真昼の月

07




5. 昼の月、夜の月


惰性で行ってた学校に、行くのをやめた。
木本に会ったあの日から急に登校しなくなると、今度は木本が責任を感じるんじゃないかと思い、徐々にサボりを増やして2学期を終え、3学期からは完全に行かなくなった。
学校も行かず、昼間寝て夜出歩く俺に、親は非行に走ったと騒ぎ始めた。何のために進学校に入れたのかと泣かれたが、俺にとっては進学なんてどうでも良かった。ただ、親に心配や迷惑をかけている心苦しさは感じていた。
学校に行かなくなってからは、さすがに一歩引いていた逢坂先生も、本気で俺と話がしたいと家に来るようになった。先生と向き合う覚悟のできない俺は、先生から逃げるためだけにセフレの家を点々とするようになり、家にすら帰らなくなった。

「じゃあな。ありがとな」
「ナリなら大歓迎。また来てよね」

何人かいるセフレの家だが、何日間も同じところに居座る訳にはいかない。
気持ちがないのに、甘えてはいけない。妙な線引きをしてしまう俺は、やはり根が真面目なのかもしれない。

久しぶりに着替えを取りに自宅に帰る。 共働きの親が不在の昼間を狙って。
親に対して抱くのは、申し訳なさ、後ろめたさ、そんなところか。
俺が話したところで、理解してもらえるはずもない。あぁ、諦めに似た気持ちもあるな。

玄関を出ると、冬のキリリとした空気が肌を刺す。空を見上げると、薄っぺらい月が浮かんでいた。
真昼の月。
透けて消えてしまいそうなそれは、まるで俺自身。
儚いその姿は、それでも誰かに認められるのを待っているかのように、空に張り付いて必死に自己を主張していた。



その日俺は、セフレの誰とも連絡が付かず、夜を持て余していた。かと言って新しい出会いを探しに出掛けるほど、気力は充実していない。
家には帰りたくなかったので、なんとなく駅まで歩き、来た電車に乗り覚えのある駅で降りた。

「……寒みっ」

冬の海に来るなんて、俺もいよいよ死にたくなってきてんのかな……。いささか自嘲ぎみに考えながら、夏に歩いたことのある道を辿る。
しばらく歩いてゆくと、防砂林の隙間からさざ波が見えた。穏やかな潮騒に、浜辺に出ることを決める。
近づくにつれ、次第に大きくなる波音。痛いほどの寒さに鈍くなった嗅覚で微かに感じる潮のかおり。雲の切れ間から溢れる月光が、波間に揺れる。

「……っ」

身を切るような冷たい風に肩をすくめたとき、目の前が明るくなった。
空を見上げると、雲が流れ、満月が姿を現していた。

「うわ……何これ……」

月光は海に降り注ぎ、波に揺れて浜辺まで届いている。
光の道……。
俺の立っている場所から、真っ直ぐに伸びる1本の道。
美しく荘厳な景観に圧倒される。

夜の月は、強い光で闇を照らす。昼間の弱々しい姿とはまるで別人。
……同じ月なのに。

昼間の消えそうな『飯田正成』に、俺は心の中で尋ねる。
夜の『ナリ』は、こんな風に輝いているだろうか。
同じ俺なら、『ナリ』も俺だと主張して良いだろうか。
どんなに雲に隠されても、強い光は溢れてくるのだから。

「父さん、母さん、俺……」

翌日、久しぶりに両親のいる時間に帰宅した俺は、話があると自ら切り出した。

「最初に謝るよ。心配かけてごめん」
「正成、何か訳があるんだろう?」

父さんは冷静だった。俺も冷静に話さなければ、と思う。
すぐに理解してもらえるとは思っていないが、やはり両親には理解してもらいたい気持ちがあった。

息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
覚悟はしていても、言葉にするには勇気が必要だ。

「あのさ……俺、ゲイなんだ」

父さん、母さんと順番に視線を合わせてゆっくりと言葉を発した。

「学校でバレてさ。友達に迷惑かけてるみたいで行けなくなった」
「ゲイってあなた……」

母さんの声が動揺で上ずっている。が、ここで止める訳には行かない。
俺は光の道を進む。そう決めたから。

「同性愛者なんだ、俺」
「……ねぇ。ちょっと落ち着いて考えなさい。気の迷いじゃないの?悪い友達とか誰かに惑わされてるんじゃないの?」
「ごめん、母さん。ずっと前からなんだ。これは変えられるようなものじゃない」
「やめて正成っ!」

母さんのヒステリックな叫びを聞きながら、やっぱり理解はされないかと思った。
そこで黙っていた父さんが口を開いた。

「とりあえず今夜考えさせてくれ。あまりに突然すぎて、頭が着いて行かないんだ。お前ももう一度ゆっくり考えてみなさい」
「わかった……」

その場は引くしかなかった。
両親は夜を徹して話し合っていたみたいだった。
俺は妙に落ち着いた頭で眠れない夜を過ごした。



満月の夜、真っ直ぐに伸びた光の道を歩いてゆくと決めてからずっと、清々しい気分は続いていた。
あれが俺の道しるべ。
どんな結果になろうとも、辿ればきっと未来が見えるはず。

