真昼の月

13




9. 前進する決意


自分からメールをする、と言っておきながら、どんなメールをしたら良いのか考えているうちに、不自然なほど時間が経過した。
それでも、とにかく日々を無駄にはしたくなかった。
俺が、前に進まなくては。
広野のことだって、俺自身が変わらなきゃ、一歩も前進できない。あいつにはモヤモヤさせたままで悪いけど、この恋に結論を出す前に俺にはやるべきことがある。
決心した俺は、引っ越してから全く連絡を取っていなかった親に電話をかけた。

「……久しぶり。みんな元気?」
「あぁ。お前も元気そうだな。成績は良かったみたいだが、学校は順調か?」
「うん。友達もできたし、楽しくやってたよ」
「そうか。夏休み中に帰ってくるのか?」
「……俺、根本的なところ変わってないよ。帰らない方がいいんだろ?」
「……正成」

たしなめるような父親の口調に、用件だけを伝えることにした。

「父さん俺、留学したいんだ」

以前チラリと言ってみたことがある為か、父親はあまり驚かなかった。

「……そうか」

電話越しに、しばらくの沈黙が流れる。
沈黙を打破すべく、俺ははっきりとした声を出した。

「できるだけ早く、アメリカに行きたい。語学を習得して、将来は向こうで何かを表現する職業に就きたいんだ」
「できるだけ早く……、か」

将来のことなど、初めて親に話した。
というか、俺自身考え始めたのはつい最近だし。
やっと朧気ながらビジョンが見えてきたところだ。

「お前も考えてるんだな。……とりあえず語学学校のツテはある。話してみよう」
「ありがとう、父さん」
「いや……」

何か言いたげな父親の声を遮るように、受話器を置いた。
言いたいことは分かっている。
アメリカはゲイカルチャーもコミュニティも発達しているし、その辺りには気をつけろとか言いたいのだろうけど、明確な目的を持った俺には、遊ぶために海を渡る気などさらさらなかった。

話はあっという間に進んだ。
父親の友人が斡旋している語学学校に入学を決め、その人のツテで向こうでのステイ先なども一気に決まった。
高校はキリの良いところで退学し、学生ビザがおりるまでは、しばらく自宅で勉強することになるけれど、いきなり旅立つのは心許ないので、かえってありがたかった。 向こうで大検をとりながら、高卒資格を得ようと考えている。

こういう時、つくづく感じる。
親の力無しには、何もできない自分。
だからこそ言いなりに転校なんかしてきたわけだし、自分で分かっていて受け入れているけれど。

そのうち必ず一人で立ち上がってみせる。何もかもは、それからだ。
俺は、決意も固く拳を握りしめた。
それからおもむろに携帯を手に取り、久しぶりのアドレスを呼び出した。
旅立つ前に、一度会っておかなければ。

本当はもっと一緒に過ごしたかった。
でも、このままズルズルと曖昧な関係を続ける俺自身が許せなくなりそうで。
最後に一度だけ、広野に会って、あいつの真っ直ぐさに触れ、自分で自分の背中を押そうと思ったんだ。
夏休みも、あと3日で終わる。

気合いを入れて広野に送ったメールでは、簡潔に晩飯に誘った。
快諾してくれたことにホッとする。
あんなことしておいて、何も言わないまま、すると言ってたメールもせずにいた訳だから。



夏の日は長く、待ち合わせの6時、まだ外は明るかった。
学校近くの駅に、バスで降り立ったのが5時57分。帰宅ラッシュで遅れぎみだったのでヒヤヒヤした。
良かった、間に合った……、と駅前を見れば、向こうに視線を投げた広野が立っているのが見えた。
小走りに近づいて声をかける。

「広野」
「……よっす」

久しぶりに聞く広野の声には照れた様子などなく、普段と変わらない調子だった。
俺はホッと息をつき、それから自分が緊張していたことに気が付いた。

「行くか」

晩飯を一緒に、と約束していたので、ありきたりなファミレスに向かう。
お互いが余計な気遣いをさせないようにと思ってか、中身のない会話をポツリポツリ交わしながら。

二人とも無難にハンバーグを注文した。
短期間だったけど、広野とは何回もこうして一緒に食事したな、と思い出す。それもこれで最後になるけれど。
食事の終わった頃合いを見て、俺はカバンから包みを取り出した。

「……これ、貸してって言ってたよな」

合宿の夜、広野とイヤホン分け合って聴いた曲の入ったCD。同じアーティストの別のCDも合わせて3枚。
差し出すと、受け取った広野はしばらく呆然としていたが、少し慌てたように出ようかと言った。

あの夜のこと、思い出したんだろうな……。
お互い普通に会話はしているけれど、やっぱり触れられない話題を胸に抱えているのは同じで。
そう意識すると、なかなか次の会話を切り出せず、俺たちは駅までの道を無言で歩いた。

夏の夜の湿っぽい空気が、身体にまとわりつく。8月も今日で終わるというのにまだまだ蒸し暑さは抜けない。
駅に着き、少しだけ背の低い広野が、俺を見上げるように視線を合わせてきた。なんとなく離れがたい空気が互いを包む。
迷っていたが、やっぱり誘うことにした。

「ちょっと海行かない?」

あいつが頷いてくれたら、話そうと思っていた。

――今日は、満月。

月明かりの下でなら、話せそうな気がして。

電車内でも、お互い無言で窓を見つめていた。
向かうのは、広野がいつも行くという海岸。整備された海水浴場ではないが、この夏も少しは賑わっていたらしい。だが、夏休みとともに、それも終わるだろう。

無人かと思えるほど小さな駅。広野に促されて改札を出る。
海沿いを歩き、浜辺に下りると、数人のグループが夏の終わりを惜しむかのように花火をしているのが見えた。
迷いなく砂をシャクシャクと踏みしめる広野の足取りは、本当にここによく来ていることを伺わせた。
海を見渡せるコンクリートの階段に座り、ここからいつも海を見ているんだ、と広野が言う。
同じように階段に座り、目の前に広がる漆黒の海と、深いコバルトの空を眺めれば、雲の切れ間から月の光が漏れているのが分かった。

「あのさ、」

俺は言葉を続けた。

「今日って満月なんだ」

期待に満ちて、見つめる俺たちの目の前で、雲の切れ間から覗く光は、だんだんとその強さを増してゆき。
生ぬるい湿った風を感じたと思うと、雲は流れた。
満月が姿を現す。
視線を下におろせば、波間に揺れる月光は、その力強さを維持しながら連なっている。



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