ナイト アンド ミュージック

09


9.イン ア ビジョン ――sideカナタ


やってしまった……。

ドサリとベッドに倒れ込む。
ミツの部屋からどうやって帰ってきたのか、記憶がない。

「……ミツぅ」

うつ伏せのまま、名前を呼んでみた。

こんなはずじゃなかった。
気持ちを押し殺してでも、ずっとあいつの傍にいるつもりだった。
でも、限界だったのは事実で、遅かれ早かれ俺はあいつから離れる運命だったのかもしれない。ミツを独占したくて、束縛したくて仕方がなかった。

好きだよ……。
呟いたら、感情が決壊した。
俺はシーツに顔を押し付け、声を殺して泣いた。

日曜日を丸一日呆然と過ごし、夜は早めにベッドに入った。
平日はバイトがあるので、仕事中なら忘れられるかも、と思いながら出勤する。
都会に生活していても、早朝の空気は清々しい。 俺はそれを胸いっぱい吸い込み、ゆっくり吐き出した。

「……さ、仕事仕事!」

口に出してみると、気合いが入った。
幸いなことに、客足も多く接客にアレンジメントに忙しくしていると、時間は過ぎていった。

問題は、夜だった。
平日の夜、ミツの部屋に行かない日は何をしていたんだろう……。
必死で思い出し、結局諦めて、全く違うパターンで生活してみることにした。

帰りがけにスーパーに寄り、買い物して自炊する。
向いているかどうかはさておき、何かに集中していないとダメだった。

「……ん、んまいじゃん」

おたまを片手に、鍋の中身を味見する。
最初は誰にでもできるメニューにした。
ビーフシチューなんて、この暑い中どうなんだって気もしないではないが、とにかく作れたらそれでよしとした。

コンロの前に立ち、ボーッと鍋をかき混ぜる。
……作り過ぎたかな。
明日もビーフシチュー……、だと新しく料理できないし、冷凍しとくか。

誰か一緒に食べてくれたら良いのに……と、せっかく思い出さないようにしていたあいつを思い出す。
……食欲ないなぁ。
せっかく作ったのに、喉を通りそうもない。

たいして見たくもないテレビを点け、ビーフシチューをなんとか一皿空ける。
バラエティー番組では、旬のお笑い芸人が、コントをやっている。画面の向こうがドッと湧いた。
この笑い、半分くらいはサクラかな、と考える。たしか、笑いを入れる仕事もあるって聞いたことがある。
……それにしても、笑うの上手いな。プロなんだろうけど。
ちっとも面白くないのに……。

真似して無理矢理笑ってみる。片頬が引きつり、空々しい笑い声になった。
笑い方さえ、分からない。
笑うと幸せがやってくるっていうから、無理してやってみたのに……。

諦めて寝ることにした。
豆電球を灯し、ベッドに横になる。
徐々に目が慣れてきて、部屋の隅々まで見渡せた。

……この部屋に、ミツを呼ばなくて良かった。
いつも会いに行くのは俺ばっかりで、ミツは嬉しそうに迎えてくれたが、あいつから会いに来ることはなかった。
この部屋も、ミツは大体の場所しか知らない。

好きなのは俺の方だし、当然だと思っていたが、今となっては、ミツの気配が全くしない部屋で良かったと思える。
この部屋でさえ、俺はミツのことばかり考えているというのに……。
俺が足繁く通ったミツの部屋で、あいつは俺のこと、少しは考えてくれてるかな……。

眠ろうとして目を閉じると、ミツの姿が浮かぶ。

気の強そうな瞳。
長い睫毛。
唇をシニカルに歪める癖。
俺の愛撫に翻弄される、艶めいた表情。
流れるような背骨のライン。
のけぞる首筋。
俺を責め立てる獣のような眼差し。

思わず自身に手が伸びそうになったが、事後の虚しさを想像して、抑えた。
考えたくないのに、次々に浮かんでは消える。
忘れるなんて、到底無理だと分かっている。

俺は起き上がり、豆電球を消した。
真っ暗になれば、目を閉じなくても良いだろう。
暗闇の中、目を見開き、頭の中を真っ白にする。
何も考えたくない……。

日中は考える暇もないほど忙しく働き、夜はミツの幻に翻弄される。
そんな平日を繰り返し、週末を迎えた。

土曜日の夜は、店に顔を出すのを止めた。
途中のスーパーで、食材と酒を買って自分の部屋に帰り、宅飲みにする。
独りに慣れなければ。
ミツ以外の誰かで、この空白を埋める気にはなれなかった。

焼酎の水割りを飲みながら、音楽バラエティーを見る。
土曜日の夜はいつも、ミツとクラブにいたので、この番組を見るのは初めてだ。
やたらと多い隣国の出演者にうんざりし、テレビを消した。

小さいボリュームで、レコードプレイヤーをセットする。
甘く切ない女性ジャズボーカリストのレコードは、言わずもがな、あいつと一緒に買ったものだ。
新しいの、買わなきゃな……。



日曜日。
うだるような暑さに目を覚まし、昼近くになっていることを知る。

結局明け方まで、酒を飲みながら音楽の波に漂っていた。
家にいてもすることは同じだな。自嘲ぎみに笑う。
とりあえず、シャワーを浴びて、出かけることにした。

日曜日の街を歩く。
都会の街はいろんな人が歩いていて、それを眺めているだけで、かなりの時間潰しになる。

俺の行動範囲なんて、たかが知れている。
ファーストフードで簡単に食事を済ませ、洋服や雑貨を見て回り、レコード屋で時間を費やす。

毎週ミツと歩いた街。
ミツと覗いた店。
お茶をした喫茶店。

ミツに会いませんように……と祈る。
どんな顔をして会えばいいのか分からない。
反面、偶然その姿を見たいという気持ちもある。

この街のどこかでミツが元気に暮らしていることを確認したい。
たとえ傍で見守ることができなくても、ミツの存在を確かめたい。

俺は、偶然会ってしまうかもしれないミツの影に怯えながら、そのミツの姿を探していた。
矛盾だらけだ。



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