真昼の月

08




6. そいつの能力


桜っていうのは、この季節、日本全国どこでも咲くんだな。
編入先の学校で、簡単な挨拶を済ませ席に着いた俺は、窓の外を見ながら当たり前のことをしみじみと考えた。

学年が上がる時の編入だから、クラス替えなんかもあって、悪目立ちはしなかったが、一応黒板に名前を書いて紹介されるという転校生扱いを受けた。
以前と変わらず髪を少し脱色し、ユルめの雰囲気で臨んだが、全体的に真面目な進学校といった感じのここでは、少し浮かなくもないかな、と思った。
そんな俺の第一印象のせいか、できた友達はチャラ系の奴らばかりで、そいつらの堅苦しくないノリに流されていれば、このままうまくやれそうだった。

でも俺は。
ここでこのまま波風立てず、卒業までのんびりと高校生活を送るわけにはいかないんだ。
自己表現の手段を見つけるためにどうするべきか……。
漠然とした目的しかないが、俺は早い段階で海外に行くことも考え始めていた。

そいつのことを初めて意識したのは、本当に偶然だった。
4月も半ばを過ぎ、学校生活になじみ始めたある日のことだった。
昼休みの教室。後ろにズラリと並んだロッカーの前に、一冊のノートが落ちていた。
表紙に書かれた名前を見る。
広野拓海。
男子にしては、形よくまとまった丁寧な筆跡に、ふと興味が湧いた。

ノートをパラリとめくる。
まだ授業回数も少ないため、使用されているのはほんの数ページだったけれど。
表紙の記名と同じ整った筆跡で、ところどころに色を入れた分かりやすいノート。

「すげ……」

ただ板書を移すだけじゃ、こうはいかない。どんな奴が書いてんだろう。
単純な興味から、俺は広野拓海って奴を探した。
同じクラスだから、名前さえ分かれば本人はすぐに捕まえられる。
俺は出席を取る担任の声を聞きながら、そいつの順番を待ち、はい、と聞こえた方に目をやった。
黒髪に、乱すところなくきちんと着た制服。
この学校ではよくいる奴の一人。総じて見た目は普通の奴って印象。

拾ったノートの授業があるのは明日なので、それまでに返せばいいか。俺は今日一日広野を観察することにした。
窓際後方の席に座る広野を、廊下寄り前方の俺が観察するのは至難の技で、ゆっくり見ていられるのは移動教室や休み時間くらいしかなかった。

広野は渡部っていうこれまた人畜無害そうな奴と一緒にいて、ゲームの話などで盛り上がってはたまに笑っていた。
笑うと左側の頬にエクボができるのはちょっと可愛い。
男に対してたまに可愛いとか思ったりするのは、ゲイの俺にとってよくあること。特に気にせず観察を続けた。

廊下を歩きながら、背格好を見る。
俺より少しだけ小柄だが、これまた至って平均的な身長。
体育の授業中も見ていたが、特に運動を苦手とするわけでも得意とするわけでもなさそうだった。
――どこまでも普通。
どんな奴かはしゃべって見なきゃ分からないな。そう思い、放課後の教室で初めて広野に声をかけた。

「なぁ、お前って広野だっけ?」
「そうだけど、なに?」

初めて言葉を交わす。
拾ったノートを差し出せば、ありがと、と返ってきた。
受け取ってそのまま立ち去ろうとする広野。もう少し話してみたくて、俺はさらに声をかけた。

「お前ってノート取るのうまいのな。ごめん、中身見ちゃったんだわ」

字ぃ書くのが好きだから、と言う広野を、やっぱり珍しい奴だと眺める。
テスト前にお世話になるかも、と締めくくれば、苦笑が返ってきた。
可愛いエクボ付きで。

それ以来、俺は何かと広野に構うようになった。
移動教室や昼休み、それこそあいつの暇を狙ってはちょこちょこ声をかけた。
一見まるで繋がりのなさそうな俺たちだったが、広野もすぐになじんでくれたみたいで、絡むのが自然になってきた。

何より俺たちの間を近づけたのは、放課後の習慣。
そもそものきっかけだった広野のノートを、写させてくれ、と何気無く頼むと、案外あっさりとOKしてくれた。
放課後、二人で図書館に通い、俺は広野ノートを完コピ。広野はその日の復習も兼ねたノート整理。
図書館では二人並んで黙々と机に向かうのだが、帰り道などで交わす会話の合間に見せる広野の真っ直ぐな眼差しに、俺は惹き付けられた。

広野は、伝える能力に長けている。
ノートを見ても然り。
会話をしていても、自分の考えを簡潔にストレートに伝えてくる。
その瞳は真っ直ぐに前を見つめ、ぶれることはない。



風薫る5月。
俺と広野は相変わらずの関係を続けていた。
教室で絡んで、たまに放課後は図書館へ行く。それ以外の学外での交流はない。

学外では、俺は主に陣内という見た目も中身もチャラい奴とよく遊んでいた。チャラいが、案外いい奴で、ケンカなんかしたりするような輩ではなかったし、軽いノリで以前のことを深く詮索したりすることもなく、付き合いやすかった。

