真昼の月

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10. 自分探しの旅路


各国からの留学生を受け入れている語学学校での時間は、有意義に過ぎて行った。
彼らは一様に、自己表現には長けていて、日本ではむしろ自己を評価し過ぎだとか言われそうなくらいだった。
おかけで俺は、母国の一歩引く文化の奥ゆかしさにも気付くことができたし、その文化が生まれながらにしてこの身体に刻みこまれていることを誇りに思えた。
自分とは……。表現する以前に、知らなければならない。
俺のアイデンティティーは、ゲイであること以外にも、こんなに沢山の事象で構成されていたんだ。異国の地に来て、初めてそれがクリアに見えてきた。

語学をマスターしながら俺は、その合間に美術館や舞台、著名な建築物などを可能な限り見て回り、家では本を読み漁り、映画を見まくった。
これからの方向性を決定づける物を探して、必死で毎日を過ごしていたんだ。それこそ夜遊びに出る暇もないほどに。

進学校でもある程度成績の良かった俺にとって、大検を取ることは簡単だった。英会話にもそれなりに困らなくなったので、ある意味有意義だった語学学校での生活に区切りを付け、俺は進路を決めた。
目指すのは建築家だ。
何かを表現する仕事に就きたいと、漠然と考えていたが、美術館巡りなどするうち、中身の作品よりも、それを収容する箱物に惹かれた。建物を設計し、形にするという大きな仕事に魅力を感じたんだ。

ただ、こっちの大学で専門的に建築を学んでも、日本で使える資格が取れるわけではない。
アメリカで仕事に就きたいと、留学前は考えていた俺だったが、日本の文化的な良さを知るに従って、やはり仕事は母国で、と考えを変えた。
すぐに帰国しても良かったが、もう少しこっちの生の空気に触れたかったことと、今後の参考になればと考えて、専門学校とコミュニティ・カレッジで計3年間、コンピュータ技術とデザインを学ぶことにした。

専門学校での1年間は、淡々とパソコンに向かって過ごしたため、学校生活というよりは、むしろ楽しんだのは学外での建物巡りなどだった。
専門学校の卒業後、幸いカリキュラムの充実した公立のコミカレが見つかったが、遠く海の向こうで生活する俺に仕送りしてくれている親に、経済的負担をかけていることに変わりはなかった。

『捨てられた』――なんてあの時は思ったけれど、両親はこんな風にわがままな俺の希望を叶えてサポートしてくれている。
両親にしてみれば、息子の突然のカムアウトに動転するのは当たり前で、できればノーマルに戻ってほしいという気持ちも、今ならよく分かる。
捨てられたのではなく、旅に出された、そんな感じなのかもしれない。可愛い子には旅をさせろって言うし。
両親には、今は感謝と申し訳ない気持ちしかない。こっちへ来て、それが見えてきた。
何事も距離を置いて見ることって大切だな、と思う。

距離を置く……か。
やっぱり今でも、3年たった今でも、あいつのことは忘れられない。
一緒にいた時間の何倍もの時間が過ぎていったのに。

季節は夏。
広野は、浪人していなければ今ごろ大学に入って2年目のはずだ。
希望の大学に入れたのだろうか。地元を離れたのだろうか。
大学でもキャンプ絡みのサークルに入ったりしている?どんな友人に囲まれて、どんな生活をしてる?
……好きな子は、彼女はできた?
何度となく頭に思い描いた、知り得るはずのないあいつの近況。
連絡先を消して、あいつの前から消えたのは俺の方だ。未練がましく思い出して胸を焦がすなんて、とんだお門違いだ。
分かってはいるのに、時々どうしようもなくあいつを思い出す。

俺が独り立ちして、仕事で成功して有名になったら、あいつは気付いてくれるかな……。そんな夢みたいなことまで考える始末。
中学生じゃないんだから。
一人苦笑して、部屋の灯りを消した。
窓を開けると、風と一緒に月明かりが入ってくる。こっちでは、夏の夜も風は乾いている。
月は……。日本と一緒だ。離れていても、同じ月を見られる。



「マサって結構ストイックなのね」

キャサリンが、足を組み替えながら言う。
細身のジーンズに包まれたそれは、パツパツにはじけそうで、きつくないのかななんて考えながら答えた。

「ストイック?どうして?」
「だって恋人も作らないじゃない。いくらゲイだからってそんなに消極的になることないのに……」

キャサリンはコミカレのクラスメイトで、気の合う女友達だ。
パソコンが友達だった専門学校とは違い、アートに関するディベートなども行うコミカレでは、授業時間外でもみんな積極的に意見交換をする。クラスメイトと頻繁にコミュニケーションを取るうち、俺にも結構友人ができた。
こっちでの俺は、友人たちには迷わずカムアウトしている。ゲイが日本ほど珍しくないし、やっぱりこっちは個性を尊重する風潮があるから。
彼女の言うとおり、俺はこっちに来てから特定の恋人を作ってはいない。ゲイだと知りながらも、アプローチしてくる女の子や、言い寄ってくるマッチョマンは頻繁にいるが、丁重にお断りし続けていた。

「ストイックとは違うかもしれない……。それに、ゲイだから躊躇ってるわけでもないよ」
「相変わらず曖昧な表現ね。ザッツジャパニーズって感じかしら」

肩をすくめるキャサリンに、嫌な気はしなかった。
俺は、日本の血を誇りに思っているから。

「サンキュー」

きっぱりとそう答えられる。
恋人を作らないのは、やっぱり気持ちのない付き合いはしたくないっていうのが大きい。
恋人ばかりか、誰かと身体の関係を持つことすら、しようとは思わなかった。
ただひたすら、自分の中に吸収できるものを求めて、貪欲に日々を過ごしていた。
それを人は、ストイックと言うのかもしれないが。



コミュニティ・カレッジでの2年間は、これまで全くと言って良いほど芸術に縁のなかった俺にとって、全てが新鮮なままあっという間に過ぎ去った。
芸術の基本を学ぶにはもってこいだったし、何より語学学校時代と違い、ネイティブな友人たちと過ごした日常は、お客様気分ではいられない分スリリングだった。

「マサ、あなたは本当にナイスガイだったわ。……ゲイじゃなかったら、あなたの恋人になりたかった」

卒業してから、帰国までの間に一度会ったキャサリンは、街道沿いのカフェテリアでそんなことを言った。

「……ありがとう。嬉しいよ。君の気持ちはもらって飛行機に乗るよ」

この国に来て、俺は変われただろうか。
旅立ちを決めたあの夏から、5年が過ぎていた。



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