真昼の月

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8. 夏の衝動


合宿当日の集合時間は6時。
夏の朝日と澄んだ空気は気持ち良いが、さすがに早過ぎる。元来が夜型の俺は、スッキリしない脳ミソを気力で叩き起こし、駅前に立った。

この日を楽しみに部活やってきた広野は、朝から超ご機嫌、元気。
朝も勝手に目が覚めたと言う広野に連れられて、電車に乗り込む。30分ほどで港のある駅に着くらしい。
並んで座った二人掛けの席。窓際に座り、開けた窓から車外の景色を眺める広野の横顔を、不自然にならないよう通路側から眺める。
10分もすると電車は海岸沿いを走り始めた。
潮の匂いの微かに混じる風に吹かれ、目を細める広野。これから待っているだろうイベントの数々に思いを馳せているのか。
思考を遠くに飛ばした広野の横顔が、これまで見たこともないほどにキレイで、俺はしばらく見とれていた。

広野を観察していたおかげで、すっかり目覚めた状態で降車した。
クルーザーが迎えに来るという話題でみんな盛り上がっている。
さすがボンボン進学校。他にはどんなOBがいるんだ?聞くのも怖い気がする。
無人島にクルーザーか。こんな経験、二度とできないかもしれない。
俺もテンション上がってきた。

「船で行くのか。なんか楽しみになってきた!」

広野に言うと、

「な、楽しもうぜ」

頬にエクボをこしらえた極上の笑顔が返ってきた。

あまりに眩しくて、俺は完全に固まる。
恋する欲目無しに、こんなにも魅力的な広野。
部員がみんな一緒とは言え、これから丸2日一緒に過ごす訳で。
どんな面が見られるんだろう。
これまで知らなかった広野の内面に、少しでも触れられたら良いのだけど。

迎えに来たクルーザーは小型だったが、それでも10人程度を乗せるには十分だった。
OBだという鈴置先輩自身は、クルーザーを動かせないらしく、叔父さんが同乗していた。
港から島まではそんなに時間もかからず、船酔いする暇もなかった。
相変わらず俺は、潮風に目を細める広野を眺めていて、あのたなびく黒髪に指を絡めたいな、なんて場にそぐわない不届きなことを考えていた。こんな調子で広野の寝顔なんか正気で見られる自信はない。

期待と不安の入り交じる気持ちを抱え、島に降り立つ。
小柄なくせに大きな荷物を持つ後輩の小須田を手伝い、足元を波にうたれながらビーサンで進む。
広野は先に上陸していて、手際よく荷物を並べていた。

部長の今橋の指示に従い、時々広野や同級生の佐川に聞きながら、みんなと一緒に3基のテントを立て、かまどを作る。トイレすら掘って作るとは、まさにサバイバルだ。
嬉々として全ての作業に向かう広野は普段の姿とは別人で、聞いてはいたけれど本当にこんなアクティブな一面があったんだ、と驚かされた。
全員で集中して作業したためか、場馴れした経験者が多いためか、滞りなくセッティングは終了し、自由時間が告げられた。

「飯田、泳ごうぜっ」

弾んだ声で俺を誘う広野は、すでに海パンを仕込んで来ていた。
子供みたいだな、と苦笑する。
エクボ以外にも見つけた、広野の可愛い一面。
この合宿での新しい発見の積み重ねは、ますます俺を広野の虜にするだろう。

テントで着替え、先に浜辺に下りた広野を追いかける。
太陽の光を反射したリングの煌めく黒髪と、真っ直ぐに伸びた背骨。
こんな風に、後ろ姿をしみじみと眺めるのは初めてだ。しかも裸の上半身なんて。
こっちの高校に来てからは、プールが改修工事中とのことで水泳の授業はなかったし、初めて目にする。

うなじから真っ直ぐに伸びた背筋。
浮き出た肩胛骨。
程よく筋肉の乗った腕がすっと伸びて、頭上に掲げられ、広野は眩しげに空を仰いだ。
熱い感情を覚えずにはいられなかった。
俺に気付いた広野がこぼした一言。