「正成、降りてきなさい」

階下から父さんの呼ぶ声がした。

「……転校?」

両親の出した結論は、俺にとっては想定外のものだった。

「お前も今の学校に居場所はないんだろう?向こうも進学校だが、2年の4月からなら、編入できるはずだから。お祖父さんのところから通えばいい」
「え……?」

急な展開に着いて行けない。

「噂が広まるのは早いからな。早く手を打たなければ……。悪い友達とは手を切って、お前もこれを期にまともになれるよう努力しなさい」
「だから俺は……っ」
「有無は言わさん。このままここにお前を置いておくのは家の恥だからな」
「え……」
「しばらくお祖父さんのところで頭を冷やしなさいね」
「新しい学校で将来をきちんと考えなさい」
「お金のことは心配しなくていいから、全うな男になりなさいね」

口々に畳み掛ける両親に、とりつくしまもない。
簡単に理解してもらえないのは分かっていた。
だけど。
これじゃまるで……。

「父さん、母さん。……ここに俺は必要ないんだ?」
「……今のお前はな」
「……わかった」

捨てられたも同然じゃないか。

一番理解して欲しかった両親に突き放され、俺は途方に暮れた。
何の力もない未成年の俺は、両親の決定に従うしかなかった。
学校へは、早々に辞めることを伝えた。
電話口で逢坂先生は、一度話しに来いよとだけ言った。今も俺の鼓動を高鳴らせるあの声で。

「言っとくけど、先生のせいじゃないですから……」

こんな風に向かい合うのはいつぶりだろう。
あぁ、コクってフラれた日以来かな、なんて自虐的に思い出した。

終業式だけは出た。
転校のことは誰にも話していないため相変わらずの同級生たちだが、今日でお別れかと思うと何か一言ぐらいは交わしたい気もする。
武弘ともこのまま、連絡とらず口もきかずじまいに終わるのかな……。後悔が残りそうだが、今は何を話してもわだかまりを解消するのは無理な気がした。

式も終わり、呼び出された数学研究室で、逢坂先生の無骨な指が、忙しなく組んだり外されたりするのを見ながら、俺は前置きをしてから話し始めた。
学校に行かなくなるまでの過程や、これからのことをかいつまんで。

「俺がダメなんです」

きっかけとなった西田を始め、誰にも責任を負わせたくはない。そんな思いで締めくくった。

「飯田、詳しく話してくれ……それでお前が少しでも楽になるのなら」
「楽になんて……」

俺は自嘲ぎみに笑った。

「今は無理ですよ。俺はもう少し成長しなきゃいけないんです。……こんな自分を理解してもらうために」

俺は顔を上げた。
大好きだった先生の、包みこむような優しい眼差しは、今も俺の心を揺さぶる。

「飯田……。ごめん……、力になれなくて……」

先生は、振り絞るように吐き出した。
苦渋に満ちたその声に、俺の胸がちぎれそうだ。

「俺が勝手に好きんなっただけ。先生は何も悪くない。自分を責めないでください。お願い……」
「ごめん……」

最後に1回だけ抱きしめてくれないかな……。そんな思いがよぎったが、俺はそれを振り払った。
項垂れる先生を前にしていたら、ここで俺がしっかりしなくては、という気がしてくる。

「1年間気にかけてくださって、ありがとうございました。リレーも……、やって良かった」

精一杯微笑んで言うと、先生も無理して笑い返してくれた。
向こうでも元気でやれよ、なんて別れのセリフに、先生は最後まで先生のままだったなと思う。

後ろ髪引かれる思いで学校を後にした。
俺は成長しなければならない。
有りのままの自分を、理解してもらえるように。光の道を、進んで行けるように。



「で、実際のところ、ナリは高校生だったってわけね」

千里がグラスの氷をカラカラ鳴らしながら横目を向ける。

「こんな店ででかい声で言うなよ」

一応たしなめてみたが。

「いいじゃない。もう来なくなるわけなんだし。でしょ?」

拗ねたような口調で返ってきた。

久しぶりの夜の街。
親の目を盗んでまで家を出てきたのには俺なりの理由があった。

「バカだね、ナリは。うまくやれる方法なんていくらでもあるのに……」
「千里はカムアウトしてないんだ?」
「するわけないじゃん。少なくとも保護者が必要なうちは、してもいいことなんてないよ」
「そっか……まさかお前も未成年?」
「残念ながら成人はしてますー。夜自由にやれてんのは、昼間まともな仕事して独り暮らししてるからさ」

やはり大学生ってのは詐称だったか。

「……俺甘かったんだよな。いろいろと」
「ま、これからだよ。なんてったって高校生なんだから!」
「だーから声っ!」

千里と笑い合いながら、この街で出会ったたくさんの奴らを思い出し、お別れかと思うとちょっとセンチメンタルな気分になった。

「しっかしお前も律儀な奴だなぁ。こんなとこに出入りする奴でわざわざ別れの挨拶に来る奴なんて初めて見たし」
「ふ……俺、根は真面目なの。てかさ、この街にさ、夜の俺を置き去りにしてくのが嫌だったんだよね」

ポロリ本音を漏らす。

「夜の俺……、か。確かにそうだよね。俺たちには昼の顔と夜の顔があるもんね」
「昼の俺も夜の俺も俺だからな。いつか俺は、二人引っくるめてそれが俺だって言いてーのよ」

軽く笑いながら言えば、千里は、まぁ頑張れよと年上らしく俺の頭を撫でた。

この街は、『ナリ』を作った場所だ。ここに『ナリ』を置き去りにしたままじゃ、俺は俺ではあり得ない。
『ナリ』も一緒に連れてくために、俺はきちんと夜の街に別れを告げた。



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