真昼の月

12




夕食は、バーベキューにカレーライス。キャンプの定番だ。
重要な役どころは、経験値の高い3人が担当することになり、俺はバーベキュー用の野菜を切ったり火おこしのサポートをしたりという仕事を割り振られた。
やはり気になって、カレー作り担当の広野をちらちらと眺める。具材を手際よく切り、鍋に投入して炒める姿が、妙に様になっていて、普段から料理していることが伺えた。

「……広野って、料理できる人?」

そっと近づいて尋ねる。

「……別に。カレーくらい、誰でもできるだろ」

淡々とした答えが広野らしい。
看護師をしている母親が夜勤のときなどに料理をするらしく、手馴れているはずだと納得した。

広野作のカレーは、感情のスパイスも加わってか、やたらと旨く感じられ、気づけば3杯目に突入していた。
好きな奴の手料理を味わえる幸せを噛みしめ、俺は暮れてゆく空を仰いだ。

晩飯の後は、暗がりでの片付けが困難なこともあり、火だけ始末して花火をすることになった。
高校生らしく、ロケット花火を打ち合ったり、ネズミ花火を投げたり。ランタンの灯りしかない不自由さは、むしろ不意打ちには持ってこいだった。
誰もがよく笑い、心から楽しんでるみたいだった。
この合宿を、広野が楽しみにしていた理由がよく分かる。
電気も水道もない不自由な中でも、知識と身体一つあればなんとかなる。己の生命の力をひしひしと感じられる一日だった。



花火のあとも、部員全員集まって談笑していたが、顧問の倉本先生が、一人飲みの為にテントに引き上げたのをきっかけにお開きとなった。
割り振られたテントに向かい、眠れない夜に覚悟を決める。

「一度寝たら起きない自信あるんだけど、俺、奥でいい?」

佐川がそんなことを言いながら、寝袋を引きずった。

「別に構わないけど、朝はちゃんと起きて片付け参加しろよ」

隣で寝袋を広げる今橋と佐川は、性格は正反対だがなかなかナイスコンビだ。うまくお互いの足りないところを補い合っている。

「じゃ、俺はこっちねー」

今橋の隣、入り口寄りに陣取る。
流れ上、広野が一番入り口側に来るはずだった。
寝袋に入り、しばらくじっとテントのたるみを見つめる。
ほどなくして佐川のイビキが聞こえ始め、呼応するように今橋も寝息をたて始めた。昼間の疲れであっという間に落ちたようだ。

しかし。待っても広野は現れない。
気になった俺は、そっとテントを抜け出した。



紙皿やコップの散乱したゴザの上に座る影。ラジカセから微かに流れる音楽に、耳を傾けているようだ。
ランタンの薄明かりに照らされた広野の横顔は、儚げに物思いに耽っているようにも見え、俺は再びその美しさに飲まれた。
しばらく足を止め、その姿を見つめていたが、出てきた手前、声をかけない訳にはいかなかった。

「広野、寝ないの?」
「……んー」

曖昧に答えるあいつは、やはり一人で何か考えていたんだろうか。
邪魔して悪かったかな。そう思った俺は、軽い会話を2、3交わした後、ゴザを手にして浜辺に下りることにした。

俺も一人で考えたいことはある。
それに。……さっき見たんだ。
街の灯りなど一切届かない無限に続く漆黒に、瞬く無数の星と、欠けた月を。

夜の海に浮かぶ月。
光の道は見えなくても、揺れるさざ波に散る光を見たい。

浜辺へ下りてゴザを敷き、足を投げ出して座る。
耳にはポータブルプレイヤーのイヤホン。最近気に入りのアーティストは、海とは全く関係ないものだったが、勿体ぶって潮騒を堪能するのは後回しにした。

夜は長い。
流れる音楽。目の前には波に揺れる月光。
しばらく幸せな一人の時間に酔った。

一人でも、大丈夫。きっと俺は自分の道を歩いて行ける。
広野が傍にいてくれたら、と願わなくはなかったけど、それは所詮無理な話だ。
自嘲ぎみにため息をつき、目を閉じたとき。

「……わっ!びっくりした」

誰かに肩を触れられ、驚いて振り返った。
そこには少し困った表情の広野がいて、来てくれたことに嬉しくなった俺は、こっち来いよ、とゴザを勧めた。
言われるままに、ゴザの隣に座る広野。触れそうで触れないその距離が、もどかしくも面映ゆい。
会話をするにも照れてしまいそうだが、俺はイヤホンを外した。

「お前の好きな夜の海、だな」

水平線辺りに視線を向け、広野がしみじみと言う。
満月じゃなくて残念だけど。
そう言えば、それでも月明かりはきれいだ、と返ってきた。

しばらく二人、無言で海を眺める。
広野は今、何を考えている?何を思って俺の傍に座ってるんだ?
俺のあいつに抱く想いとはきっと違うんだろうけれど……。
こんな風に、手を伸ばせば触れられる距離で、二人きり無言の空間を共有していると、勘違いしそうになる。

広野、俺は……。
心臓が壊れそうに打っている。広野に聞こえてしまうのではないかと不安になり、俺はイヤホンを片方勧めた。音楽で打ち消そうと。

俺の選んだ曲は、ドタバタした調子のラブソングで、まさに今、右往左往する俺の心を映し出していた。
広野はリピートして欲しいと言い、この曲をいたく気に入ったようだったので、帰ったらCDを貸す約束をした。