こっちに来て、夜の遊びは止めていた。『ナリ』をどう扱うべきか答えが出るまでは、この街で軽々しく行動するのはやめようと思ったんだ。
ノンケのふりをした『飯田正成』として、毎日を過ごす。それは俺にとって、あくまでも仮面生活で、一見以前と変わらなかったけど。
いつかは……と前向きに目論む気持ちがある分、以前よりはマシだった。

「ナリ、たまにはオンナ誘ってカラオケ行こーぜ」

放課後帰り支度をしていると、上靴を引きずりながら陣内が来た。チャラ仲間の安藤を連れて。
こっちへ来てから俺はこいつらに、ナリと呼ばれている。
呼び方は好きにしろと言ったら、こうなったわけだが、隠している俺の半身がきちんと今も存在していることの証みたいで、気に入っていた。

今日は放課後、広野との予定はない。
相変わらず女の子は苦手だが、こいつらとのダチ付き合いにオンナは付き物だから、仕方ない。
以前と同じく学外での上っ面だけの付き合いなら、なんとかこなせる自信はあった。本当のお付き合いは無理だったけど。

「いいよ。テキトーに誘ってみてよ」

言えば安藤が、

「またまたナリはぁ、これってオンナはいねーのかよ。モテてるくせに」
「残念ながらねー」
「お前がなかなか1本に絞らねーから、ファンクラブなんてできんだぜ?」
「なにそれ。聞いてねーし」
「非公認ってやつよ。まぁいい、行こうぜ」

陣内が携帯いじりながら歩き始めた。適当な女の子に召集かけてるんだろう。



女の子との会話は疲れる。
見かける物がいちいち可愛いか可愛くないか、そんなことはどうでも良かったし、他人の噂話にも興味なかった。
カラオケに行けば、両側をべったりマークされ、やれ飲み物だ、選曲だと世話を焼かれる。香水の匂いが移りそうな密着具合に、軽く鳥肌が立った。

「……でさー、ナリくん聞いてるぅ?」

右隣の子が俺の腕をつつく。

「あぁ悪りー、なんだっけ?」
「もぉー。天然なんだからぁ」

早く帰りてーなって思っていたとこへ、突っ込まれた。
天然なんて言われたことはない。女の子はすぐに人を分類したがる。

カラオケを終えると、メシ行こうぜという安藤の誘いを、丁重にお断りした。
電車に乗り、帰宅するのは母方の祖父宅。
祖母はすでに亡くなっており、祖父が一人で暮らしているその家には、子供のころから盆と正月の年2回顔を出していた。

「ただいまー」
「おかえり、マサ。夕飯できてるから手を洗っておいで」

いつまでも小さな子供みたいな扱いに、苦笑する。
祖父は俺がここへやられた理由を聞いているのだろうか。その話題に触れたことはないが、最初から優しく受け入れてくれ、独り暮らしだったから寂しくなくて助かるよと言ってくれた。
築年数のいってるこの家は、床が軋んだりすきま風が入ったり脱衣場がなかったりと、不便なことも多かったが、優しい祖父との二人暮らしは、俺にとって居心地の良いものだった。

「いただきまーす」

子供みたいに手を合わせ、食卓に向かう。

「どうぞお上がり。おかわりもあるから」

目を細めて俺を見る祖父は、早くに祖母を亡くしている為、料理を始め家事全般に長けている。さすがに作る料理は和食中心だけど、男の料理とは思えない丁寧さで台所に立っているのを俺は知っている。
いりこだしの素朴な味噌汁が、腹にしみた。

祖父宅で俺にあてがわれた2階の自室。
畳に布団。机はいわゆる文机というやつで、窓に向かって置かれたそれに、昔の書生生活みたいだなと思った。

薄い座布団に座り、ノートを広げる。
広野に移させてもらった、俺のノート。
筆跡までは真似ることができないので、完璧とまでは行かないが、その他はアンダーラインの色にいたるまで完全コピーしている。
ところどころ、板書にはない先生のこぼれ話みたいなのまで記してあって、それを読むとその時受けた授業の風景が浮かんだ。

分かりやすい、というか、伝わりやすい。
他人の発する物をこれだけ上手く表現できるのならば、自己表現も上手いだろうに、広野は表立ってそれをしない。生徒会やクラス委員など目立った役に立候補することもなく、授業中やホームルームで率先して発言することもない。二人きりで会話でもしていないと、あいつの自己表現能力の高さは分からないだろう。

広野拓海をもっと知りたいと思った。と言っても、恋愛感情じゃない。
広野がノンケなのは明らかだし、あいつから色恋の気配を感じたこともない。
よく言えばストイック。有り体に言えば奥手そうなあいつに、そこそこ遊んできた俺が性的な何かを感じることはなかった。
恋愛抜きで、こんな気持ちになるのは初めてのことで、上っ面だけの付き合いばかりしてきた俺は、他人に興味を持てる自分に驚いた。

机に着いたまま、窓の外を見上げる。
半分の月が、今夜も煌々と輝いている。
――半分……か。

待ってろよ、俺の半身。
いつか俺が、自信を持ってまるごとの自分を表現できるようになるまで。
広野みたいな真っ直ぐな眼差しで、俺は俺だと言える日が来るまで。



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