真昼の月

14





光の道……。

良かった。広野に見せられて。
隣に座る広野を見ると、その瞳は月光を映してキラキラと輝いていた。
壮絶な魅力を感じたが、それはあの夜とは違う、触れてはならない美しいものに対する感情のように思えた。
その広野が、くるりと横を向き、無邪気な子供に表情を変えて言った。

「見えたな!」

その言い方の可愛らしさに、一瞬笑みがこぼれる。
だが、すぐに俺は、今しかないと思った。広野に言わなければならないことがある。

「俺、話しておきたいことがあって……こっち来る前のことなんだけど……、聞いてくれる?」

声が震えていないか、全く自信がない。

「……聞くよ」

落ち着いた声と、あの真っ直ぐな眼差しで言う広野に、俺は自分を奮い立たせ、言葉を続けた。

「なんで2年になって転校してきたのか、気にならなかった?」
「……いや、なんかそれはいろいろあるだろうかと……親の転勤とか?」
「……転勤ね、ありがちだもんな」
「ちがうの?」
「……逃げてきたんだ。親も、俺を捨てたんだ」

一瞬息を詰め、言葉を失う広野に、もっと違う言い方をした方が良かったかと後悔した。
でも。親が俺を突き放したのは事実だったし、ここまで来たからには続けるしかない。

「……俺さ、ゲイなんだ」
「……」
「自覚したのは中学入ってすぐ。向こうにいたころは、都会だったしそっち系の夜遊びも結構してた」
「……」
「夜遊びしてたとき、たまたま学校のダチに出くわしちゃってさ。ゲイバレしちゃったわけ。そっからはすげーよ。もう、ウワサに尾ひれつきまくり。俺が、誰と怪しいだとか」
「……」
「俺が、親友だった奴を狙ってるって、ウワサになって」
「……」
「……俺は、親友をなくしたんだ。バレてから1週間もたたないうちに」
「……」
「ダチだったやつらに避けられて、俺がゲイだってことがそんなにいけないのかよって思って、そんで」
「……」
「……誰かに認めてほしくて、親にカムアウトした」
「……」
「まさか、捨てられるとは思わなかった」
「学校でもバレてるって言っちゃったから、即転校の手続きされてさ、やっぱ進学校だったし、人の目が気になって通わせられねーって思ったのかな」
「……」

ずっと無言の広野に、やっぱりいきなりのカムアウトはきつかったか、と不安になる。同時にここから先を続けるべきか、迷いが生じた。
でも、今しかないんだ。

「こっち来て、ダチもできて、学校も楽しくて良かったって思ってたけど」
「……」
「広野のこと、どうしてもダチって思えなくて……。ごめんな。気持ち悪かったろ?」
「……」
「そう思って当たり前なんだよ。気にすんな」
「いや……」

「日本じゃまだまだ、マイノリティだからな」
「……飯田」
「だから俺は、外国行きたいんだ。自分のアイデンティティーを、きちんと表現したい」
「……うん」
「ホント、ごめんな。あと、聞いてくれてサンキューな」

そう言い切った俺は、広野の反応を待たずに立ち上がった。
話の間中、視線をさまよわせていた広野は、何を言うべきか戸惑っているのだろう。

ごめんな、広野。最後の最後に困らせて……。
答えなんて、求めてはいないんだ。ただ、聞いて欲しかっただけ。
自分にケリを着けて、ここから立ち去るために。
背後でなかなか動きだそうとしない広野を促そうとした時。

「……広野?」

広野が俺の手をギュッと握った。

しばらく見つめ合う。
どういう意味で俺の手を取ったんだ……?
真っ直ぐな広野のことだから、これはきっと――。

――俺はちゃんと聞いたから。誤解はしないよ。
そんなあいつからの、メッセージ。
俺は、少し視線を反らし、クスリと笑った。

「……ありがと。これで頑張れる」
「飯田……、俺」
「満月の海、一緒に見られて良かった」
「……」

広野は、それ以上何も言わなかった。
もうお前に会えなくなるなんて、言うつもりは元からなかった。
言ったところで、広野を戸惑わせるだけだし、何よりも。
俺が海外に行くと言えば、これまで以上にあいつは俺のことを意識する。物理的距離は、恋愛感情を燃え上がらせる一要因だが、恋愛でもない感情を、恋愛だと勘違いさせかねない要因にもなり得る。俺に好意的な感情を持っていてくれるあいつを、こんな形で引きずり込みたくはなかった。

それに、あいつに、震える声で「行くなよ」なんて引き留められたら……。
いくら固まっていたとしても、俺の決心は揺らいでしまうかもしれなかったから。
俺が自分に自信を持てようになるその日までは、広野に会うつもりもなかった。

自宅の最寄り駅で、先に電車を降りる広野は、

「またな」

と片手をあげた。

「じゃあな」

と返した俺。
とてもじゃないが、「またな」なんて次に繋がる挨拶はできなかった。
ドアが閉まり、電車は発車する。 遠ざかる広野が、涙で霞んだ。



夏休みも終わった。
今ごろ学校では、始業式が行われているはずだ。朝のホームルームで、担任から俺の退学が伝えられるだろう。
広野はおろか、陣内や安藤にも言っていない。あいつらは俺を薄情なヤツだと思うだろうか。

にぎやかな友人に囲まれ、優しい祖父と過ごしたここでの生活は、とても短くて全てが仮の宿りではあったけれど、俺にとっては大切な時間となった。
広野に出会い、急速に惹かれていった時間も、宝物のように感じる。
叶わなかった恋は、うまく綺麗な思い出に昇華できるんだろうか。
脳裏に映るあいつとのシーンは、青い空と海、月光、それを映す漆黒の水面、どれを切り取っても美しいものばかりだけれど。
荷物を片付け終わった空っぽの自室で仰向けになり、空想に浸った。

陣内には、ホームルームが終わった頃合いを見計らって、メールを送った。急に留学が決まった旨に、連絡できなかった謝罪の文句を添える。頑張れよ、という簡潔な返信にあいつらしさを感じた。

次に携帯が震えたとき、予感はしていたが、俺はディスプレイを確認し、そのまま留守電に変わるのを待った。
今、広野と話す勇気は俺にはない。
留守電にメッセージが残されることはなく、代わりにメールが送信されてきた。

『なんで今留学?どこにいるんだよ?』

広野には珍しく、感情を露にした文面に、切なくなる。
しばらく迷っていたが、思いを振りきるように、俺は最後のメールを送信した。

『悪い。言えなかった。準備はずっとしてた。元気で。』

自分の決心が揺らがないように、たった今送信したアドレスを消去する。
そのまま使い古した携帯の電源を落とすと、液晶画面に涙が一粒こぼれ落ちた。



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