真昼の月

03




その日の放課後。
日直だった俺は、相方が部活に出てしまったため、一人で日誌を書いていた。俺は帰宅部で、今日は遊びの予定もなかったし、武弘にも先に帰ってもらったので時間にゆとりがあった。

教室からグラウンドを眺める。
トラックを走る陸上部。
フィールド内でパスの練習をするサッカー部。
スポーツが嫌いではない俺が部活に入らなかった理由は、濃い人間関係を築きたくなかったから。

男子ばかりの部活で、毎日の朝練、放課後練習、週末の試合など、共に時間を過ごしているうちに間違って恋心など抱いてしまってはいけない。ノンケに恋するのは無駄な労力を使うから馬鹿馬鹿しいっていうのが、夜の街での通説だ。
しかし実際は、恋心うんぬんよりもむしろ、男子の身体に欲情してしまう自分に怯えていた。
何も考えず、走り回る運動部員たちを少し羨望の眼差しで見つめていると。

「いたのか飯田」

担任の逢坂先生が、ガラリとドアを開けた。

「もうすぐ下校時間なのに日誌持ってこないから、バックレたのかと思ったぞ」

ククッと笑いながら言う先生は、俺がバックレたりしないことを知っている。

「なぁ飯田」

少し声色を変えて話し始めた先生に、視線を合わせた。

「リレー、やる気んなったんだな」
「あ……はい」
「俺、嬉しかったんだよ」
「え?」
「ずっとお前に何か夢中になれることがないかって思ってたから……」

一歩一歩近づく先生から、目が離せない。

「大丈夫か?相変わらず何か我慢してんじゃねーのか?」
「我慢なんて……」

真摯な声に、否定の言葉が続かない。

「俺はお前が気になって仕方ないんだよ。その綺麗な瞳の奥に、何か暗い陰が見える気がして……」
「え……」

か……げ……?

「俺はそれを晴らしてやりたい……」

ゆっくりと頬を包む大きな手。
俺の瞳を覗きこむように、じっと見つめてくる先生に、胸の奥がジュンとした。

「リレー、頑張ろうな。俺も練習出るから」

先生はそう言って微笑み、頬から温もりが離れてゆく。
温もりを追いかけそうになって気付く。
――この瞬間、恋に落ちたんだと。

「日誌、書けてんだろ?預かってくな」

机の上からひょいとノートを取り上げ、ドアに向かう後ろ姿に。

「気をつけて帰れよ」

すがりつけたらどんなにいいだろう。

俺は先生に恋をしている。そう気付くと、今まで以上に意識は先生に向き、四六時中先生のことばかり考え、想いは膨らむばかりだった。
毎日のホームルームで。
ほぼ毎日時間割に組まれてる数学の授業で。
放課後のリレー練習で。
想いがバレやしないかと不安になるくらい、俺の視線は先生を追い続けた。

3日もすると、先生とよく目が合うことに気付いた。俺のこと、本気で心配してよく見てくれてんだなと、改めて思った。先生の俺を見る瞳は、いつもどこか慈愛と悲哀を含んでいて、そんな顔をさせていることに切なくなる。

俺の瞳に陰があると言った先生。それを晴らしてやりたい……、と。
俺の心に巣食う闇は深すぎて、自分の手に余る。先生を困らせたいわけでは決してないのに、俺の力ではどうしようもなかった。

「飯田。タイムさらに縮んだな。お前、本格的に陸上やったらいいとこまで行けるんじゃないのか?」

いつものくたびれたジャージ姿の逢坂先生が、走り終えて息を整える俺の前に立っている。
膝に手を突き、足元に視線を落としていると、先生の履き古したスニーカーの爪先が見えた。

「……せんせ、買い換えたらいーのに」

思わず口に出たこの場に全く関係ない言葉に、先生は一瞬何のことかわからなかったようだった。

「……あぁ。俺、数学教師だからな」

だからグラウンドで履く靴なんてどうでもいいって言うんだろうか。
相変わらずユルい先生に、思わず笑ってしまう。

「お、笑った。いつもそんな顔してろよ、男前なんだから」

俺の頭をポンと叩き、嬉しそうな先生。
その優しい声をずっと聞いていたい。その大きな手に触れたい。
願望は、どんどん膨らんで欲望となる。

「……はっ……ぁ……せんせ……」

気付けば夜の街へ出る回数は激減し、家でひとり、先生を想ってすることが増えた。
幅の広い胸に顔を埋め、大きな背中に腕を回す。

「すき……」

呟けば、遠くで先生の声がする。

『飯田……俺も……』

先生の無骨な指を思い出しながら、自分自身を扱きあげる。
厚めの唇。想像の中では、俺の身体中に痕を残す。

「……ん……もっと……」

右手で先端のくびれを強めに握り、指先で穴を弄れば、腰の奥が疼いた。
自然と後ろに伸びる左手。自分でするとき、こっちを使うことなんてなかったのに。
先生に抱かれたい。叶わない欲望は、俺を暴走させる。

「やっ……もっ……、イ……クッ」
「せん……せっ……あっ!」

果てた後で必ずやってくる気持ちは、後悔か虚しさか。
先生は教師で俺は生徒。先生には家庭がある。
そして……。男同士だ。
決して叶うはずのない初恋は、チリチリと痛みを伴って俺の胸を焦がす。



Copyright(C)2014 Mioko Ban All rights reserved. designed by flower&clover
inserted by FC2 system