許した馨に、そんなこと言われて、俺は心に穴が開いたみたいだった。
不思議なことに、馨が一目惚れした相手が男だったっていう衝撃は、全く感じなかった。
俺を見ていると思ってた馨が、実は他人を見ていたってことの方が、よっぽどショックだったんだ。
俺から発せられる不穏な空気に反応して、馨がバッと顔を上げた。
久しぶりに目が合う。
が、すぐに反らされた。
何を怯えてるんだ?
「ごめん、言い方悪かった。確かに似てたから気になったのは否定しないけど、続きがあるんだ」
「続き……?話してみろよ」
ムカムカはしていたが、無性に気になった。
このままじゃ引き下がれない。
気持ちを落ち着けるため、酒ではなく水の入ったグラスを口にし、唇を湿らせた。
「……正直、悩んだよ」
馨が、ゆっくり話し始める。
その視線の先には、俺がさっき口をつけたグラスがある。
「一目惚れした相手が男だなんて、中3男子にとっては大事件だろ。それが一目惚れだっていうのも、最初は認められなかったんだ」
「……」
俺は自分の思春期に思いを馳せる。
あの頃は、可愛い女子と目が合うだけでテンション上がったし、好きな子が同じクラスにいるだけで、毎日が輝いていた。
「俺はホモんなったのかって、毎日眠れないくらい悩んだよ。みんなが好きな女子のことで浮かれてる中、話題に入っても行けない。誰にも相談できない。最悪な気分だったのに、そいつの顔を見ると、一気にめちゃくちゃ気分が上がるんだ」
「そか……」
「遠くでそいつが笑ってんの見て、あぁ幸せだなーって思って、ようやくこれは恋なんだって認めることができた。気になり始めてから、3ヶ月が経ってた。その頃にはもう、自分がホモなのかとかはどうでもよくなってた」
「うん」
「好きだから好き。開き直ったらスッキリした。でも、相手にとってはキモいかもしれない。迷惑かけないように、見つめるだけで、黙って過ごしたんだ」
「他校の奴だったから、卒業と同時に会う機会もなくなって、それから相手がどうしたかもわからないまま。だって、聞けないだろ?誰にも言えない気持ちだったんだから」
「そっか……辛かったな」
「そのときはね。会えなくなって、初めて後悔したけど、後の祭りだよな。そんなことがあったから、あのパーティーで、恭平にはすぐに声かけたんだ。二度と会えなくなるのが嫌でさ」
「わかったよ……」
馨の過去、真剣に向き合った一目惚れの恋の話を聞いて、パーティーの恨み言だけはもう水に流そうと思った。
「聞いてくれて、ありがとう。パーティーで恭平に声かけたのは、確かにあいつに似てたからなんだけど……」
「俺はそいつじゃねーからな。それだけは言っとく!」
「はは。でもさ、きっかけはそうだったけど、恭平とこうして遊ぶようになってお前のこと知ってく程に、ますますいいなって思えてきたんだ。これは本当」
柔らかく笑った馨が、ようやく顔を上げた。
久しぶりに垂れ目ぎみの瞳が見えて、視線がぶつかる。
瞳の奥に揺らめくものを感じて、胸がトクンと鳴った。
視線を合わせたまま、目が外せない。
瞳の向こうに吸い込まれそう。
「馨、じゃあ今は……」
勝手に口が動く。
「そいつじゃなくて、ちゃんと恭平見てる」
俺は、馨の形の良い唇がゆっくり動くのを見つめていた。
「恭平のこと、もっと知りたい」
「うん……」
真剣な表情の馨に返す言葉が見つからなくて、変な相づちみたいになった。
困って固まる俺に、馨は苦笑して言った。
「遅くなっちゃったな。出ようか」
「あ、あぁ」
ダチだから、と割り勘で支払いをすませ、表に出る。
ひんやりとした冬の空気に肩をすぼめた。
「意外と寒いな。恭平、大丈夫?」
「ん。飲んでっから結構温かいかも」
「そか。寒かったら言えよ。マフラーくらい貸せるし」
「さんきゅ」
向かい合ってそんな会話を交わした俺たちは、なんとなく笑い合った。
はぁっと白い息を吐き、入れ替わりに冷たい外気を吸い込む。雪の前兆か、独特の湿った匂いがした。
「……なんか、降りそうだな」
あ。俺も今、そう思った。
同じ感覚を持ってることがなんか嬉しくて、酔ってもないのに馨に触れてみたくなった。
立ち止まったまま、馨の肩口にコテンと頭をもたせかけ、天を仰ぐ。
星の見えない夜空が、いっそう雪を予感させる。
「恭平……?」
戸惑ったような、馨の声。
「な、降るかなー」
なんとなく照れ臭くて、わざと明るく振る舞う。
「さぁ……」
と言った馨の肩が、少し震えたとき。
ふわり。
俺の頬に白いものが舞い降りてきた。
「冷た……」
一片の雪は、火照りぎみの俺の頬の上で、すぐに溶けて消えた。
「やっぱり降ってきたね」
頭上から聞こえる馨の声。いつもより近くで聞こえるそれは、俺の鼓膜を優しく揺らす。
俺も馨のこと、もっと知りたい……。
触れたところから伝わる温もりが気持ち良くて、ゆっくり目を瞑ると、閉じた俺の瞼の上にも、雪は舞い降りた。
「……そう言えば、初雪じゃない?」
また心地よく響く声がした。
初雪……?
あぁ、そうかもしれない。
「恭平……そのままで聞いてくれる?」
「ん……?」
「本当は言うつもりなかったんだけど」
そう前置きして、馨が語りだした。
「俺が一目惚れした相手はさ、隣町の中学のバスケ部の奴だったんだ」
「うん」
「ちっちゃいけど、全身をバネみたいに使って丁寧なプレイをする奴だった。コート外では仲間に囲まれて、みんなに可愛がられててさ。人気者みたいだった」
「……」
「身長のせいか、レギュラーじゃなかったけど、2年の中じゃ上手い方だったし、高校入ってもバスケは続けるもんだと勝手に思ってた」
「え……」
「高校入って、1年間は我慢した。2年になってから、地区予選の会場で散々探したんだ。新入部員としてどこかにいるだろうそいつを…」
「馨……」
俺は頭を上げて馨を見上げた。
遠くを見つめたまま、馨は続けた。
「見つけられなかった。どこか遠くの学校に進学したか、バスケを辞めたかどっちかだろうと思った。引退するまで、対外試合の度に相手校をくまなく探したけど、もう彼の笑顔を見ることはできなかった」
「馨、それって、」
「似たヤツがいるもんだと思ったよ。あのパーティーではホントに驚いたな。今度は絶対逃したくないと思って声をかけた」
「馨……本当に?」
「……本当。まさか、似たヤツじゃなかったなんてね」
「俺……だったのか?」
あまりの驚愕に、言葉がうまく出ない。
そんな俺を、馨の温もりが包み込んだ。
「恭平。お前に一目惚れしたあの時から、ずっと忘れられなかったんだ。こうしてまた出会えるなんて……」
「馨、俺……」
抱きしめられ、そう囁かれると身体の芯がグラグラになる。
あぁ、これを骨抜きっていうのかな。
「びっくりしたよな。返事は急がないから、少し考えてみてくれる?……それともやっぱり、男にコクられんのはキモい?」
耳元で聞こえる馨の声のトーンが落ちたので、俺は慌てて答えた。
「や、キモいとかはないし。ただ、びっくりしてて。でもちゃんと考えるから……」
それを聞いた馨が、ゆっくりと俺を解放した。
「ありがと……」
雪はまだ、降り続いていた。