ナイト アンド ミュージック

08


8.サムシング ビター


弱々しいカナタの声に、ハッと覚醒する。
……ごめんってなんだよ。
握られた手が、震えている。

「ヤられたのか?……ヒロってやつに」

そうとしか、考えられない。

「答えろよ!」

思いの外、大きな声が出た。

「……」

カナタは俯いたままだ。

「なぁ。そいつのこと、好きなの?……だからそっちも触らせた?」

俺は、何を聞いているんだ?

「ちが……っ。好きじゃない」

カナタが焦ったように顔を上げた。目に涙を溜め、悲壮な表情だ。

俺じゃない誰かが、こんなにカナタを揺すぶっている。
俺じゃない誰かが、俺の知らないカナタを知っている。
そう思ったら、暴走する感情が止まらなくなり、思ってもいない言葉が口をついて出た。

「……好きでもないのに?誰にでもそういうことさせるのか?……お前はそういう奴だったのか?」
「……」

カナタは答えない。
一度上げた顔を俯かせて、ただじっと言葉の嵐に耐えているみたいだった。

「……俺もそうなのか?」

尋ねたのは弱くかすれた声だった。

「……俺もその中の一人?誰でも良かったんだ?」

今度は俺が泣きそうだった。
他人に執着しないはずの俺なのに、どうして責めずにいられないんだろう。

カナタは俺の一番で、俺もカナタの一番で……。
他に何もいらないと思っていた。

俺の勘違いだったのか?
俺の部屋に来ない日は、他の誰かのところにいるのか?
俺の知らないカナタを見せているのか?

暴走する考えは止まらない。
いつのまにか、カナタに握られていた手が、逆にカナタを掴んでいた。

「なんとか言えよっ……」

俺はすがり付くように叫んだ。

「……違う。誰でもいいわけじゃない」

カナタがゆっくり顔を上げた。
まだ涙を溜めているが、強い眼差しに変わっている。

「ミツ、俺は犯されたんだ」

俺の目を見て、ハッキリと言った。

「ヒロは友達だった。……友達だと思っていたのは、俺の方だけだったけど……。あいつは興味本意でそういうことをしたんだ。」

ゆっくりと、カナタが話し始めた。

「それ以来、あいつとは会っていない。会いたくもない」

心底嫌そうに言い切る。

「誰にでもさせるわけじゃないし、したいわけでもない。……俺が」

言葉を区切り、カナタは俺の目を真っ直ぐ見つめた。

「俺がしたいと思ったのは、ミツだけだ。俺はミツが好き。……ずっと前から」

突然の言葉に、頭がついていかない。
回らない。

「ミツはこういうの、嫌なんだろ?……面倒くさいよな。でも俺、そういう目でミツのこと見てた」
「……カナタ」
「……もう、限界。困らせて、ごめん」

カナタは言い終わると、立ち上がって服を着た。
俺はただそれをボーッと見ていた。

「……ありがと。楽しかったし、幸せだった」

着替え終わると、カナタは寂しそうに、それでも笑顔を見せて出ていった。
俺は固まったまま、ドアの閉まる音を聞いていた。

カナタが出ていったドアを焦点の合わない目で眺める。
無機質なそれに、カナタの後ろ姿の残像が浮かぶ。
何度も指を絡ませたサラサラの茶色い髪。
俺を射るように見つめたカナタの瞳は、これまで見たことのない強い意思を孕んでいた。

ずっと前から、好きだった……

言葉が理解できない。

……俺だって好きだよ、カナタのこと。

でも……。

カナタの眼差しから図り知る気持ちの重さ。
その場で応えることなんか、できなかった。カナタと俺では温度差がありすぎて……。
たとえ俺があいつに「俺も好きだ」と言ったところで、それはあまりにも空々しく聞こえてしまいそうで。

「カナタ……」

口にしたくもない過去を告白し、痛々しい表情で出ていったあいつを思い出す。
傷つけてしまった。

ふとテーブルを見やると、汗をかいたグラスと、カナタに渡した合鍵が並んでいた。
イルカのキーホルダーは、カナタがかなり気に入っていたものだったのに、置いていくなんて。

……あいつ、もう俺に会わないつもりだ。

胸の奥からやるせない気持ちが込み上げる。
無理矢理飲み込むと、苦い味がした。

カナタ……。

確かにあのとき、ヒロって奴に感じたのは嫉妬だったのに。
自分の気持ちを結論付けられない俺に、カナタを引き留める術はない。



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