真昼の月

16




11. 満月の夜に


帰国後、一旦は実家に挨拶に帰った。
久しぶりに息子の顔を見て両親は喜んでくれたが、はっきりとゲイであることは俺のアイデンティティーだ、と告げると、少し残念そうな顔をした。
だが、俺の学んできたことと、これからのビジョンを話すと、納得してくれたようだった。

「受験に備えて、お祖父さんの家で勉強してもいい?」
「わかった。お前もその方が集中できるのなら、そうしなさい。ただ……」
「何、父さん?」
「帰ってきたかったら、いつでも帰ってきなさい。父さんも母さんも、待ってるから」
「……ありがとう」

母さんの目が潤んでいるのを見ながら、俺は頭を下げた。
やっと理解してもらえた……。

「卒業して職に就くまで、まだしばらく負担かけるけど……。よろしくお願いします」
「正成。それが親の務めなの。気にしないで勉強してね」

両親に感謝しながら、実家を後にした。



5年ぶりに会う祖父は、少し小さくなったように見えた。

「おかえり、マサ」

優しく迎えてくれる声は、あの頃と変わりはないけれど。
俺の志望校は東京で、首尾よく合格できたとしたら、春からは一人暮らしの予定だ。少しずつ老いてゆく祖父と少しでも一緒に過ごすために、ここに帰ってきて良かったと思った。

「お前の部屋はそのままにしてあるよ。勉強に足りない物があったら言いなさい」
「ありがと、じいちゃん」

今夜からまた、祖父の素朴な和食が食べられる。
やっと慣れたところだったアメリカの食事とは正反対だが、やはり俺は炊きたての日本のご飯が好きだった。
一人暮らしの予定があるわけだし、勉強の合間に、今度祖父に料理も習ってみよう。祖父は手の込んだ物は作らないから、春までにきっと習得できるだろう。

食事が終わり、風呂を済ませて自室に上がる。出て行ったときのまま窓に向かって置かれた文机と、畳まれた布団が、俺を迎えてくれた。
布団を敷き、そのフワリとした感覚に、祖父が干していてくれたことを知る。祖父みたいに、無言で気遣える大人になりたい、と思った。

窓の外がほの明るい。木製のサッシをガラリと開けると、夏の夜の匂いがした。
昼間に太陽を浴び、祖父が水撒きをした庭から立ち上る湿った空気と、草いきれ。
見上げれば少し欠けた月が、濃紺の夜を照らしていた。アメリカの夜空とは違うけれど、やっぱり同じ月だ。
それに。

「……もうすぐ満月なんだな」

呟いて、ゆっくり目を閉じた。
記憶に残る、潮騒。
瞼の裏に映るのは、あの夏、あいつと見た、光の道。
行ってみようかな。
あの海に……。



それにしても、古くて小さな駅だ。
駅前にはかろうじて小さな商店と数軒の民家がある。が、しばらく歩くと周囲には何もなくなってくる。あるのは数軒の崩れかけた空き家か倉庫か。そんなところだ。
なんでこんなとこに駅なんか作ったんだろう。あぁ、駅ができたころはそれなりに人が住んでたのかもな。そんなことを考えながら、足を進めた。

5年前、あいつと来た道。薄暗い街灯がポツリポツリ続く道だけど。
今夜は真ん丸い月が、俺の行く先を照らしてくれていた。
徐々に強く感じられる潮の匂いを吸い込む。それだけでも胸が一杯になった。

広野、俺、帰ってきたよ……。心の中で、あいつに呼びかける。
5年間、忘れられなかった。
でも、ここに来て、あいつを想う気持ちに一区切り付けようと思っていたんだ。

浜辺に下りる階段を見つけ、上から海を見渡す。
漆黒に近い深い色が、月光に照らされていて……。
もちろん、波間に続く光の道も……。

「……っ!」

水平線から続く光の道を目で追っていた俺は、浜辺近くにとんでもないものを発見した。
それは、確かに深みに向かってゆっくりと歩を進める人影で……。よく見れば服も着たままだ。

これはもしかして……!

「おーいっ……早まるなっ!」

気付けば俺は、階段を駆け降りていた。
俺の声に気付いた人影は、動きを止め、ゆっくりと振り返った。

「嘘……」

俺の動きも一瞬止まる。
なんで?
なんでお前なんだよ?

「……待てよっ!」

俺は一声叫ぶと、持っていたカバンを放り出し、その人物に向かって駆け出していた。
浜辺に着き、服が濡れるのにも構わず海に入る。

「……広野っ!」

バシャバシャと、水を掻き分け、そいつの傍に立った。

「……マジで?飯田?」
「なっ……にやっ……てんだよっ!」
「夢?てか、俺、死んだ?」
「死にてぇのかっ?」

間抜けなことばかり言う広野に呆れ、しかしこれ以上行かせるわけにはいかないと、その腕を掴んだ。
俺に腕を取られたままの広野は、呆けたように呟いた。

「なんでここに……」
「軽々しく死のうとか考えてんじゃねーよ!アホか!」
「いや、全くそのつもりはないんだけど……」
「……は?じゃ、なにやってんだよ?夜の海に服来たままとか、どう見たって正気の沙汰じゃねーぞ!」

俺は早口で捲し立てる。

「正気の沙汰か……。たしかに、ある意味、正気じゃなかったかもな」
「どういうこと?」
「……見ろよ。光の道。ありえねーくらい、きれいだ」

ゆっくりと、水平線の方向へ眼差しを向ける広野に、俺は絶句する。
光の道をうっとりと見つめる横顔は、相変わらず荘厳なまでに綺麗で……。
変わってないな。つかんでいた腕を放し、苦笑した。
月明かりに照らされた広野の表情には暗い影など一切感じられず、本当に死ぬ気で入ったのではないことがよく分かった。
しばらく月光に酔いしれていた広野が、急に振り返って焦ったように言った。

「そ、そう言えば、お前、なんでいるんだ?霊体験か幻かと思ったじゃないか!」
「なんだよそりゃ……。見て触りゃ実体ってわかんだろ。留学終わって、帰ってきたんだよ」
「……で、なんでここに?」
「広野こそ……」

お互いなんとなく理由を言いにくくて、曖昧な表情で見つめ合う。
一瞬視線を外した広野が、ひとつ深呼吸した後で、俺の目を見た。あの、真っ直ぐな眼差しで。
強い意思を宿した視線に、射抜かれそうになる。それは、俺の全身を貫き、そのまま捕らえて離さない。
広野がゆっくりと言葉を発した。

「毎年、来てるんだ。」

それは、あいつらしい凛とした声だった。

「俺、東京の大学行ってて向こうに住んでるんだけど、毎年夏休みはこっち帰ってて。夜の海はよく来てる。今日は満月だから絶対外せないって、超焦って帰ってきたんだ」

広野は、息継ぎもしないで一気に言った。
その真剣な顔から目が離せない。



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