しばらくリピートしてから、イヤホンを外す。
耳をすませ、勿体ぶって取っておいた、潮騒を堪能する。
ただでさえ音がクリアになる夜の潮騒は、無人島という場所では一層耳に迫って響く。
むしろ、嘘くさいほどにリアル。
目を閉じると、さらに迫りくるサウンド。効果的に混じる潮のかおり。
波音に合わせて揺れてみると、母胎に返ったような安心感すらある。人間は海から生まれたって話があるが、信じられる気がした。

瞼を上げ、再び月明かりを見やる。
満月ではなかったけれど、広野と一緒に見られた幸運に、感謝した。
夜の海、広野は満足してくれただろうか。

隣に視線を向けると、月光を映す水面を柔らかい眼差しで眺める広野の横顔が目に入った。
柔らかい……と言うよりは、むしろ恍惚とした表情に、俺は思わず呟いた。

「……きれーだな」

こぼれたセリフを拾った広野が、少し動揺したのかどもりながら、月明かりがな、などと言う。
確かにそうだけど。

「……だけじゃないんだけどな」

心の声は勝手に口から出てゆく。

揺れる瞳を隠すように、広野がゆっくり目を閉じた。
単なる瞬きの延長にすぎないその行為ですら、今は甘美な魔法だ。
広野が今、何を考えているのかは分からない。
ただ、今の俺は、無意識で罪作りな広野に魔法をかけられているだけ……。
吸い寄せられるように俺は、広野の手に自分の手を重ね、続けてその唇に自分の唇を重ねた。

初めて触れたあいつの唇。それは柔らかく温かく、俺の全身を蕩けさせる。
キスってこんなんだったっけ。ガラにもなく震えた。
甘い魔法よ、とけないで……。

触れるだけに止めたキスは、それだけで俺の脳をしびれさせた。
ゆっくりと離れるとき、瞳を閉じた広野に気づく。抵抗も抗議もされなかった。
なぜ……?
理由を聞きたい気もしたが、自信のない俺は逃げるコマンドを選んだ。

「……戻ろっか」

何事もなかったかのように、ゴザを片付け浜辺を後にする。
後を着いてくる広野が動揺していることは間違いないが、今の俺には自分のしてしまったことを説明できる力量がなかった。

衝動的だった。
後悔しても遅いけれど。

それでもやっぱり、俺は……。
ごめん、広野。お前の傍にいたいんだ。
いつか旅立つその時までは。

広野の隣でなんて、眠れるわけがなかった。
想定内だったが、先程自分のやらかした行為が、眠気をより遠ざけているのは予定外だった。
隣の広野が同じように、全く眠れない様子でいるのを、俺のせいだと申し訳なく思う。かといって、この状況で二人、何を話せば良いというのだろうか。
俺は、眠れない広野の気が少しでも楽になるように、寝たフリをきめこむのが精一杯だった。

夜が明けたかどうかも怪しいうちに、広野はテントから出ていった。
眠れないのなら、何か行動しようというのは合理主義なあいつらしい。

「ふー……」

緊張しきった半身の力を弛める。
眠れないまでも、朝が来るまで身体を少し休めておこうと思った。

目を閉じると瞼の裏に浮かぶのは、あいつの恍惚とした横顔で。
あれは衝動だと思っていたが、何度思い出したって、空想の中の俺は、その唇に吸い寄せられた。
だからと言って、広野になんて言うんだ?
俺はお前にどうしようもなく惹かれていると?そもそも、俺はゲイだとカムアウトできるのか?
……まさか。
とりあえず、普通でいよう。それしか思いつかない。

なかったことにしたい気持ちとしたくない気持ちが、せめぎ合う。
でもこの場は、仕方ない。
一睡もできないまま、完全に朝が来た。

今橋が起き上がり、ゴソゴソと寝袋を片付けるのを背中で聞く。
俺を跨いでテントから出てゆくのを寝たフリでやりすごした。
しばらく経つと、隣のテントからも声が聞こえ始め、ここらで俺もと起き上がる。

テントを出ると、まだ朝にも関わらず燦々と降り注ぐ真夏の日射しが目にしみた。
目をこすりながら、できるだけ自然に聞こえるよう広野に声をかける。気まずくなるのだけは嫌だ。

「……はよ、広野」
「っす。跳ねてっぞ」

軽い挨拶に軽い挨拶を返す広野に、安堵する。
髪の毛を手ぐしでとかしながら、眠らなくても寝癖ってつくんだと苦笑する。

その後も時間をリセットしたかのように、俺たちは普通だった。
少なくとも、周りの目にはそう映っただろう。お互いの胸の内は違っても。

とにかく自然に振る舞うことばかりに、意識を集中させた。
広野はというと、片付けが一段落すると海に行ってくると浜辺へ向かって行った。
今日の俺は、さすがにあいつと二人きりになる精神力がなくて、内心ホッとしながら見送った。

出発ギリギリまで広野は、海を堪能していたようだった。
一生の仕事にしたいとまで思うほどの情熱が、そこにある。恋い焦がれる気持ちとは全く別のところで、その姿に憧れ、羨ましく思った。

昼過ぎに迎えにきたクルーザーで、島を去る。
ここに来るのはきっと、一生に一度きりだろうけど。俺にとって、忘れられない場所となった。

それにしても。
残りの夏休み、一体どう過ごせば良いのだろう。
広野と二人きりになったとき、あえてその話題を避けるのはあまりにも不自然だし……。
二人きりになるのを避けたほうが良いのか?

解散となった駅前で、かろうじて広野に告げた言葉は、

「またメールするな」

それだけだった。



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