「お前、脱いでもイケテんなー」

脱いでもなんて……。そんな言い方は止めてほしい。今の俺には大打撃だ。
イケてる、なんて嬉しいことを言われたが、どうせ俺なんてヒョロいと拗ねた口をきく広野には、あいつを形容するうまい言葉が見つからない。

「……いや、バランス良くてキレーな身体してる」

仕方なくそう言えば、広野は照れたみたいに海に向かって走っていった。

海が好きだと言う広野は、潮に浸かったかと思うとそのまま潜り、浮上してから泳ぎ始めた。
まるで俺の存在を忘れたかのように、一人夢中で海と戯れる姿。本当に好きなんだな。
海洋生物の研究者になりたいと言っていたが、とにかく海に関わる仕事がしたいってのが広野の本音かもしれない。

進学校に通う俺達の進路は、とにかく大学に入り、それなりの企業に就職するか、専門職に就くか、研究者になるか、そんな着陸点が多い。
……俺は何になりたいんだろう。
自己表現の手段を探しに海外に行くといったって、漠然とし過ぎてすぐに頓挫しそうだ。
とりあえず語学留学したとしても、その先を真剣に考えなきゃな。
浜辺に立ち、自由に無邪気に泳ぐ広野を眺めながら考えた。
一際大きく水しぶきを上げ、広野が水面から顔を出す。

「おーい。こっち、深くて泳げるぞっ」

辛うじて足が着く深さなのか、水中を跳ねながら手を振る広野に向かって泳ぎ出す。
小学校までは水泳をやっていたから、基本的な泳ぎはマスターしていた。水を掻く久しぶりの感覚に、少し距離を伸ばしてみたくなった。

「な、お前も泳げんなら、あっちの岩まで泳いで行こうぜ」

広野を誘うとすぐに乗ってくれた。
水面から顔を出したまま、砂浜から続く岩場へ向かう。
広野よりも先に上がり、自然と手を差し出してから気がついた。
手、握るの初めてだ……。
妙にむず痒い気持ちを隠し、そのまま手を差し伸べていると、広野がそっと俺の手を取った。その感触に、思わず笑ってしまう。

「……プッ。しわしわー」

海に浸かり過ぎてふやけた広野の指をひとしきり笑い、他愛ない話をしながら岩場で過ごした。
二人きりの空間は、相変わらず心地良い。
ずっとこうしていたいが、こんなところで日干しにされていると命が危ない。俺たちは水中に戻り、それぞれの海を満喫した。

軽い疲労感と空腹に、昼食を忘れていたことに気付く。
サンドイッチなどの簡単な食事を済ませ、また海に戻るという広野と別れた。
日よけの下でゴザを敷き、微睡む佐川を見て、俺も昼寝しておこうと思った。
広野と同じテントでなんて、夜眠れるわけがない。今のうちに充電しておかなければ。
幸い、大きな日よけの下には、もう1枚ゴザを敷くスペースがありそうだった。
慣れない早起きで寝不足のせいか、強すぎる真夏の日射しの下でも直射日光を避ければ案外眠れるもので、太陽がかなり落ちて集合時間が近づくまで、俺は夢も見ないで眠った。

「お、飯田起きたか」

目をこすりながら半身を起こすと、今橋が気づいた。

「わり。寝過ぎた?」
「いや、大丈夫。これから夕食準備かかればちょうど良いと思う。それより……」

今橋が浜の方に視線をやった。

「広野のやつ、いつまで一人でああやってんだろうな。絶対時間に気付いてないぞ。悪いが回収してきてくれないか」

今橋の視線の先には相変わらず潜ったり浮かんだりして波と戯れる広野がいて、あれからずっとかと、さすがに驚いた。

「回収……な。了解」

立ち上がり、片手を上げて浜に下りてゆく。

「いつまで漂流してんだー。上がって来いよー」

大きく手を振りながら、さらにしわくちゃになっているだろう海坊主を呼んだ。



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